12 傷
「……慎太郎君は、どこだ」
「まあまあ、まずは逢瀬の語らいを楽しみましょう」
まるで我が家のごとく、帆沼は檜山に座布団を勧める。しかし、檜山は一切彼から視線を動かさなかった。
「答えろ。慎太郎君をどこへやった」
「そんな気になります? 弱ったな、話にならないとはこの事だ」
「真面目に答えろ。さもないと……」
檜山の体がゆらりと動く。次の瞬間、帆沼の後頭部は強く畳に打ちつけられていた。
「――無理にでも、吐かせるぞ」
帆沼の胸ぐらを掴んで押し倒した檜山は、彼の薄ら笑いを冷たく見下ろした。が、帆沼はびくともしない。
「やめときましょうよ、檜山サン。ご存知でしょうけど、俺は何をされても口を割りませんよ」
「……」
「それに、慎太郎が今どこにいるかを知ってるのは俺だけですし」
「……脅す気か」
「まさか。ただ単に事実を述べているだけです」
帆沼は、愛おしそうに檜山の顔の火傷痕を撫でた。
「慎太郎は今、どれほど叫んだとしても誰も気づかない場所にいる。ということは、ここで俺があなたに再起不能にされてしまうと、彼に食事をあげられる者がいなくなってしまうんです」
「……」
「そりゃ一日二日食わなくても死にゃしませんがね。大量食品廃棄の飽食時代において、飢えるだなんて可哀想だと思いませんか?」
「……何が狙いだ」
唸るように尋ねた檜山に、帆沼はまた笑って答える。
「――“読書とは、他人に己の脳を預けることである”」
「ああ?」
「何、檜山サンが寂しがってるかと思って会いにきてあげただけですよ。あと、そろそろあなたにも舞台に上がってもらいたくて」
「……舞台」
「はい。……思うんですけど、愛する者同士が結ばれるには、やっぱりドラマティックな展開があるべきじゃないですか。だからあれほど大変な思いをしてまで準備してあげたというのに、まだあなたはスポットライトから目を背けている」
帆沼の指は、火傷痕に沿って檜山の首筋をなぞっていた。
「……ほんと酷い。用意された戯曲を消費しておきながら、主役は観客席で素知らぬ顔だ」
「……そうか。やはり、VICTIMSは君が書いたものなんだな」
「そうですね」
「だったら何故他の人を巻き込んだ!? 最初から狙いは僕だったんじゃないか!」
「仕方ないでしょう。戯曲に傍役は必要です」
「ふざけるな! なら慎太郎君を拐ったのは……!」
「そりゃあ檜山サンのせいですよ。あなた、あの子のことを好きじゃないですか」
檜山の息が止まる。それを見た帆沼は、呆れたように言った。
「……知ってるんですよ。俺、調べましたからね。あなたが子供の頃、とある宗教団体に属する親から全身を焼かれたこと。そこから救い出されてもなお、長くトラウマを抱えていたこと。……そして、近所に住んでいた夫婦に子供が産まれ、その子供とのふれあいを通して少しずつ傷が癒されていったことも」
「どうして、それを……!」
「慎太郎は、壊れていたあなたの心を癒した張本人です。実際俺も会って関わってみたけど、すごくいい子だった。……檜山サンが執着する気持ちも、よくわかる」
「違う! 僕は、執着なんて……!」
「嘘をつかないでください。檜山サン、本当はあの子を現世堂に閉じ込めておきたくてたまらないんでしょう」
硬直した檜山を、帆沼は嘲笑う。それから絡みつくように、両手を檜山の首にまとわせた。
「……構いませんよ、俺は。あなたが、誰を好もうとも」
優しい声色で、彼は続ける。
「大丈夫、俺はあなたを疑っていません。俺と出会っていなかった時期などは特に、生きていく上で他の人を求める必要もあったはずだ。そういう意味では、むしろ慎太郎に感謝すらしてるんです」
「見当違いも甚だしいな。いいから、早く彼を解放して……!」
「またそんなことを言って。俺の気を引きたいからってあんまり酷いことを言うと、俺だって傷つくんですよ?」
帆沼の手が淫らに檜山の喉元を撫で、顎を掬いあげた。
そして彼は、おもむろにぐいと自分の前髪をかき上げる。
「――だけど、許してあげます。あなたの愛は、多少癒されたとはいえなお壊れたままだ」
帆沼の額から右目には、惨たらしい裂傷痕が走っていた。
「覚えてますよね? あなたがご自身の火傷と写し鏡の場所につけてくれたこの傷」
「……っ」
「あの日からずっと、俺はあなたを癒やす方法を探していたんです」
目を見開いた檜山の額には脂汗が浮かび、呼吸すらままならない。対する帆沼は、恍惚と言葉を紡いでいた。
「ああ……今でもあの日のことを夢に見ますよ。あなたがナイフで、俺の目と唇を切り裂いたあの日を」
「違う! あれはただの事故で……!」
「事故なんかじゃありませんよ。あの行為はあなたの俺に対する独占欲の表出。あなたは俺に刻印をつけることで、俺を自分だけのものにしたかったんです。……ほら、気付きました? この唇のピアス、あなたがくれた傷が塞がらないようにつけてるんですよ」
「違う……違う……!」
「大丈夫ですよ、分かってます。俺だって、一日たりとてあなたを思わない日は無かった」
「違うと言ってるだろう!!」
「ええ、俺も愛してますよ檜山サン。……今と同じ、俺しか映っていないあなたの綺麗な目……俺は、本当に好きで……」
帆沼は、それはそれは柔らかな声と共に檜山の頬を包んだ。
「ほら、怖がらないでください。……もう少しなんです。もう少しで、俺はあなたの全てを癒せるんです」
「なんの……ことだ……!」
「あなたが愛する俺と、あなたを癒した慎太郎。……本当なら、二人から愛されるのが一番いいんだろうけど」
――二人と一人じゃ、数が合わない。だから。
帆沼は、唇に開いたピアスから血を伝わせて笑った。
「一つにするんです。二つを完璧に一つにして、俺と慎太郎はあなたの元へと帰ってくる」
「……は……!?」
「だから、待っててください。まあ、もっとも……」
帆沼は、両手で檜山の眼鏡を外す。それから、彼の首の後ろに腕を回した。
「……迎えにきてくれても、いいですよ」
そして檜山の体を引き寄せ、薄い唇を重ねた。
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