二話 いやいや、なにやってんの?


 憑依を解除した優太は自転車に乗って現場へと戻った。例の女子高生は意識を失っていたようでバス停のベンチに座らせたままにしてある。少女をベンチに放置するのはあらゆる意味で危険なためドブを見張りに立てつつ優太は全力で自転車を漕いだ。


 そして、現場に戻ったのだが目の当たりにしたのは少しばかり信じがたい光景だった。少女がバス停に座りながら眠っている。その膝の上に、ドブが丸まっていた。



「いやいや、なにやってんの?」

「みゃあ〜〜」



 いつも通り気の抜けた声。こら、欠伸するな。いや、そうじゃない。そもそも『みゃあ』ではないのだ。意識を失ったわけあり少女の膝の上に陣取る理由はないはずだ。


 外傷はないとはいえ意識のない人間の膝を借りるというのは人としてどうなんだ。いや、ドブは猫だった。違う、厳密に言えば猫又だった。猫又にとっては常識なのだろうか。優太にはまるでわからなかった。



「みゃあ」

 


 ドブが気持ち良さそうに少女のスカートを両手でにぎにぎする。マイペースがすぎる。



「本当なにやってるの?」



 呆れてしまう優太だったが、ドブを引き剥がすためには少女に触れなければならない。身体に触れた瞬間に少女が目を覚ませば痴漢と誤解されること間違いなしだ。



(そういや、僕が寝てる間に毛布のうえに上がってくることもあるか。彼女に危害を加えるわけじゃないし気にしすぎなのかな?)



 優太は考えることを諦めて周囲を警戒することにした。視界に入ってくるのは往来する自動車。田園風景を横切る広い道路。遠方には緑の山々。のどかな雰囲気である。



(そうだ。さっきは苦労したけど、あとで人体を支えるのに特化した結界を作る練習しとこう。さっきのでなんとなく感覚掴めたし、役に立つ時があるかもしれない)



 優太は結界の扱いは不得意ではない。ゆえに結界を高速で展開し続ける結歩を使いこなしているわけだが、要は結歩の応用だ。範囲と強度を引き上げるだけ。結界というのは本来邪悪なものを退けるものであり物理的強度を高める必要はない。しかし、そういう結界を扱えれば人命救助などに役立ちそうだ。


 優太は攻撃霊術のセンスは皆無だが結界の形成センスはそこそこある方だ。一級品と呼べる才能ではないが、得意分野があるだけでも自分は幸運だと思う。



「それにしても、のどかだなぁ」

「みゃあ」

「狐憑きがいるなんて信じられない」

「みゃあ」



 そこまで言ってから自らの言葉を内心で否定した。のどかであることは妖怪の有無に関係ない。そのことを優太はよく知っていた。



「ここ、は……?」



 ふと、戸惑ったような声。例の少女だ。体格は小柄で少し猫背だ。黒く長い頭髪は少しだけ癖があるようで、毛先が跳ねている。小顔で可愛らしい顔立ちだと思うのだが、両眼が前髪に隠れていて表情がわからない。



「…………良かった。目が覚めたんですね」



 優太は少女に微笑んだ。彼女からすれば怪しい男だと思われても仕方がないのだが、できれば話を聞いてほしい。



「あなたは? どうして……膝に猫が?」


「みゃあ」


「…………そうですよね。とても混乱されているとは思うのですが先ほどあなたは何者かに殺されかけました。覚えていますか?」


「…………ッ‼」



 少女の表情が恐怖で強張った。



「妖怪の仕業だと考えられます。自己紹介が遅れましたが僕は織成優太。霊能力者です。嫌な気配を感じて駆けつけたらあなたが陸橋から落とされそうになっていたのでそれを止めたんです。最近身の回りで起きたことについて教えていただけませんか?」


「…………ッ」



 妖怪という単語を笑い飛ばさないあたり、少女にも思うところがあるのだろう。これは手掛かりが期待できそうである。


 そう考えたのだが、少女の様子がおかしい。顔色は青白く、唇が小刻みに震えていて、明らかに怯えている。



「もしかして、具合が悪いですか?」



 返答はなかった。堪えるように唇を噛み締めている。



(どうしたんだろう? 僕が怖いのかな? それなら)



 優太は一度少女から離れて近くの自販機でジュースを買うことにした。季節は春だがまだ肌寒い。優太は温かいカフェオレとココアを買ってベンチに戻った。経済的な理由で無駄な出費は避けたいが、こういう出費は無駄とは言わない。


 ココアを少女の手元に置いて、少し距離を空けてからカフェオレを飲む。今回のような場合、無理やり話を聞くのが正解だとは思わない。少女も頭の中を整理したいはずだ。


 優太は五分ほど様子見したが少女は俯いたままでココアにも手を付けなかった。



(なるほど。どうしたものかな?)



 優太がそんなことを考えた時だった。



「みゃあ」



 ドブが少女を見上げながら鳴いた。



「猫ちゃん……?」



 少女がドブを不思議そうに見る。そもそも彼女が猫嫌いなら悲惨な展開になっただろうが、ドブは気にしない。そのまま尻尾をふりふりして少女のほっぺたをぺちぺちと柔らかく叩いたのだった。その行動にどんな意味があるのか優太には全くわからない。


 ついでにはっきりさせておきたいのだが、少女が俯いていた間もドブは少女の膝からは下りなかった。どれだけ膝が好きなんだか。あるいは少女の膝がよほど心地いいのだろうか。いや、こういう発想は不純だ。



「えっ……わぷっ…………あ、あの?」



 少女が困っている。しかし、閉塞的だった雰囲気が和らいでいくのが傍目から見てもわかった。動物セラピーという言葉が頭に浮かんだ。ドブが変わらず尻尾をふりふりする。



「ぷっ……ふふっ…………くすぐったいよ」



 少女が楽しそうに笑う。意識のない少女の膝で当たり前のように丸くなっている姿を見た時は『こいつマジか⁉』と思ったがあれはあれでよかったのかもしれない。今回はドブの気ままさに感謝した優太であった。



「良かったらココアも飲んでくださいね」



 優太はそのように告げるとカフェオレを飲み干した。



「あ……はい。ありがとうございます。すみません」



 少女が申し訳なさそうに頭を下げる。



「謝ることはないですよ」

「みゃあ」



 ドブは彼女に背中を預けて座り込むと(スコ座りのように)、ドヤ顔してみせる。憎たらしい顔だ。だが、そこが可愛い。



(実際にドブのおかげだし機嫌が良さそうでよかった)



「ドブ、すごいぞ」

「みゃあ‼」



 ドブが満足そうに目を細めた。褒めたら素直に受け取るところはドブの魅力の一つである。



「改めて名乗らせてもらいます。僕は霊能力者の織成優太です。そっちの猫は付き添いで、名前はドブです」


「私、は……その、桃原ももはら心愛ここあです。その、人と……話すのが、苦手で…………小原高校の二年です」



 前髪に隠れていた心愛の瞳と目があった。優しい目をしている。



「先ほど話しにくそうにしていたのはそれが原因ですか?」



 心愛が頷いた。苦手というより恐怖していたように見えたが本人が言うならそうなのだろう。



「そうでしたか。驚かせてしまってすいません。では桃原さんとお呼びしますね。僕のことは織成でも優太でも構いません。それで、桃原さん。早速なのですが先ほどの件について聞かせてもらえませんか?」


「え、えと……あの…………」



 心愛が言い淀む。なにかを打ち明けるべきかを迷っている?



「話してくれれば狐憑きに取り憑かれた人物を救うことができるかもしれません」



 何げなく呟いたのだが、心愛の瞳の色が変わった。



「取り憑かれた……? その、狐憑き……に取り憑かれた人はどうなるんですか?」


「一概には言い切れませんが心を蝕まれます。言動が矛盾したり気が触れたような発言をしたりして、のちに狐憑きに体を乗っ取られるようになり、本人の気づかないところで悪事を働きます。それでいて本人には記憶がなく周りから謂われのない悪事について追及されて追い詰められていきます」



 心愛の顔が青褪めていく。やはり心当たりがあるのだろう。



「僕は別件でこの町を訪れたのですが狐憑きは放置しておくには危険な妖怪です。除霊できるかどうかはさておき、できるだけ情報を集めたいと思っています」


「そ、そんな…………それって…………」



 心愛の顔からは一切の血の気が失われていた。その豹変ぶりは不吉ですらあった。



「大丈夫ですか?」

「は、はい……」

「では、話を聞かせてもらえますか?」

「………………」


 返ってきたのは長く重い沈黙。その時間が勿体ない。しかし、彼女が宿主と親しい間柄ならばその証言は重要であり待つ価値はある。そして、心愛は全ての沈黙を吐き出したのちに、決定的な言葉を口にした。



「友達が取り憑かれてるかもしれません」


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