三章 恋情のお歯黒べったり

一話 微笑みの理由

前書き

いつも自作をお読みくださりありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。





「くそったれがッ」



 俺は爪先で小石を蹴飛ばした。滅茶苦茶に酔っぱらっていた。平衡感覚絶賛喪失中の酩酊状態。勢いと快感任せの泥酔なんのその。


 ご苦労様です、社畜ども。無職で煽る酒は最高だぜ?


 それでも、イライラが止まらない。不快感を拭えない。流行りの漫画やアニメを見ても駄目。美味いと評判のラーメンを食べても、運動で発散してみても、まるっきり駄目。傷口が猛烈に痒いのに、患部を放置して痒みを忘れようとしてるような感覚。


 わかってる。どうして、こんなに苛つくのか。娯楽やアルコールで解決できないのか。でも、どうしろってんだ。俺だってこんなはずじゃなかったんだ。



「くそがッ‼」



 今度は近くの空き缶を蹴り飛ばす。酔いが回ると攻撃的になる人間がいる。俺もそのタイプらしい。足元のゴミさえ苛立つ。時刻は午後十時二十四分。飲み始めが早かったのでタクシーを使わずに済んだのは良かった。電車に乗り自宅の最寄り駅で降りた。コンビニで買ったビールで歩きながら水分補給。自宅まで徒歩三分。その距離を今まさに歩いてるわけだがそれさえも気に入らない。


 どうして、アパートが目の前にないんだ?


 飲んだ日くらい俺の目の前に、そっちから来いってんだ。家主を歩かせるなんてとんでもない物件だぞ。気が利かせろよ。こっちは退去してもいいんだ、糞アパートめ。そんなことを考えながらふらふら歩いていく。


 アパートは郊外なので都心部特有の夜の喧騒は見当たらない。頼りない街灯を目印にぶつくさ言いながら進む。その時だった。



(あ……? なんだこりゃ)



 前方に着物姿の女が座り込んでいた。俺に背中を向けている。こんな時間に何をやってんだ?


 いや、どうでもいい。だが、俺の進路を塞ぐなよ。避けてもいいが、歩道に座り込む非常識女のために、気を遣うのも馬鹿らしい。俺はそのまま前進した。



「おい。邪魔だ」



 爪先で小突く。反応がない。俺に背中を向けたまま。その悠長さが勘に障った。



「さっさとどけッ‼ 邪魔だッ‼」



 女が肩を震わせた、ように見えた。『女には優しくしろ』と宣う連中もいるが時と場合による。少なくとも、通路を塞ぐ邪魔者に優しくする理由はない。しかも、うざったいことに女は未だ背を向けたまま道を譲らない。むかついた。下手したてに出たので舐められているのだろうか。



「おいッ‼ いい加減にしろ」



 女の肩を掴んで、強引に振り向かせる。



「…………なッ⁉」



 俺は息を呑んだ。女は普通ではなかった。肌がマネキンのように白い。比喩ではなく白い。しかも、顔の表面がつるりとしていて目と鼻が存在しない。明らかに人間ではない。



「お、お前……⁉」



 女がにちゃりという効果音が聞こえてきそうな仕草で笑う。街灯に晒されたその口内は肌とは真逆の漆黒。前歯から奥歯の隅々まで黒い。所謂お歯黒というやつだ。目と鼻のない真っ白な女が真っ黒な歯を見せながら微笑む。そのあまりにも不気味な笑顔に俺は――



 女は妖怪だった。そして、当時の微笑みの理由わけを俺はあとから知ることになる。



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