6.回る

 とりあえず、りんごを調達しなければならない。檜山さん直々の命を胸に秘めるオレは、財布を尻ポケットに突っ込んで近所のスーパーへと向かっていた。


「や、慎太郎」


 そうしたら、スーパーの前で帆沼さんに出会った。

 相変わらず目まで隠れたアッシュグレーの髪に、バシバシに開いたピアス。着ているのは、黒を基調としたちょっとダボッとしたオシャレな服だ。これはいわゆるV系というやつなのかなと思ったけど、オレはその辺詳しくないので易々と話題にはできない。

 代わりに、ごく普通の質問を口にした。


「こんにちは。帆沼さんもお買い物ですか?」

「そんなとこ。……あとは、ここにいたら慎太郎に会えるかなって思って」

「あはは、そんなエスパーじゃないんですから」

「どうだろ。慎太郎が知らないだけで、俺は本当にエスパーかもよ?」


 そう言うと、帆沼さんはオレの耳に触れた。なんだなんだ、手が冷たいぞ。


「……そうだな。もしかして慎太郎、今悩みとかあったりする?」

「え、分かるんですか?」

「しかもそれは、檜山サンに関わる事だ。どう?」

「あ、えと、そうですが……」

「ほら、当たった」


 耳たぶを摘まれる。彼は背が高いので、自然とオレは見下ろされる形になる。

 帆沼さんは、少し屈んで優しい声で言った。


「悩みがあるなら聞かせてほしいな。俺、聞くよ」

「う、うーん……」

「何かあればいつでも相談してほしいって、前に言ったはずだけど」

「それは、そうですけど……。でもすいません、これはオレが解決しないといけないことなんです」


 オレは、見えない帆沼さんの目を見てはっきりと返した。

 ……今のオレの悩みといえば、間違いなく事件のこと。そして、それに関わらざるを得ない檜山さんのことだ。

 彼のことが心配で、力になりたい。でも、檜山さんはオレを遠ざけたがる。

 そりゃそうだ、オレが逆の立場でも同じことをするだろう。自分が事件に巻き込んだせいで年下の同居人に被害が及べば、悔いても悔やみきれない。

 その辺りは理解していた。でも、それで檜山さんの助けになりたいという自分の気持ちが消えるわけじゃない。

 かといって、誰かに相談し介入してもらうつもりもなかったのだ。これは、オレと檜山さんの話である。自分で考えて、まとまったら檜山さんにも話して、できれば二人で答えを出したい。そう考えていた。

 だけど、それを伝えると帆沼さんは何故か少ししょんぼりとした。


「……悲しい」


 オレの耳たぶを、ぐっぐっと爪で押しながら。


「俺は、慎太郎の力になりたいのに。でも、俺じゃ慎太郎の助けになることができないなんて」

「あ、いや、そういうことじゃ……」

「……ねぇ、慎太郎。慎太郎は、俺のことをどう思ってる?」


 真剣な声に、少しだけ動揺する。オレには、それがまるで恋人の囁きのような甘いものに聞こえたのだ。


「どうって……そりゃ、帆沼さんは帆沼さんだと思っていますが」

「その他。もっと。オレは、慎太郎から付加価値を認められたい。……ねぇ、慎太郎にとって、俺は名前がついただけの人間? それかもう少し何か色がついてる? ……慎太郎」


 帆沼さんの空いた左手が、いくつもピアスの空いた自分の耳に触れる。オレの耳たぶが、またぐいと押された。


「……俺は、君のここに俺と同じものを開けたくて堪らないのに」

「……帆沼さん?」

「……」


 帆沼さんは、それきり黙ってしまった。オレはというと、自分が何を言われたのか、何をされているのかよく分からなくて、しばらくぼーっとしていた。

 けれど、間も無くここが往来だと気づいて慌てふためいた。


「ちょっ、帆沼さん! ここでは! ここではやめましょう! 人の目があります!」

「……人の目が無きゃいい?」

「そ、そういうことではないですが……!」

「分かった。じゃあ俺の家に行こう」


 オレの肩に手が回り、車道に誘導される。それから、彼の止めたタクシーに手際良く押し込まれた。

 そうして、何が何だか分からないまま見知った街を抜けていく、その間。

 ――間抜けなオレは、彼が何故自宅から離れたここにいたのかという理由について、一切考えようともしなかったのである。










「入って。今、コーヒーを入れるから」


 数日ぶりに訪れた帆沼さんの部屋の中は、やっぱり盛大に散らかり倒していた。


「……オレ、掃除しましょうか?」

「いいから。そこ座ってて」


 そこと言われたが、一体どこを指すのだろう。唯一散らかってないのはベッドぐらいのもんだったが、流石に違うだろとぶんぶん頭を振った。

 なのでオレは、赤文字の原稿を隅に寄せて床に適当なスペースを作り正座した。


「あれ」


 するとキッチンから帰ってきた帆沼さんが、両手にカップを持ったまま不思議そうに首を傾げた。


「座んねぇの、ベッド」

「い、いや! それは流石に!」

「そんな身構えなくても押し倒しゃしないよ」

「は、はは、そうですよね!」

「うん」


 オレにカップを手渡しながら、帆沼さんは薄く笑う。


「……今は」


 ………………今は。

 今は……かぁー。

 冗談だよね? 帆沼流ジョークの一つだよね?

 あ、ダメだ表情からはわかんないや。帆沼さん全然顔変わんないんだから。


 気まずくて、ロクに返事もできずにカップの中身を口に流し込む。そうしたら、思わぬ高温に「あちっ」と舌を出す羽目になった。


「気をつけろよ」


 原稿を踏みつけてオレの隣に座る帆沼さんが、おかしそうに笑う。


「舌とか火傷したら、キスする時に不便だし」

「おぶぇ!?」

「何その反応」

「な、な、な、何も、キスって!」

「なんでそんなウブなの。キスぐらいしたことあるだろ」


 ……無い。

 事も無げに仰ってくれた所悪いが、無いのである。

 いや、珍しくないよね? そういうパターンも。ここ否定されたら泣くぞ、オレは。

 檜山さんに一途だったからと言えば聞こえはいいけど、結局は臆病な性格が原因なのだろう。女の子に告白されたことなら何度かあるけど、檜山さんに向けるほどの感情が持てないのに付き合うのは失礼じゃないかと思って、断ってばかりだったのだ。

 けれど、明言しなかったというのにこの反応だけで帆沼さんにはバレたらしい。彼は、ピアスの開いた唇を薄く歪めていた。


「……へぇ、無いんだ」


 冷たい指がオレの顎に触れる。唇の端を、彼の親指の腹がなぞった。


「慎太郎、顔も性格もいいのに。意外だな」

「放っといてくださいよ」

「いいじゃん、恥じる事ない。……それに、俺にとってはその方が都合がいいし」

「……つ、都合がいい、って……?」

「つまり、慎太郎の体は他の人に汚されたことがないってことだろ?」


 帆沼さんは舌舐めずりをする。舌に乗っかる黒いピアスが、ライトの明かりを反射させて鈍く光っていた。


「……どうせ食べるなら、綺麗な方がいい。そうじゃない?」

「たたたた食べる!? お、オレ、美味しくないですよ!」

「ふふ、冗談だって」

「……!」


 ――何なのだろうか、今日の帆沼さんは。ちょっと、いやだいぶ過激である。そりゃ普段から距離は近い所はあったけれど、今日のこれは異常だ。

 恥ずかしくて、あとからかわれたことにも腹が立って、オレは勢いよく立ち上がった。


「もう帰ります! コーヒーごちそうさまでした!」

「ん、帰るの?」

「はい! お邪魔しました!」


 怒りに任せて、それでも床に落ちた物を何とか避けながらズカズカと帰る。だけど、三歩も足を踏み出せない内にぐらりと世界が回った。

 最初は立ちくらみかと思ったのだ。でもそう判断する前に、強烈な眠気がオレを襲ってきた。

 ……なんだこれ。なんなんだ、これ。


「……無理しなくていい」


 崩れた体を抱き止められて、囁かれる。帆沼さん越しに、白い天井が見えた。


「疲れが出たんだろう。……今は、ゆっくり休め」


 急速に、意識が遠のいていく。「まずい」と思いながら、オレはぼやけていくドアに目をやった。

 靴箱の上には、大きな花瓶に生けられ萎れかけた赤いダリアが見えた。

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