エピソード1 「私を探して」

「私を探して」part.1

『私を探して』

 そこは研究施設の中心部と思わしき空間の一角だった。

 タケキの目の前に現れた少女が言う。その姿にタケキは言葉を詰まらせた。


 ――遡ること十二時間ほど。


 ここはクレイ王国の王都トウア。

 五十年以上続いた戦争が終わりちょうど十年、街は平穏と活気に溢れていた。

 ただ、在りし日の王都を知る者は口を揃えてこう言う。「王都は変わった」と。


 五百年以上続いたカムイと呼ばれる力を活用したクレイ王国の文明は、天然資源を燃やす機械文明に覆い尽くされ消えていた。

 規則的に並べられた美しい石畳は砂利と黒い粘液を混ぜたもの――アスファルトに置き換わり、古くから使われたカムイ動力の荷車は灰色の煙を吐き出す自動車に立場を奪われている。

 それは、敗戦の証拠でもあった。


 隣国であるモウヤ共和国との戦争は文化の違いに端を発したとされているが、実際の原因は誰にもわからなかった。

 長く続いた争いは双方の国力を大きく低下させ、人々は悲しみと怒りの渦に飲み込まれる生活が普通のものになっていた。


 戦争末期に十八歳という若さで王座に就いたクレイ・ハクジ王はそんな世を憂い、後に『輝かしい英断』とも『世紀の気狂い』とも評される大号令を発した。

 事実上の無条件降伏である大号令だが、いくつかの条件を前提とするものだった。

 結果として、表向き両国合意のもと友好的な終戦条約が結ばれ、王都は戦火に焼かれることなく平和を手にすることとなったのである。


「もう昼かよ」


 窓から差し込む陽光で目を覚ましたサガミ・タケキは口の中で呟いた。

 軽い頭痛と吐き気から、昨夜の深酒を思い出し顔をしかめる。翌日に残るほど飲んだのは数年振りのことだった。

 奮発して買ったソファーの寝心地はベッドにも引けを取らないが、二日酔いとなるとどうも目覚めは悪かった。

 さすがに二度寝はやめておこうと、寝癖頭を軽く振りながら起き上がる。水をコップ一杯飲み、シャワーを浴びてみたが思考は一向にまとまらなかった。


(水が温かいんだよな)


 降りかかる水滴を頭で感じる度にそう思ってしまう。

 これも戦後一気に広められた機械文明の産物だ。ほんの十年前までは水を温めるのもカムイの力を使っていた。今はガスボイラーという得体のしれない装置にお任せだ。

 確かに便利ではあるものの、燃える空気を使って火を維持するといった程度の原理しか知らないものに生活を任せることは、タケキにとっては不安だった。


(まぁ、仕方ないか)


 ほぼ毎回同様の思考をしていることに苦笑が漏れる。過去を偲ぶセンチメンタルさと、適応を拒否する踏ん切りのなさを自覚してしまう。

 情けないとは思うが、人はそうそう変わらない。シャワーと自嘲の効果か、次第に意識が鮮明になってきた。


「さて、そろそろ来る頃だな」


 独り暮らしをすると独りごとが増えるというのは本当だった。


 シャワー室から上がり、体をぬぐいつつ鏡を覗いた。そこにはだらしのない男が映る。

 寝ぐせは直ったが特に気を遣っていない短めの黒髪、二日ほど剃るのを怠った無精髭、まだ完全に目覚めてはいない半開きの目。職業柄、体だけは鍛えているので全体を見ればそれなりに見える、とタケキは甘めの自己評価をした。

 顔の下半分に粘度の高い液体を塗りたくり、剃刀で髭を剃る。同年代の男に比べ薄い方だが伸びるものは伸びる。


 ――キンコーン


 皺の伸び切っていないシャツを羽織り身支度を整えたところで呼び鈴の音が響いた。

 正確に言えば鈴ではなく、機械が発する音なのだが。


「あいよ、おはよう」


 施錠を忘れたドアを開けた先に立っていたのは、見知った姿だった。


「おはようタケ君。って、昼だよね。いつまで寝てたのさ」


 カスガ・ホトミ。タケキの同業者だ。

 大きな黒目をさらに丸くした彼女は屈託のない笑みを見せる。タケキは目の前に立つ小柄な女性を見つめた。

 着替えが入っているのであろう大きめの鞄を肩にかけ、橙色が鮮やかな上下が繋がった所謂ワンピースに身を包んでいる。何度見てもタケキと同年代には思えなかった。

 自分と近しい経験をしているはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない朗らかな雰囲気が漂う。

 それはタケキにとって様々な感情を引き起こす。ただ、それはホトミの人となりが為せることなのだろう、決して嫌なものではなかった。


「あいつはまだだけど、とりあえず事務所入れよ」

「はーい、おじゃまー」


 慣れたものである。ホトミは遠慮せず、布と動物の皮で縫製された靴を脱ぎ、タケキに続いた。

 ドアから数歩先にタケキの事務所と呼んでいる部屋がある。実際のところは事務所なんてものではなく、ソファーと机があるだけの殺風景な部屋だ。

 今日は付属物として、酒瓶が数本転がっていた。


「くっさ、酒臭い」


 ホトミが鼻をつまみ、大げさに文句を言いながら窓を開く。午後の柔らかな風が事務所に吹き込み、ホトミの赤みがかった髪を揺らす。


「悪い、久しぶりに飲んだわ」

「あー、そういうことね。じゃぁ、私が片付けてあげましょう」


 ばつが悪そうにタケキが謝罪するとホトミは少し神妙な顔になったが、すぐさまいつもの笑顔を取り戻し明るい声を発する。

 そして、肩の少し下で切り揃えた髪を紐で一つに括り、酒瓶を拾い集めだした。この押しつけがましくない面倒見の良さが、彼女の人徳なのだろうとタケキは思う。


「んで、レイジ君はいつ来るんだっけ?」


 片付けをしているホトミの口から、もう一人の来客者の名前が出てきた。


 ロウド・レイジ。


 タケキとホトミの雇い主にして、元同僚。そして二人の戦友だ。

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