第36話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(6)

 今まで旅で見て来たような、材料や装飾にこだわった立派な建築というわけではない。

 私は実家に帰って来た安心感で、昨日は地方都市に佇む教会の景観を見逃していた。どちらかと言うと、隠し扉の向こうに地下道が広がっていたことばかりに目を奪われた。

 年季の入った黒い木の梁、そして補修の跡が見える天井。窓枠は何回か外れているのだろう、投げやりに直した跡がある。

 ユールは珍しくフードを取った。そして、少しかび臭い奥の部屋に進む。

 殺気。私は反射的に、後ろへ猫のように足を跳ねた。

 大人の低い女声がした。ユールが窓をあけて、修道服をまとった大柄の女性が現れる。


「眠い……本気で眠い……着替えたけど、もう5分だけ寝かせて……」

「あなたがシスターさんですか?」


 半開きだったシスターの目が開く。キリッとした釣り目が、何処となくイグニスさんとそっくりだった。

 舐めるように、下から上へ私は視線をぶつけられた。

 そして、花が咲いたように喜んだ顔。シスターは、両手を広げ、私を抱きしめた。


「ジャンヌそっくり! 小さいのと、目が厳つい以外は、ジャンヌだね!」

「ジャンヌって、人違いじゃないですか? 何で、私のお母さんの名前を知っているんですか?」


 私は理解が追い付いていない。すると、シスターは私を両手で離した。少し顔を見て話す空間ができる。

 イグニスさんに向けられた悲しい目と同じ。初対面の少女に向けるには、感情が強すぎるのだ。

 間がやや空いて、シスターはユールに尋ねた。


「まさか、クロウドもあんたたちも、この娘に何も説明をしていないの?」

「お母さん、誤解です。私は、いや、お姉ちゃんはマリィを妹弟子だって、ちゃんと伝えました」

「ユール。私の怒りを読んで怯えているのは分かるよ。わざわざ、頭巾を取って、耳を見せたのもそのためだろう」


 複耳が少し下向きである。確かに怖がっているようだ。

 シスターが、このハーフウルフ姉妹の母親で間違いないようだ。

 私にはすでに母親がいない。でも、本の物語では、娘は母親に怒られると、反省した顔になる。

 ユールは感情が乏しいので、耳を見てくださいとわざわざ自己主張したのだ。

 シスターは愛のある怒り方をした。怒られた原因を、あえて娘に考えさせたのだ。


「ユール。あなたは私になぜ怒られたかわかる?」

「クロウド師匠の姉弟子であるジャンヌのこと。それをマリィに伝えなかったからです」

「そういうことさ。メンドクサイからって、私に頼もうとしている魂胆が見えるね。それは違わないかい」

「お母さん、ごめんなさい。私がマリィに伝えます」


 目の前で親子の話し合い中。私はこの空間を客観視していた。

 私はこぶしを握って、ただ耐える。

 自分じゃない、自分の番じゃない。なんでこんな意地を張ってしまうのだろうか。

 無情にも、ユールは口を開く。


「マリィは聞きたくない。私、わかっているよ。でも、マリィは、ジャンヌのことを知らないといけない。きっと元気になるし、マリィが決めないといけないことのためになるよ」

「でも! 私はこわくて、それを聞くことが出来ない!」

「マリィ、右と左の手を出して。お母さんが左。私が右」


 シスターとユールと私は、円になる。

 手をつないだ。

 ユールは、私の呼吸に合わせて、その言葉を出した。


「私の言うジャンヌは、間違いなくマリィのお母さんだよ。あなたが物心つく頃、ジャンヌの身体は弱り切っていたでしょう」

「お母さんは、魔女だった……。そっか」


 全てわかった。

 魔法を何らかの影響で失った母は、あんなフランシスの田舎で、父と私と暮らしていたのだ。

 その前の話、クロウドの姉弟子として、100年戦争の末期を乗り切ったのだ。

 フランシスの偉大なる魔女ジャンヌ。

 本を読んだ私は、その逸話も知っている。

 母と名前が同じなのに、どうして天と地なのかと私は不思議だった。


 両手に強い力が入っている。

 感情の関を切った。それが急すぎて、私は大きな笑いが出た。

 決して可笑しかったのではない。赤子が立ち歩くのに苦戦するように、私は生まれてはじめて出たこの感情の処理の仕方が分からなかった。

 2人とも何も言わない。何か言ってほしかった。

 そうでないと私は……泣いちゃうから!


 13歳を前に私は、何年間も押さえていた涙を大声とともに全て流した。

 声がかれるんじゃないか。死ぬんじゃないか。そんな不安もあった。

 両手が塞がれていて、隠すこともできない。

 他人前で、年少の子供のように、ただ喚き泣いた。

 シスターも、ユールも、私の涙に誘われて、顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流した。


 私の陰鬱な過去の悲しみを、一緒に嘆き悲しんでくれる他人がいるなんて知らなかった。

 悲しみが涙で全て流れると、別の感情が心を満たしていた。

 私は素直に嬉しかった。フランシス王に私の仕事が認められた嬉しさとは全く違う。

 シスターは充血した目で、私を見た。どんな女性よりもキレイな目だ。


「あなたの悲しみと私たちの喜びを混ぜて分かち合ったからだよ。マリィ、これで本当に私たちは仲間だ。いつでも、悲しくなったらクリスタンの教会に来な。いいね」

「はい」


 私は帰る場所を得た。そんな気持ちだ。

 辛さや悲しみで溢れかえりそうな心を、自分自身で癒す必要が無くなった。

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