5.謎は深まる
「さて、それでは改めて今回の容疑者をご紹介しよう。彼女の名前は麩美虎子(ふみとらこ)。フリーのファッションデザイナーだ」
檜山さんは、ちゃぶ台の上で広げた書類に目を通しながら言った。
「結婚はしておらず、取引先のアパレル会社の社長である堂尾洋氏とは不倫関係にあった」
「それが今回の被害者ですか」
「そう。で、奥さん曰く彼が家を数日空けることはしょっちゅうで、この時も遺体が見つかる四日前から連絡がつかなくなっていたらしい」
「四日前……」
「……もし犯人が麩美さんだったとしたら、少なくとも最初の一日目は堂尾さんは仕事か別の人の所へ行っていたんだろうね。この日、彼女は仕事で別のアパレル会社と打ち合わせをしてるから」
「では、二日目は?」
「二日目に麩美さんのアリバイは無い。仕事が休みだから、一日中家で寝ていたと証言しているみたいだけど」
「……でも、二日目にアリバイが無くても犯人だという証拠にはなりませんね」
「そうだね。だって殺されたのは三日目なんだから」
頭がこんがらがらないよう、手元の紙に図を描きながらオレは事件を整理していた。その図を見直しておいて、チラリとパソコンの画面に目をやる。
「事件当日の朝、麩美さんのマンションの監視カメラは、彼女が出てくる所を捉えています。あの目立つドレスです、間違いようがありません」
「帰宅時刻は?」
「六時半前です」
「とすると、彼女のマンションからうちの店まで大体2キロ。徒歩で帰ったとしたら、寄り道は考えにくいな」
「でもドレスで歩くなんて大変そうですね。なんでタクシーを使わなかったんでしょう」
「……まあ、大いにうがった見方をするならアリバイ作りの為だろうな。とはいえ、麩美さんは普段から外出時は自分でデザインした服を着ているそうだよ。宣伝にもなるし、自分に似合うからって」
「ふぅん」
それなら、一応納得できる範囲の理由ではあるのか。檜山さんとの会話も途切れ、手持ち無沙汰になったオレは、なんとなくマンションの監視カメラの映像を早送りして見ていた。
何人もの人が、間隔を空けながらエントランスを行ったり来たりしている。出勤退勤時間にはぐっと人の数が増えて、逆に昼や夜は殆どいなくて。
けれど、じっと映像を見ている内に、ふと思いついたことがあった。
「ねぇ、檜山さん」
「ん?」
「オレ思ったんですけどね。例えばもし麩美さんが普段着とかで外出してたとしたら、オレ達全然気づけなくないですか?」
「え、どういうこと?」
「えーと、例えばこの帽子の人とか」
映像を止めてオレが指さしたのは、キャップを目深にかぶったジャージ姿の人。この映像からでは、顔も性別もよくわからない。
「オレ達、麩美さんといえばあのドレスで認識してたじゃないですか。でももしこんな感じで服装をガラッと変えてたとしたら、中身は麩美さんだったとしても分からないかもしれない」
「……ああ、確かに」
「だからほら! 逆にこのドレスの人が麩美さんじゃない可能性もあるんじゃないかなって!」
「どうだろう。その可能性は低いんじゃないかな」
檜山さんが、ぐっとこちらに身を乗り出してきた。ドキッとしたけど、オレは頑張って続ける。
「ど、どうしてですか?」
「麩美さん本人から聞いたんだけど、このドレスは彼女の趣向を凝らしたこの世に二つと存在しない一点ものらしい。加えて、着るのに十五分は要すると」
「げ、そんなに」
「だから、行き帰りの間にどこかで着替える時間があったとは思えない。……もっとも、それでも犯行時刻に彼女が現世堂にいたことに変わりはないんだけどね」
「あ、そっか」
「それに、君の説だと麩美さんに共犯者がいることになるだろ」
「え、それはいるんじゃないですか?」
オレの切り返しに、檜山さんはこめかみを指で押さえて該当する人物について考える。が、やがて得心したように手を叩いた。
「なるほど、VICTIMSを盗んだ戸田君のことか」
「はい」
「分からなくはないけど、彼に被害者を殺すほどの動機があるかな」
「そこは前回の犯人も同じじゃないですか? 戸田さんも、鵜路さん同様に本に魅入られて殺人を犯したのかもしれませんよ」
「……うーん……否定はできない、けど」
なんだか煮え切らない檜山さんである。彼は真っ白な髪をガリガリと掻くと、パッと手を広げた。
「二人が同時に同じ本に魅入られて、協力して殺人を犯す。これって、よっぽどの偶然が重ならないと難しいと思うんだ」
「そうですか?」
「うん。勿論絶対起こらないとは言えないけどね。ただ、たまたま警察にVICTIMSを奪える人がいて、たまたまその人が本に魅入られて、たまたま身近に殺せる人がいた人と巡り合って……となると、かなり現実味の無い話になってくる」
「そっかぁ……。すいません、余計なことを言いました」
しゅんとする。結構いい案だと思ったのだけど、やっぱりオレでは穴だらけの推理しかできないようだ。そんなオレを元気づけようとしてくれたのか、檜山さんはあえて笑い顔を作ってくれた。
「だけどありがとう、慎太郎君。ドレスの件も共犯者の件も、僕にとってとても有益な視点だったよ。だからこれからも、どんどん遠慮なく教えてくれると嬉しいな」
「んん……迷惑じゃないですか?」
「迷惑なわけないよ。こう見えて、僕は結構抜けてる所があるからさ。君の意見は助かるんだ」
「ね?」と顔を覗き込んでくる檜山さんに、オレは赤くなる顔を隠しながら頷く。
でも、申し訳ないけど檜山さんが結構抜けてるのは知ってる。とてもよく。
「しかし、そうなるといよいよ問題になってくるのが犯行時刻のトリックだな」
そして檜山さんは、オレの目の届かない所に置いていた写真を引き寄せた。……多分、あれは現場写真だろう。一応警察内部の一派から協力を仰がれているとはいえ、檜山さんは一般人の身なのだ。まず現場に赴けないので、写真から判断するしかない。
だからオレも何か手伝いたくて、写真を見せてくれるようお願いしたのだけど。
「だめ」
すげなく断られた。今日、めっちゃだめって言われてる気がするな。
「これは現場写真なんだよ? つまり遺体も写ってるってことになる」
「うっ、遺体ですか……」
「な、見たくないだろ? 加えて今回の写真においては、君の保護者的な意味合いでもガードしておきたくてね」
保護者的な意味合い?
はてなと頭を傾けるオレに、檜山さんはズバズバと答えてくれた。
「これは現場の状況からの推測でしかないけど、どうも被害者はなかなかエグめのSMプレイに興じてたっぽいんだ。資料を見なくても、写真だけで何となく察しがつくぐらい」
「わあー」
「ちなみに被害者はM側。口にダリアの花が押し込められて殺されたってのは聞いたよね? それだって、歯医者さんなんかで見かける開口器……って言えばイメージしやすいかな。それのSMプレイでしか使わないような特殊なものを使われて、歯ごと無理矢理開けさせられてたんだ」
「おわわわわわわ」
「だから茎も殆ど噛まれた跡が無かったんだけど……一応アップの写真もあるよ。見たい?」
「見たくないです」
「よろしい」
檜山さんは、写真をオレに見せないよう裏向けてトントンと整えた。
「……ちょっと真面目な考察をするとね、いっそ破滅的なほど極端な主従関係ってのは、自然と一方が無防備な状態に陥ってしまうようできているんだ」
何の話かと思ったが、SMプレイを踏まえた上での事件の話らしい。
「むしろプレイとしては、その無防備状況を楽しむものですらある。無論そこまでの主従関係となると、基本的に一定以上の信頼関係の裏付けが無いと成り立たないけどね」
「信頼関係の裏付け?」
「そう。互いが互いにかけた時間だったり、愛情だったり、多額の金銭だったり、商業的な契約だったり。慎太郎君だって、信頼関係が何も無い相手に無防備な姿を晒すのは恐ろしいだろ?」
「は、はい。……でも、それじゃあ檜山さんは、被害者はその信頼関係のある人に殺されたって言うんですか?」
「確証は無いけどね。だけど、もし僕だったらそうすると思っただけだよ。誰かを殺したいと思えば、相手を信じさせて油断させてから殺すのが一番抵抗されない。そう考えただけだ」
抑揚無く彼の唇から紡がれる不穏な言葉に、オレの背筋はぞわりとした。でも彼自身は、自分が発した言葉の恐ろしさに気づいていないみたいだった。
「……ん、なんだこれ」
すると、ここでふいに檜山さんが一枚の写真に目を止める。
「これは……傷? でも他と比べると、明らかに……縄ではこうは……」
こめかみを押さえ、ぶつぶつと呟きながら檜山さんは考えている。邪魔しちゃだめかなと思って黙って待機していたら、彼は突然立ち上がった。
「……ちょっと、なんか、すごく外の空気が吸いたくなってきた。散歩に行ってくる」
「え!? 散歩!?」
「うん、散歩。じゃ、そういうことで」
「いやいやいや! オレも行きますよ!」
「ごめん慎太郎君。僕急にりんごが食べたくなってきてさ。スーパーで買ってきてもらえないかな? お釣りはお小遣いにしていいから」
「いやいやいやいやいやいや!」
檜山さんに千円札を握らされたが、到底納得できない。けれど更に詰め寄ろうとした所、檜山さんの両手にほっぺを挟まれてしまった。
大きな眼鏡の向こうにある檜山さんの目が、オレを見つめる。形の良い唇が、動いた。
「……慎太郎君。僕との約束は覚えてる?」
「ふぁ……ふぁい」
「うん。なら、僕の言うことを聞けるだろ」
「……」
頷くと、「いい子」と頭を撫でられて解放された。オレは照れ隠しにむにむにと自分で頬を揉みながら、彼の背中に目をやる。
普段は、部屋着代わりの作務衣とかでコンビニでもどこでも出掛ける檜山さんである。けれどそんな彼にしては珍しく、薄い青の作業着に着替えていた。
……一体、どこへ行って何をするつもりなのだろう。不安だったが、あまり追求もできなくてやきもきした。
そうこうするうちに、彼は『臨時休業』の札を携え靴を履いていた。
「一時間ぐらい家を空けるかもしれない。夕食までには帰ってくるから」
「はい」
「じゃ、行ってくるね」
「あ、檜山さん……!」
オレの呼びかけに、檜山さんがこちらを向く。何故かその顔にいつに無い冷えた色を感じたけれど、オレはしっかりと踏ん張って言った。
「いってらっしゃい! でも、檜山さんだって危ないことはだめですからね!」
「……」
檜山さんは、一瞬キョトンとした顔をした。だけどすぐにいつものように優しく笑うと、ひらひらと片手を振ってくれたのである。
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