第38話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(8)

 私は自分の無知に苛立った。

 この干物は、航海をする民族の主食だ。北方のヴァルキリや南西のレオニアなどで流通している。

 日持ちがする。水で戻すのは面倒だが、かなりの高栄養源らしい。

 今日も教会の外で、シスターと一緒に塩抜きをしている。

 隣のシスターは、手を動かしつつ、大笑いしている。


「まさか、あのまま食べると思わなかったよ。私らの親子ゲンカが、驚きで止まったからね」

「穴があったら、ずっと入っていたい……」

「2代目とはいえ、海賊イグニスを従えているマリィはこの街でも最強の位ね」

「それも思慮が足りなかったと、反省しています」


 私は顔から火が出るようだ。

 そのイグニスさんは、アルビオンへ発つ船がないか聞きに港へお使い中である。もちろん、アルトも相変わらず、イグニスさんの肩に乗って行った。

 ユールは基本、眠たいのだ。起きていると騒音だらけなので、寝ることで体力を保っている。因みに耳栓をしているので、近づく気配がない限り、ユールは起きない。

 私はそろそろ、北の隠れ家を出発するのだ。そう思うと、何だか寂しい。

 怒っていた私の顔が、急に沈んだように見えたようだ。

 冗談を言っていたシスターが、今度は困って小さく笑った。


「何度でも言うよ。いつでも帰ってきなさい。今度はポンコツな男どもも連れてくればいいさ」

「お師匠とリガルさんですか」

「正直、仲間どもはみんな必死すぎてね。その命が心配なのさ。国や将来の大きいことを憂い、行動するのは立派なことだよ。でも、どんな小さい人間にも心休める場と時間が必要なのさ」

「私も仲間ですか」

「はは、今更そんなこと言うのかい。うちの娘がここに連れて来たときと、今じゃ表情が違うよ」


 シスターは強がりだ。それでもこの場所を守るために、クリスタンの街に娘たちと残っている。

 かつて海で強かった両腕で、私は抱きしめられた。

 そこで気づいた。守る者たちの心配を埋めるため、私たちは外で一生懸命働いて、報告することが出来る。

 今の私は、弱く細い少女の腕だ。

 今度、私がこの場所に帰ってきたら、今より大人の表情に変わったと、仲間たちに褒めてもらえるだろうか。


✝✝✝✝✝✝✝✝


 数日後、塩抜きが終わった。

 太陽の強さが日増しに増えている。夏至祭はもう1か月後だけど、私はその前にアルビオンへ旅立つことになった。

 クリスタンでの、最後の夜だ。


 イグニスさんや街の商人さんたちをこき使った少女マリィを一目見ようと、夏至祭を前に街の人がたくさん教会を訪れた。

 塩戻しした鱈は、他のカラフルな具材と一緒にして、煮込み料理に生まれ変わった。

 冬を越えたノルドの民たちは、やはり狂ったように明るい。酒臭い匂いと、笑い声が聞こえる。

 イグニスにべったり付いていたアルトが、寂しくてごねると思った。そんなベビードラゴン君は、私の心配をよそに外で大食い中だ。


 ここが何処かって?

 赤茶の温水が流れる地下道の扉の前に、私は立っている。

 オオカミ姉妹の隠れ部屋が扉の向こうにある。

 その妹の方、ユールはよく音を拾う。

 だから、私が旅立つことが分かるのだ。だけど、離れる寂しさが受け入れられない。

 昨夜は私やアルト、姉のイグニスさんでさえ、この部屋の扉を開けることが出来なかった。

 小さくすすり泣く音を前に何が言えたのだろう。

 教会の書庫で寝るというイグニスさんにアルトを預けて、私は閉じたドアにひたすら話し掛けていた。


 はじめ、心を閉ざさないでと、私の意見しか言えなかった。

 そのうち、何でもない私の物語を始めていた。

 半人前の私がフランシスを出て、四大自由都市でアルトと相棒になって、アンジェリで兄弟子のリガルさんと声の無い聖女を助け、ヴィネーでマフィアに追われ、逃れたハイネスでエルフのブラウンと鉄道の旅をして、女エルフ宰相のメドラさんに大気汚染の問題を直訴した。

 そこでお師匠と合流して、ヴァルキリ海賊の2代目イグニスさんの船でクリスタンの街に来た。港に降りた途端、お師匠は「マリィは1人で仕事してくれ」とさっさとインペルに行く。

 次のお仕事でアルビオンに、私は行くことになる。でも、その前に私の心と身体は限界だった。


「ユール、私はあなたに渡したいものがあるの。疲れた私を癒してくれたお礼がしたい」

「……」


 無言。私は扉に耳を当てた。

 カリカリと妙な音が扉の向こうから聞こえる。

 このままお別れをせず、アルビオンへ旅立つわけに行かない。

 それはマリィの心情と反する。だから、閉ざした扉からユールを意地でも引っ張り出す。


「姉弟子ユール、末の弟子からお願いがあります。外はうるさいかもしれない。その複耳を好きになれない人もたくさんいるかもしれない」

「……」

「私はこの街の人には顔が利くようになりました。あなたのお姉さんよりも強い女と思われているようです」

「……」

「その強い魔女が編んだ帽子があるんです。この帽子、石を投げる人から、あなたをきっと守ってくれます」

「逆じゃないの。マリィの帰る場所は私が守る。扉を開けるよ」


 確かにそうだけど。

 私は扉から離れた。お師匠もだけど、ユールも紙に文字を書くのが速い。

 大量の紙が、部屋の中に散らばっていた。

 全部、私がフランシスからクリスタンへ来るまでの話だ。

 ユールは目の下に隈を作っていた。その手の指は黒いインクで汚れている。

 驚いている私に、姉弟子としてユールは淡々と話す。


「ただで帽子をもらおうと思えなくてね。この紙に書いた史伝に付加価値をつけてみせてよ。その時が来たらマリィの物語を、スコーネの資料館へ納めるから」


 驚きながらも理解しようと、私は震える口を動かした。ユールはこれまでないくらい饒舌だった。


「スコーネの民が世界の遺産を集めている場所に?」

「まだ歴史資料として納める価値がない。今度帰ってきたら、マリィはきっとそれくらいの大業を成す。きっと私たち弟子や師匠のクロウドもあなたは越える。歴史価値のある物語の続きを約束してほしい。この約束が果たされたら、帽子を預かりから受け取ったことにする。これでもノルドの民の私は、対価を重んじる文化人だ」


 私は編んだ帽子を大業の前払い、約束として差し出した。ユールは表情変えずに、帽子を前受けとして預かり、その場でかぶった。


「マリィ、似合っているかな?」

「ユール、とっても似合う」


 私たちは疲れた顔を笑わせた。そして、2人で手をつないで、地下道の先に待っている宴会場へ向かった。

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