9 朝
そして、翌朝。
オレは罪悪感と共に目を覚ました。
(やっちまった……!!)
やっちまった。とてもやっちまった。檜山さんに心配をかけて、挙げ句の果てに膝枕までしてもらって。
あまりの恥ずかしさに布団を抱えようとする。けれど実際にオレが抱き締めたのは、やたらゴツゴツした塊だった。
「ん、朝……?」
「ぎゃーーーーーっ!!!!」
違った、檜山さんだった。どうやら彼もあのまま寝てしまったらしい。
え、じゃあオレ一晩檜山さんと寝てたの? 嘘だろ? マジで?
それもう既成事実ができたも同然じゃない?
「ああ、おはよう、慎太郎君。よく眠れた?」
「は、はははい! いっぱい!!」
「そうかぁ、良かった」
「うご、ご、ご」
「ん、どした?」
――眼鏡を外しているせいか、あまりよく見えないらしい。至近距離で檜山さんに顔を覗き込まれて、オレはアタフタとした。
まだ眠そうな目とか、寝癖とか、少し乱れた服装とか。色々危うくて、オレの頭は今にもパンクしそうだった。
「……ご、ご、ご、ご飯! 炊いてきます!」
「ああ、ありがとう」
そして耐えきれず、部屋を飛び出してしまった。オレのバカ野郎。でも過剰供給な向こうがいけない。
――せめて、ご飯が炊ける間に動悸が収まればいいのだけど。
昨日炊飯器のタイマーをセットして寝たことも忘れていたオレは、階段を駆け下りながらそんなことを祈っていたのだった。
「はい、ごちそうさま」
両手をパンと合わせて、檜山さんは頭を下げる。ご飯の他には、海苔と梅干し、あと少し焦げた卵焼きと味噌汁ぐらい。それでも、檜山さんは美味しそうに全部食べてくれた。
……「料理ができるに越したこと無いよ」と、母さんからそれなりに仕込まれていて良かった。三杯ご飯を平らげたオレは、お皿を片付けながらそう思った。
「それじゃあオレ、そろそろ大学に行ってきますね」
「今日は一限から?」
「はい」
「そっか。なら送ってくよ」
ふいに立ち上がった檜山さんに、驚く。聞き間違いかなと思ったけど、壁掛けから車のキーを取っているのを見るに現実らしい。
「え? 檜山さんが送ってくれるんですか?」
「うん。昨日のこともあるしね」
「でも犯人は捕まりましたよ?」
「そうだけど、本の元の持ち主はまだわかっていない」
着々と出かける準備を進める彼の気遣いを嬉しく思うも、オレは慌てた。だって、膝枕をしてもらった昨日の今日なのである。これ以上檜山さんと一緒にいたら、心臓が爆発してしまうかもしれない。
よって、上着を着て玄関に向かおうとする檜山さんをオレは必死で押し戻した。
「いっ……いいですいいです! オレは一人で大丈夫ですから!」
「でも……」
「それに檜山さんは帰り道で迷子になるじゃないですか! 危ないのはそっちですよ!」
「慎太郎君」
「はい!」
「ヘンゼルとグレーテルって知ってる?」
「そりゃ知ってますが……え!? まさか石を落としてくんですか!? ダメですよ、普通に道交法違反ですよ!」
「いや、パンの方」
「そっちの顛末もダメだ! い、いいです! それにオレ、今日人と会う予定がありますから!」
「人と?」
そうなのだ。大学へ行く途中、オレは知人の作家さんに借りていた漫画を返さねばならないのである。しかもその人のアパートは入り組んだ場所にあり、車で行くのはちょっと難儀しそうなのだ。
そうしてせっせと漫画を鞄に詰めるオレを、後ろから檜山さんが覗いてきた。
「……やけに珍しい漫画を持ってると思ったら。それ、借り物かい?」
「はい、そうです。これ珍しいんですか?」
「うん。それ全部初版本だろ? 特に一巻は表現ミスが見つかってね、初版本は殆ど出回ってないはずだ」
「へぇー」
檜山さん、本だけじゃなくて漫画にも詳しいのか。すごいな。まあ、漫画も本といえば本なんだけど。
けれど、それを口に出す前に時計を見てしまったのがいけなかった。思いの外進んでいた長針に、オレは急いで鞄のチャックを閉めると飛び出した。
「行ってきますね、檜山さん!」
「……うん、気をつけてね。行ってらっしゃい」
耳に届いた檜山さんの声は、いつもと変わらず優しいものだった。
慎太郎を見送った檜山は、彼の姿がドアで遮られてようやく肩を落とすことができた。
「……」
――自分は、一体何を焦っているのだろうか。
頭をガシガシと掻くと、大き過ぎる眼鏡が鼻の下までズレてくる。
それを直す彼の脳内を巡るのは、いつかの記憶。しかしこれは、彼にとって極力触れたくない柔い部分だった。
……そんなわけがない。関係あるはずがない。この連想は偏見であり、または自分の自信の無さが引き起こす錯覚だ。
目を固く瞑る。飛び散る血と、鋭い痛み。怯えたような瞳が、脳の中で見開かれて揺れた。
――よもや、この事件は“自分に向けられた”ものだ、などと。
「……馬鹿馬鹿しい」
敢えて吐き捨てて、己に言い聞かせる。それでも胸のわだかまりは、どうにも消えるものではなかったが。
が、それも突然の着信音により強制終了と相なる。
「……」
手に取って、考えるより先に通話ボタンを押す。電話の主は、よく知った女性だった。
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