十二話 ケジメ、勝算皆無
安堵の溜息を吐いてから、キヨに駆け寄る。
「キヨさん。本当にすいません。痛かったですよね?」
「それは、はい。でも……わかってます」
キヨは人差し指の切断面を押さえている。
「一旦、ベンチに行きましょう。紅貴さん、キヨさんを支えてあげてください」
「ああ」
キヨは紅貴の支えを借りながら、近くのベンチに腰掛けた。
「みゃあ~」
ドブがキヨの膝に上がり人差し指があった箇所を優しく舐める。指を落としたのは張本人だが意図を汲めない優太達ではない。
「みゃあ」
心配そうにキヨに擦り寄るドブを見ていると不思議と気分が落ち着いてくる。それは紅貴やキヨも同じであった。優太は状況を改めて確認することにした。
「キヨさん。こんな時にすいませんがいくつかお尋ねしてもいいですか?」
「はい……」
「浦川家とのかかわりを伏せていたのはなぜですか? キヨさんも外見を変える訓練を受けたんですか?」
「はい。でも、黙っておくように言われたので」
「…………ああ。そういうことですか」
それだけか? と思わないでもない。しかし、人間と妖怪では価値観が違う。キヨは弥勒に口止めされていて、純粋にそれに従った。しかし、弥勒本人が話したので開示しても問題ないと判断したのだ。人間と妖怪の価値相違に驚かされるのは初めてではない。
「私は出来そこないで醜いです。結婚してくれる男性が見つかった時も、その人には奥様がいて妊娠もしていて、『気持ち悪い』とか『結婚のフリ』とか言われて凄く嫌でした。そのあとで男性に殴られて怖くなって逃げ出した時に、包帯とマスクのない顔を紅貴さんに見られました。だけど、紅貴さんがすごく優しくて。それが嬉しくて一緒にいたいと思いました。でも、他のお歯黒べったりは顔も変えられます。それを知られたら私は相手にされなくなると思ったのでますます心配になって言えませんでした」
キヨが寂しそうに俯く。ただでさえ、キヨは結婚に憧れている。しかも、周りは美女の顔を再現できるときた。不安だったのだ。優しさを受けてなお『醜い出来損ない』という認識が拭えずに苦しんでいた。
暴言や中傷は心を委縮させる。性格を歪めて個人の在り方に影響を及ぼす。それがわからない者は無知で馬鹿だが、承知で使用する者は悪だ。優太はそう思う。
「キヨ……俺はお前を見捨てない」
固く拳を握る紅貴。その言葉にキヨは顔を上げた。しかし、すぐに俯いてしまう。
もどかしい、優太は思う。お歯黒べったりは結婚に焦がれた女性の霊魂が起源だ。そのため、結婚への思い入れもそれゆえの不安も大きい。紅貴の愛情は本物なのに通じにくい。そういう状況がもどかしくてならない。
「みゃあ」
キヨの膝上でドブが鳴いた。じっと優太を見ている。
(…………わかってるよ。僕も今回はお節介を焼くよ。二人に幸せになってほしいのも勿論だけど出来損ない呼ばわりされる辛さは誰よりもわかってる)
「キヨさん。さっき僕と紅貴さんが二人で外に行ったでしょう。その時に紅貴さんが言ってましたよ。『キヨに会えてよかった。今までのどの女とも違う。俺は今まで本当の意味で女を愛したことがなかったのかもしれない。毎日抱き締めてキスがしたい』って」
『……え?』
キヨが顔を上げて優太を、それから、紅貴を向く。
「お、おい? そんなこと言ってないだろ」
紅貴が動揺しながら弁明する。その驚きっぷりが丁度いい。
「あれ? 照れてます? 恥ずかしがらなくていいですよ?」
「みゃあ‼ みゃあ‼ みゃあ‼」
優太が意地悪な笑みを浮かべると、ドブも尻尾を振って楽しそうに同調する。
「い、いや……俺は」
『……えと、その……本当ですか?」
キヨがおそるおそる紅貴の反応を待つ。
「俺は……その…………ッ‼」
戸惑っていた紅貴が、ハッと優太を見た。頷いて答える。
「……その、まあ…………そうだな。いつもそう、思ってる。それに、外見とかどうでもいいんだ。本当に、キヨが……好きなんだ。それはわかってほしい」
気づいてもらえたようでなによりだ。嘘をついたようで少しだけ罪悪感があるが、両者が幸せになれるならそれでいい。幸せのキッカケになる嘘もある。
「知り合ったばかりの僕に言うくらいだがよっぽど好きなんでしょうね。好きが溢れてるっていうか」
「みゃあ‼」
『そ、そうなんですね。私は、嬉しいです』
「い、いや……その、まあ……そうだな」
照れ臭そうにキヨ。その姿を見て紅貴が頰を掻く。初々しいカップルを見ているようで微笑ましい。
(この二人は上手くいくはず。気持ちは通じ合っていたんだ。お互いが本音を話せば、それで――)
そう判断して笑みを浮かべた優太だったが、
「ふしゃあ‼」
突如ドブの咆哮。弥勒らが立ち去った方角を見て全身を逆立てている。
(…………ああ、くそ。そういうことか)
優太は内心で舌打ちした。
「別の妖怪が出たみたいです。様子を見てきますのでお二人は行ってください。それと、ぼくは霊能力者としてはあまり強くありません。負傷して紅貴さんの家に向かえなくなっても許してください」
「そうなのか。大丈夫なのか?」
心配そうに紅貴。
「大丈夫じゃないかもしれません。ですが、お二人を庇いながら闘うのは無理です。だから、行ってください」
『で、でも……』
「僕はこれが仕事ですしお二人を巻き込みたくないんです」
キヨと紅貴はしばらく戸惑っていたが、
『わかりました。あの、今回は本当にありがとうございました』
「俺からも礼を言う。ありがとう。また、後で連絡するからな」
「はい。わかりました」
最後には踵を返した。背中を向けたまま右手を振る。二人の気配が遠ざかっていく。
「ドブ、教えてくれてありがとう。巻き込まずに済んだよ」
「……みゃあ」
ドブが体毛を逆立てたまま優太の足元に近寄る。
「ケジメか。予想はしてたけどね」
妖怪の正体はわからない。しかし、弥勒らが去った方向からたまたま都合よく妖怪が出現してたまるか。彼らが差し向けたのだ。弥勒にも面子がある。
「ドブ、敵わない相手なら逃げるんだよ?」
「…………」
返事はなかった。妖怪が近づく。まだ目視できず匂いもしないが、わかる。
そして、
「グウアアアアアアッ‼」
現れたのは牛鬼だった。筋骨隆々の肉体に牛の頭をした妖怪であり右手には巨大な棍棒を所持している。強さは中の中といったところか。除霊依頼で遭遇する大抵の妖怪はそれ以下である。弥勒が封印していた個体だろう。名家は若手の育成のために妖怪を霊符に封印して持ち帰ることがある。しかし、今はその真偽などどうでもいい。
「ドブ下がれッ‼」
「みゃッ⁉」
声を張り上げてドブを下がらせる。
「もっとだッ‼」
「みゃあ‼」
牛鬼はそこまで強くない。攻撃手段のない優太でも結界で時間を稼ぐくらいはできるだろう。しかし、右手の棍棒が異質だった。
(あの棍棒はやばい気がする。元々棍棒を持ってる妖怪じゃない。浦川が用意した武器だとすると、油断できない。ドブを闘わせたら死ぬかもしれない。ドブに憑依すれば逃げられるけど、この場に僕の肉体だけ残る。それで頭を殴られでもしたら
ドブを闘わせずに凌ぐ。それが今回の戦闘で重要なことだ。ドブのさらなる後退を見届けてから優太は身体強化を発動した。身体能力が一時的に向上する。
「グウアアアアアアアア‼」
牛鬼が突っ込んでくる。その突撃に合わせて活性化した肉体で横方向に移動する。
(直撃を喰らったら不味い。とにかく距離を取って…………ッ‼)
優太の思考は中断を余儀なくされる。牛鬼はなんなく追随して右手の棍棒を優太目掛けて振り下ろしたのだ。
「くッ‼」
反射的に結界を発動する。優太は人並み以上に結界の扱いに長けているが――途轍もない衝撃。優太の結界は薄いガラスが砕けるように亀裂が入り押し戻され、優太はその一撃を左腕で受け止めるはめになった。
「ぐわああああッ…………‼」
左腕が千切れた、そう錯覚した。金属バットで思い切り殴られてもこれほどの衝撃は引き出せまい。予測通り棍棒は特注だ。貫通力が異常に高い。そういう仕掛けが施されているのだ。優太は奥歯を噛み締める。
(やばいッ‼ でも、視線は切らすなッ‼)
牛鬼は棍棒の握り具合を確かめながら優太に歩み寄ってくる。
左腕が燃えるように熱い。体温を冷ますべく血液が奔走している。酸素が足りない。肺が呼吸に追いつかない。額に汗が滲んで思考がぼやける。
(違うッ……落ち着け。今日は数珠がない。僕は生身で対応してて、麻衣ちゃんもいない。そういう普段と違う要素が多くて自分で思ってる以上に緊張してるんだ)
自身の焦りを自覚する。痛がっている場合ではない。まずは平常心。
戦力分析するなら、優太と牛鬼は中学生と釘バットを持った大人といったところだ。基本スペックで劣り、優太には武器もない。しかし、優太とて馬鹿ではない。様々な妖怪と対峙した際のシュミレーションは済ませてある。ドブに憑依したところで牛鬼の外皮には爪痕すら残るまい。それらを踏まえて勝利条件を探る。
勝利するためには?
答えはすぐに見つかった。
――――勝てない。
優太が牛鬼に勝つ方法は、存在しない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます