14 恋文
その翌日。現世堂を訪れた丹波の目に飛び込んできたのは、本の山に埋もれ書を読み漁る檜山の姿だった。
「何事?」
「……」
声に反応し、檜山の顔が持ち上がる。同時に、大き過ぎる眼鏡が少し下へズレた。
「……別に。ヘマをしたので、こうして取り返しているだけです」
「家にいたなら電話ぐらい出なさいよ」
「あー……あの電話、やっぱり莉子さんでしたか」
「やっぱりって……!」
文句を言いかけて、やっと丹波は檜山の様子がおかしいことに気づく。おかしい、というか以前の状態に戻ったと表現するべきか。
ため息を一つつく。それから丹波は、本を挟んで檜山の前に腰を下ろした。
「……電話で伝えたかった状況を、端的に説明するわね。紫戸容疑者の自宅からVICTIMSを奪還する作戦は、失敗したわ」
「……」
「だけど推理自体は間違ってなかった。私達が突入する為に家に向かう途中、黒いコートの男とすれ違ったの。その人は、やたら大きな鞄を肩からさげていて……」
「……」
「……通り過ぎる時、私は彼の首に赤いあざがあるのを見つけたわ」
彼女の口にした特徴は、警察署からVICTIMSを盗んだ元刑事の戸田のものだった。
「だからすぐに男を捕まえようとしたの。でもその前に彼は逃げ出して、止めていた黒の軽バンに乗り込み……振り切るようにして、発進した」
「……」
「結果、私達は目の前でVICTIMSを奪われてしまった。今までの犠牲者や、ここまで協力してくれた檜山さんに顔向けできない……手痛い失態だわ」
沈んだ声の丹波をよそに、檜山は黙々と本に目を滑らせている。だがやがて、重い口を開いた。
「……僕よりマシですよ。僕は、目の前で慎太郎君を誘拐されましたから」
「は……はぁ!? 誘拐!!?」
「ええ、誘拐です。慎太郎君は、作家の帆沼呉一によってさらわれました」
「帆沼呉一……っていうと、ちょっと前に小説で新人賞を取った?」
「はい」
「ちょ、ちょっと意味分かんないわ。なんで帆沼呉一の名前が出てくるの? 慎太郎君、そんなコネクション持ってたっけ?」
「持っていたというよりは、僕を狙う目的で彼から近づかれたのだと思います」
「え?」
「……帆沼呉一は、異様なまでに僕に執着している。だから、僕と関わりの深い慎太郎君が目をつけられてしまった」
訳が分からずキョトンとする丹波に、檜山はとある新聞の切り抜きを差し出した。それは、ボロボロになった数年前の小さな記事であった。
「……古書店で刺傷事件? 怪我人も出たって、これ……」
「その事件に出てくる古書店が現世堂で、怪我人というのが帆沼呉一です」
「ど、どういうこと? 何が起こったの?」
「この日、僕が常連の人と店先で話していた時です。同じく店の常連だった帆沼君が、このお客さんを見るなり包丁を構えて襲いかかってきました」
檜山は、温度のない声で言う。
「僕はお客さんを守る為、彼に組みつきました。そうして反撃する過程で、彼の右目と唇を切りつけたのです」
「え……!」
「幸いと言うべきか分かりませんが、その件については示談になった為、両者とも前科はつきませんでしたが」
「で、でも、なんで彼はそんなことを?」
「……帆沼君の供述では、他のお客さんと話していた僕が迷惑そうにしていたからだと。だから、相手を排除してあげたかったと言っていたそうです」
「何よそれ……。実際檜山さんは迷惑に思ってたの?」
「まさか」
「じゃあ、彼は思い込みだけでそんな極端な行動を取ったってこと?」
「そうなりますね」
「……確認だけど、二人は付き合ってなかったのよね」
「ええ」
ここで初めて、檜山は薄く笑った。
「僕にとってあくまで帆沼君は一人のお客さんでしかなく、向こうも同じように捉えているものだと思っていました。けれどどうしてか、帆沼君は僕に愛されていると心から信じていたようです。当時は勿論のこと……」
――今でも。
そう彼は、口の動きだけで伝えた。
「何度も否定したんですけどね。何を言っても、帆沼君は頑として聞き入れませんでした。それどころか、反論すればするほど僕が病んでいるものと決めつけてくる。僕が病んでいるからこそ、何度も試して帆沼君の愛情を確かめているのだと解釈したのです」
「……異常だわ」
「はい。とはいえ、ありがたいことに当時対応してくださった警察官がとても理解のある方でして。すぐに接近禁止令等を出してくれたお陰で、一時は粘着も収まっていたのですが」
檜山は、本の山の中から丹波にとある小型の機械を差し出した。
「……ついさっき、こんなものを見つけました」
「……何これ」
「カウンター横の本棚の裏に取り付けられていた盗聴器です。あ、電源は切っていますから警戒しなくても大丈夫ですよ」
「え!? でも、盗聴器は鵜路さんの事件の時に取り除いたはずじゃ……!」
「目立つ場所に一つ、目立たない場所に一つ。恐らく帆沼君が鵜路さんに指示を出して、こっそり取り付けさせたのでしょう。そして、僕らの話を盗み聞いていた」
「指示を出してって……! じゃあ、帆沼呉一は鵜路さんの事件にも関わってたの!?」
「関わっているどころか、VICTIMSを書いた張本人ですよ。これについては本人も認めています」
唐突に知った衝撃の事実に、愕然とする丹波である。しかし、檜山は何食わぬ顔で引き続き本を読んでいた。
「……おかしいでしょ」
そうして、やっと彼女は言葉を絞り出した。
「じゃあ、なんで今になって慎太郎君を誘拐したのよ。帆沼呉一が好きなのは正樹さんなんでしょ? 標的を変えたってこと?」
「いいえ。ターゲットという意味では、以前と変わらず僕だと思います」
「ならどうして」
「思うに、僕を救う手段として慎太郎君が必要だったんです」
檜山は、パタンと本を閉じた。そしてすぐにまた別の本を取り、開く。
「帆沼君は、僕が愛した帆沼君と僕を癒した慎太郎君を一つにすると言っていました。具体的な方法は分かりませんが、恐らく真っ当な手段ではない」
「だ、だったら早く助けなきゃ! そんな悠長に本なんか読んでないで……!」
「ええ。ですがこれらを読まないと、彼を助けられないんです」
吐き捨てるように言って、檜山は丹波に三枚の紙を渡す。丹波は、震える手でそれらを受け取った。
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