八話 大切なこと①



 紅貴と少しばかり歩いて自販機に到着する。小銭を取り出す前に紅貴が代金を投入した。



「コーヒーでいいか? それとも嫌いか?」

「ありがとうございます。ミルクティーをお願いします」



 ミルクティーを受け取る。紅貴はコーヒーを購入したようだ。優太はプルタブを開けて中身を口に運んだ。馴染み深い味わいにほっとする。玲がご馳走してくれた紅茶とは風味が違った美味しさがある。



「聞きたいんだが本当に妖怪と人間は一緒にいられないのか?」



 コーヒーを片手に紅貴。



「そうですね。僕が知る限りでは……」



 紅貴が眉を顰める。



「あんたはどうなんだ? あの猫も妖怪なんだろ。短い付き合いには見えないぜ?」



 ああ、なるほど。

 優太は合点する。



(だから、さっきについて聞いたのか)



 ドブと優太の共有している時間が短いとは思えず、ゆえに紅貴は疑った。霊能力者だけに許された裏技のごとき抜け道を。



「ドブは通常の妖怪とは少し事情が違います。猫又という妖怪なのですが平たく言えば妖気を持ってるだけの普通の猫です。非常に強い力を猫又もいますが、ドブは違います。通常の猫より賢いですが寿命は変わらず病気にもなります。僕がドブと一緒に活動できる期間はドブが健康体である間だけです。僕はドブと三年近く一緒にいますがドブは生まれてから五年ほど経ってます。人間年齢で三十代後半です」



 そうなのだ。ふとした瞬間に実感するがドブはまさに『おっさん』だ。三十代後半を『おっさん』と定義することに議論の余地はあるだろうが結歩で縦横無尽に駆け回っているのも猫の身体能力が成せる技であって若いわけではない。



「歳を取れば一緒に活動することは難しくなりますし、病気のリスクも上がります。普通に暮らす分には問題ないでしょうが……」



 例えば猫の七歳は人間年齢で四十代半ば。トッププロのアスリートでも確実に引退する年齢だ。『結歩』で空中を高速で駆け抜けたり妖怪と戦闘を繰り広げるのは過酷だ。優太としてはドブの安全面も考慮したい。



「僕はドブのおかげで霊能力者を名乗れてるところがあるのですが、一緒に活動を続けられるのは長くてもあと二年未満だと覚悟してます」



 ミルクティーを、飲む。



「そう、なのか……いや、でも…………あんた、霊能力者って仕事が好きだよな?」


「わかります?」


「ああ。だったら辛いんじゃないのか? どうして、そんな当たり前みたいに納得できるんだ?」



 理解できない、紅貴のそんな顔を見ていると、昔のことを思い出した。



(いつだったかな。麻衣ちゃんに期限付きの霊能力者になるって話をした時かな……)



 人生の岐路でもあった。優太の決断に当時の麻衣は猛反対した。息の長い強力な霊能力者になる道があるはずだと諭してくれた。だが、それは希望的観測だった。霊能力者の夢を諦められず現実的でもあった優太は自分なりの答えを模索した。選択肢は最初から限られていた。その中でドブの力を借りて条件付きの弱い霊能力者になってでも夢を叶えた。優太はそのことを誇りに思っている。



 納得したかったわけではない。受け止めて前に進むしかなかっただけで。



「終わりが見えてるのは辛いですね。でも、そもそも霊能力者になれたのが奇跡みたいなものです。嘆いている暇はないですよ。そんな時間があれば霊能力者として後悔がないように生きたいんです」



 あと二年しかない。事実だ。だが、だからこそ優太はその時間を大切にしたい。大切にしてみせる。


 

「…………」



 紅貴が黙り込んで、優太を見た。



「どうされました?」

「…………」

「……?」



 沈黙の意図を掴めなかったが、優太はしばらく紅貴に付き合った。紅貴はコーヒー缶を眺めてはちびちびと口に運んでいたが、それから大きな溜息を吐いた。



 そして、不意に空を見上げた。

 先ほどの空白は事情を打ち明ける決心のための時間だった。



「俺の会社な……無茶苦茶だったんだ。ノルマは無理販前提だし、上は頭が昭和かってくらい考えが古いし、コンプラなんて知ったことかみたいな感じでさ、それでいて四六時中ノルマの話だ。後輩は子供かってくらい常識ねぇし、上からは下への愚痴ばかり。下からも上の愚痴ばっかりでよ。『後輩を導けないのは上司の責任』とか言われてもお前らも上司だろって思うし、俺の同期は俺よりも仕事してないし引き継いだ取引先からはクレームばっかで『間柴君。君が担当して』なんて電話が連日かかってくるのに上司には気に入られてるし、上司は普通に休みもらってんのに『間柴君さぁ。数字取ってないのに休むのおかしくない? 仕事してから休みなよ』なんて当たり前に言ってくるし、そんなの部下から慕われなくて当たり前だろ? なのに『君さぁ。自分の部下のフォローもできないのになんで他のチームの面倒見てるの? 報連相の基本わかってる?』なんて言ってきやがる。後輩に何度も説明してるっての。『間柴さん以外に相談しても力になってもらえない』なんて何度聞いたことか。本気で限界来たから有給の申請したら『ふざけるな』だぁ? ふざけてんのはお前らだろ。書類も企画もクレームも丸投げしてるくせに、手柄だけ自分のものにしやがって」



 紅貴が憤りを、絞り出す。



「それで本気でブチ切れて『辞めてやる‼』ってオフィスで言い切っちまった。それからしばらくは荒れた生活をしてた。毎日酒を飲んでな。そんな時、キヨに会ったんだ。最初は見た目に驚いたがすぐに純粋な性格だってわかった。俺を色眼鏡で見なかった。キヨと接してるうちに俺は自分が周りに対して背伸びして見せてるってことに気づいた。相手を見てなかったし、正直な自分を見せようとしてなかった」


「気づかせてくれたのがキヨさんなんですね」



 優太は霊能力者であり、紅貴が味わった会社員ならではの苦しみや葛藤がわからない。だが、紅貴が懸命に努力して傷ついて辛かったこと。そして、キヨが紅貴にとって大きな存在であることを改めて理解した。



「ああ。はじめてプレゼントを買った時なんか驚いたよ。何を選んだ方がいいかわからずファッション雑誌を買ったんだ。しょうもないかもって思ったんだが『すごく興味があったんです。嬉しいです‼ こんなもの? とんでもないです。紅貴さんが私のために選んでくれただけで嬉しいです‼』だと。そんなことを本気で嬉しそうに言われたらたまらないだろ?」



 紅貴が愛おしげに笑う。



「はい。可愛いなって思いますね」



 プレゼントを渡すなら素直に喜んでくれる女性に渡したい。勿論、つまらないプレゼントでも喜べよ、というつもりはない。



「ああ。俺が仕事を辞めた理由を話した時も『私は難しいことは分かりません‼ でも、紅貴さんは私を助けてくれました‼ 優しくしてくれます‼ そんな紅貴さんの力になれるなら私は何でもします‼』なんて本気で言ってくるんだ。酒飲んでる場合じゃねぇって思ったよ。俺こそ力になりたいと思った。純粋にキヨと一緒にいたいって思った」


「本当に素敵な女性なんですね」


「ああ。人間同士で会いたかったと本気で思う。もう一度初恋してるような気分なんだ。キヨがいなくなるなんて、想像したくない」



 少しだけ見くびっていた。紅貴の想いを。その内側を吐露してくれたことは純粋に嬉しかった。霊能力者でなくても本心を打ち明けてもらえるのは嬉しい。しかし――



「悪い。つい、話し込んじまった」



 紅貴はバツが悪そうに、ゴミ箱にコーヒー缶を放り込む。



「いえ、話してもらえて嬉しかったです」


「あんた、いい奴だな。ついでにもう一つ聞いていいか?」


「はい。勿論です」


「結婚したら成仏する。つまり俺たちは一緒にいられなくなるわけだ。それがわかってても、結婚したいのかな? キヨは」



 紅貴の瞳が寂しそうに、揺れた。



(そう、だよな…………そうなるよな)



 本気で想っている。ならば、恐れて当然だろう。避けたいと願うだろう。別れを。


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