第51話 鏡のおくすり~王都パレス~(2)

 フランシス国の王都パレス、その南西部の森を切り開いて造られた大宮殿があった。

 かつて無茶苦茶な性格の王様が、様々な職人たちと学者たちを大勢使って、8km四方のエリアに、庭と噴水と科学実験場と議会と全ての人たちの居住地などなどなど……を人工的に造った。

 建築、造園、科学、農学、植物学、その他色々。この国の全ての学門や技術が詰まっていた。

 小さな世界になった宮殿が、あらゆる学問と職業へ貢献したのは間違いない。


 例えば、大噴水。

 この水場を造るために、パレスの運河の流れを改造した。わざわざ、この地を通るようにしたのだ。

 王都におかれた浄水施設の技術は、この宮殿のからくり仕掛け揚水装置を大いに参考にしている。

 無茶苦茶な先王の趣味が、今の庶民が使う水の質を改善した。

 今現在、在位しているランス王は、凡庸ながら賢君である。こんな贅沢な先王の技術を、庶民向けに使うことを許可している。

 戦後で庶民は苦しい生活だ。だが、王政に反発が少ないのは、王が自分の持ち物をどんどん庶民へ流しているからだろう。


 さてさて。

 それでも王の庭は、一流の管理だ。植物の色が艶々している。空間の匂いがとても強い。

 貧乏をこじらせた私が見ると、市場で高価な薬草もたくさんあった。

 この場所の植物を傷つけたら、何年がかりで弁償だろうか。私は吐き気がして、ただ恐縮してしまう。

 庭は恐れ多くて、すぐに見るのを止めた。


 宮殿の中に入り、控えの間にいる。

 私は視界に少しフィルターをかける。

 お金を意識して、私ごとき庶民の子供は失神しかねない。

 それでも経験も耐性も、子供の私は低い。徐々に強くなる違和感。めまいと一緒に、のどが渇いてくる。

 椅子に縮こまって座る。小動物のように震える私。


 キュー? 

 フカフカの赤い絨毯じゅうたんに座り込み、私を見上げるアルトは、居心地が良さそうだ。

 相棒、私の心配をする余裕があるのだ。少し羨ましい。


 神経過剰な私は、ドアが少しだけ優しく開いたのに、全力で椅子から飛び跳ねた。

 凛とした女声がした。椅子にお尻から着地してからも、私はまだ動揺していた。


「あらあら。可愛らしいお客様。緊張なさらず、お水をどうぞ」

「え、ええ、はい……」


 声の主、ランス王の妃、エレン。

 この王妃に、どれだけの才能を神は与えたのだろうか。

 全体的に黒を基調としたドレス。漆黒が深く、気品の高さが分かる。

 何より、こんな高そうなドレスに負けない超がつく美人なのだ。

 黒に飲まれていない雪白肌だ。金髪は透き通るようで、長く美しい。切れ長の目は、見る者を圧倒するサファイヤのようだ。

 完璧な笑顔で、淑女の手つき。気を遣って頂き、水の入った杯を差し出された。


 薄汚い魔法使いの娘である私は、困った笑みを返すので精一杯だった。


「王妃様……ありがとうございま……」

「キュッ!」


 私が両手で杯を持った途端、床にいたアルトが跳ね上がった。

 グビグビ。

 相棒ものどが渇いていたのか。王妃からもらった水を全て飲まれた。

 私を驚かすのは、相棒の役目だ。

 ただ私よりも、エレン王妃の方が驚いた目をしていた。


「あぁ、もう、アルトぉ!」


 私は王妃にどう許してもらうか、とだけ考えていた。王妃の顔が、不愉快で歪んでいたからだ。

 キュ……。

 アルトは、力なく床に落下した。口から泡を吹いてケイレンし出した。

 ど、どういう意味……?

 王妃の歪んだ表情の意味。もしかして、だけど!

 ドラゴンの子供の悪戯を見て、大人の苦笑ではない。

 それは、私に向けられた憎悪なのだ。


「どういうことですか!」

「ち、命拾いしたな。忌々しい血の娘め」


 エレン王妃は、私たちを置き去りにさっさと部屋を出て行った。

 アルト……アルト! 誰か私の相棒を助けて!

 弱々しく震える相棒を抱き抱えて、床に座り込む私は、恐怖を前に何も出来ない小娘だった。


 飛んできた少年は、勢いよくドアを開けて、私たちの元に滑り込んできた。

 銀髪、青瞳、病的に白い肌。王族というものは、見た目こそ弱々しく見える。

 だけど、怒りの目をした彼は、フランシス王の血を継いでいる。まさに獅子の風格を持っていた。

 私を見ていない彼。

 小さなドラゴンの子、アルトの脈を取り、その呼吸音を聞く。

 床の上に転がるコップを見て、王妃と同じような舌打ちをした。

 獣に毒を盛った。

 そう結論した彼は、上着の中から注射器を取った。手慣れたようで、小瓶から液体を充填する。


「坊や、解毒するよ。少し痛いけど、頑張ってくれよ」

「待って! 人間用の注射液をドラゴンの子供にするの?」

「黙れ、手元が狂う。ドラゴンの血が特殊なのは、百も承知だ」


 毒舌の少年は、低い声で感情なく言う。

 黙ったおかげで、ようやく私は冷静になった。ついでに、彼が誰であるか、気づいた。

 フランシス国の王子、レイだ。

 父王の英断力と、母親の残忍さを、どちらも引き継いだ少年だ。

 

 王子の言っていることは正しい。悔しいが、私の落ち度を認めないといけない。

 解毒は1分1秒遅いと助からなくなる。

 迷っている私よりも、獣の扱いに特化した王子の方が、今確かな判断が出来るのだ。

 ドラゴンの硬い皮膚が、注射針を阻んだ。

 アルトは驚いて動きかけた。レイは優しくアルトに語り掛けた。


「君の苦しみや痛みはわかる。ここで動くと、全部のくすりが君の身体の中に入らない。俺に君の命を救わせてくれないか。お願いだから、もう少しだけ頑張ってくれ」

「……」


 静かに語り掛けられたので、混乱中のアルトでも、自分がどういう状態か分かったらしい。

 おとなしく抵抗を止めた。素直な奴、相棒は良い子だ。

 半開きの目のアルトは、毒の痺れで動けないようだ。

 それは、早い解毒のおかげ。

 つまり、相棒の心臓を止めにかかっていた毒は、痺れ程度で消えて行くだろう。


 すぐに、レイは注射針を抜いた。

 アルトの頭をそっと撫でる。


「よく頑張ったな。君の頑張りが君の命を救った」

「……」


 何も出来ないアルトは、ただ目を細めて、安心して眠りについた。

 レイは「客間に案内する」と冷たく言い、アルトを抱き上げて、さっさと歩き出した。

 私は俯き黙りながら、後について歩く。


 恐怖が去った私は、安心よりも自分自身への怒りで震えていた。

 アルトは私の相棒なのだ。一番先に救ったのは、私じゃない。

 現実は苦い味。先ほど、レイ王子が専門知識と技術でアルトを助けた。

 もう事実は確定し、過去のものになっていた。


 今、客間のベッドに、アルトを寝かしつかせ、水を飲ませているのは、レイ王子だ。

 私は、部屋にいられず、窓から外に出た。

 帽子を目深にかぶり、庭をテラスから見た。奥歯をかみしめて、こぶしを握った。

 これほど、私は自分の行いを恥じたことはない。怒りと恐怖で、自分のなすべきことを見失った。

 ゆっくりと冷淡な言葉にして、愚かな自分を戒める。


「マリィ。真っ先に怒ったために、苦しむ相棒を、どれだけの時間そのままにした? その後も無様だ。真っ先に救うべき命より、自分の恐怖を優先するのかい?」


 冷静さを失ったため、行動しなかった。

 とっさの行動が出来た王子へ、私は間違った言葉を発した。

 わずかな時間の中、2個も、3個も、何個もミスが重なった。

 私の判断ミスで、アルトを殺していたかもしれない。そうならなかったのは、不幸中の幸いだけど……。


 もう庭は見えていなかった。

 雨は降っていないのに、床に落ちた雫。

 私の足下は濡れて行く。


 何も解決しない怒りの後、私はどうしようもなく、辛く悲しかった。

 怒りや恐怖、それに忠実に従った私を、誰かに罰してほしかった。

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