第34話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(4)

 地下隠れ家に戻ると、私は半開きの目で、2人+1匹を疑った。

 思った以上、綺麗に掃除されていた。

 台所の隅々はともかく、配管の周りなどにも目が届いている。

 それどころか、釜に火を入れて試運転までしている。換気までしっかりしているので、100点以上の出来なのだ。

 ノルドの民は怠けているだけで、やれば出来る。そんなことをお師匠も言っていたような気がする。

 イグニスさんとユールは、顔も手もススまみれだった。


「良く出来たじゃん。言うことないわ。顔と手を洗ってきて」


 普通であれば喜ぶはずの姉妹は、何だかホッとして両肩を落としていた。

 そして、謎の会話をしながら、外の水場へ向かった。


「イグニスの言った通りだったねぇ」

「まぁな……」


 ユールは、イグニスさんのことを【お姉ちゃん】と呼ぶ。

 そして、会話中の【イグニス】に対する姉イグニスの反応は、母親にしかられた後の子供であった。それは安心と疲れが混じったような沈んだ声だった。

 2人の隠していることを、アルトは私に伝えようとして、ジーと黄色い瞳を向けてきた。

 子供の主張に構っていると、私の料理が出来ない。

 私は彼も水場へ行くように、表情と右手でジェスチャーした。


「もう1人のイグニスがいるって訳ね……ふーん」


 アルトが言いたいことに、私は気づいていた。

 計量で値切って来た粉をボールにあけて、私はこね始めた。


 しばらくすると、姉妹とベビードラゴンが帰って来た。

 私のパン作りを見ている。キラキラした瞳がメンドクサイ。ご褒美を期待している飼い犬のようだ。

 私は無視をして、作業を進める。

 パンチというガス抜き作業だ。パン生地を左右、手前、奥から1回ずつたたむ。


「あ、たたむやつだ」

「良くご存じで」

「パンの作り方は知っている。時間をかける料理は、腹が減って待てない!」

「え、これから一晩……」

「常温発酵だろ。あー、明日までご飯抜きかぁ」


 子供のように駄々をこねるかと思えば、イグニスさんたちはすでに理解していた。

 どういう調理工程か説明を先にされ、私はちょっと引っかかりを覚えた。

 それでも手は止めず、分割して丸め、生地を少し寝かせている。

 このタイミングで、私はイグニスさんに尋ねる。


「パンを作るのが上手い人がここにいたの?」

「そうそう。昔の話だけど、パン作りが上手い魔女と会ったことあるよ」


 ふーん、と私は軽く流した。わざと無表情を装う。

 初対面で、姉妹の過去にズブズブと入り込むのも失礼だと、私は思ったのだ。

 イグニスさんは、逆に難しい顔になって、パクパクと言葉なく口を動かした。

 言おうとしてためらう。まだ私たちは、それくらいの関係なのだ。


 ユールとアルトが、布のかかった大籠に気づいたらしい。外に置いていたのを引きずって持ってきてくれた。

 ユールは、感情の波が小さい棒読みで話す。


「さっき、見つけたから運んできた」

「あ、ごめん。とりあえず、それを今晩のご飯にしようかと……」


 布をしていても、籠の中でうごめく生物がわかる。そして独特の磯臭さがただよっている。

 私が買った、赤いアレである。

 布をユールたちは取った。ノルドの民にためらい無し。

 イグニスさんは苦笑いをした。値が安いということは、よく食べているということだ。


「あー、やっぱり、ザリガニかぁ。塩で煮るの?」

「手が臭くなるから、嫌とかはないのね」

「うまいもんにそんな思いはない。……けど、正直食いすぎて、飽きてきている」

「茹でる以外……。うーん、アレンジ料理、出来なくはないかな」


 とはいえ、大鍋で大量のザリガニを塩水で茹でる。

 姉妹は慣れた手つきで、ザリガニの殻を剥いている。本当に食べ慣れている。そして、つまみ食いもしている。

 私は姉妹を怒ろうとしたが止めた。

 なぜなら私の相棒、アルトが殻ごと、塩茹でザリガニを怪物食いしていたからだ。


「マリィもちょっと食いなよ。腹減っているなら、楽しく料理だ。それがこの隠れ家のルールだぜ」

「うー。油で揚げるから、食べすぎたら駄目だから……」


 パン作りで残った粉を付けて、油であげる。

 エビやカニみたいに行くはずだけど。

 イグニスさんに緑や赤の野菜を切ってもらい、ユールに皿へ盛り付けてもらった。

 ソースを煮詰めてからかけて完成。

 その間、アルトは野菜の切れ端を食べていた。彼は雑食だ。


 スープとザリガニフライサラダ、それにちょっとボイルのザリガニ。

 まぁまぁな夜食になるのではないだろうか。

 随分と大きい家族用テーブルだった。そこに料理を並べる。

 ちょっとした歓迎パーティだ。

 椅子に全員座ると、イグニスさんはテンション高めにサプライズ発言をした。

 妹のユールも小声で追従する。


「いぇーい! 妹弟子のマリィ、クリスタンへようこそ!」

「マリィ、ようこそ」


 はい?

 渋い顔の私は、理解が追い付いていなかった。

 イグニスさんとユールの2人は、お師匠クロウドの姉弟子だったのだ。


 このザリガニの味は随分と淡泊な味だ。私に限って、薄味にし過ぎたこともないはずなのだが。

 正直に、動揺が出ている。

 私はド肝を抜かれていた。これが北の民流のサプライズパーティなのか。

 うまい! うまい! うまい!

 まるで、飼い犬が3匹この空間にいるようだ。もちろん、そのうちの1匹はアルトだけど。

 呆けながらも私は、木製のナイフとフォークで器用に口へ運んでいる。

 本来なら爆食いしたいけど、今夜の私は気取っていたい。


「そういう食べ方がフランシスだよなぁ」

「失礼かもしれないけど、イグニスさんたちは犬みたいですよ」

「まぁ、大きな括りでは間違っていない。なぁ、ユール?」

「お姉ちゃん、フード取るの、恥ずかしい」


 イグニスさんはそう言うと、ユールの頭にかかったフードを取った。

 金色の綺麗な髪、半開きの瞳。白い肌。イグニスさんとそっくりな妹だ。 

 ただ違うのは、頭の上に2つの複耳が生えている。

 その耳は動いているのだ。


「ハーフウルフ」

「見た目キレイなのに、気性が荒いのは、そのせいだぜー! いぇいいぇい!」

「いぇい」


 手指でVサインをする。ハイテンションのイグニスさんと、平淡がブレないユール。

 そうしている間もザリガニは、空いた片手で食べられる。2人の食欲は止まっていない。

 この姉妹はハーフウルフだったのだ。

 私は震える声で、イグニスさんに尋ねた。


「姉弟子イグニスさん、私にまだ隠していることありますか?」

「うーんと、今のところ言えそうなのは、もう1つかな。もう少し深い話があるけど、マリィの心臓が持たないと思う」

「大丈夫です。今ですら、心臓が激しく脈打っています」

「じゃあ、明日の朝にしよう!」


 うーんと、イグニスさんは背伸びした。海賊は決断が早い。

 何だか、私は食事の量より、すごく胃もたれしていた。自分のことになると、私は後手後手だ。

 無くなったザリガニ料理。そして、パーティはお開きになった。

 丈夫な木製のベッドに身体を横にする。3匹はすぐに寝落ちしている。

 訳の分からないまま、1日を私は終えた。陽が沈まない街で、夜を越えた。

 マリィの旅は、いつも充実しているようだ。

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