第33話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(3)
クリスタンは街としてこじんまりとしている。
住居として開発が進んでいない地区もあるのだ。
ビョルヴィカという入り江の中心街を出て、さらに北へ向かう。そこの公園の端に教会がある。
古の魔法使いは、こういう他人が来ない場所に隠れ家を作った。
いわゆる地下のお家だ。
教会の床下から延びる地下道を歩くと、暖かい赤茶けたお湯が通路を流れ巡っているようだ。
冬を乗り切るための暖房設備らしい。白銀の大雪原か。私も見てみたいな。
ベビードラゴンのアルトが、お湯浴びをしながら歩いている。
イグニスさんは笑った。私の顔に、アルトうらやましいが書いていたらしい。
「人間は駄目だぞぉ?」
「ですよねー」
そこは節度ある魔法使い見習いだ。
私は曖昧に笑い返した。
イグニスさんは錆びてきた扉を強引に開ける。ここが居住区の1つらしい。
そして、中のガス燈をつけると同時に、換気口も開けた。
「昔、うっかり閉じて、妹と一緒に、死にかけたことがあるんだ」
「えーと、あの娘が妹さん?」
毛布に包まって寝ている子犬のようなものがいた。
あれ。私は目をこすった。
いや、私よりも身体の小さい娘だ。薄い金髪と白い柔肌だ。
淡い青色のフード付きの衣服をまとっていた。
ケイレンして、その娘は目を開けた。
「うーん、お姉ちゃん……おはよう?」
「ユール。外は明るいが、もう夜だぞ。生活リズム狂いすぎじゃねぇかぁ?」
「冬眠していたのです」
「もう夏が来るけどな!」
腹の虫が鳴る音がした。
私はアルトを見たが、ちょっと怒った目で睨まれる。あ、君ではないのね。ごめん。
ユールは、小さい声で正直に言った。蚊の鳴くような弱々しい声だ。
「お姉ちゃん、お腹減った」
「あぁ、そうそう。これから買い出しに行ってくるよ。何食いたい?」
「パン」
「あー、市場のパンはちょっとねー。仕入れがアルビオンから、だからなぁー」
お師匠が硬く不味いパンと罵っていた。
アルビオン産の春の小麦は今年、質がものすごく悪い。私は同じ北国であるノルドの今冬はどうだったのか聞いた。
「ノルドも秋から急に冬になったんですか?」
「マリィ、よく分かったな。去年の秋は早々と寒くなりやがった。そりゃ、食い物が出来ないよな」
「去年、フランシスの夏は暑すぎて、干ばつ状態でしたし。今の食べ物が大変なんですね」
「うー、痛いところだよなぁ。輸入品は値が高くて、質が悪いパンよ」
「え、パン作りましょうよ」
「パンを作る? そんな技術を私たち姉妹が持っているとでも?」
材料が少なくさらに質が悪い。
求める人が多いので、既製品のパンの値段が高くなっているのだ。
もしくはパンの材料だけを買って、少ない小麦を水で薄く延ばして焼くヒトもいるだろうけど、それだって毎日食べるには調理工夫が必要だ。
ただし、フランシス人の私は基本、料理大好き。
その思考も「パンが買えなければ、材料から作ればいいじゃない?」になる。こういう時は、量った材料を安く交渉して集める方が良いのだ。
魔法使いはケチ。分量以外の材料がいらないから、私たちは質素倹約なのだ。
海賊の姉と、ずぼらな妹。たしかに、雑な食生活をしていそうだ。既製品の買い食いが主だろう。
傍らのアルトが黄色い瞳で、私を覗き込んだ。ベビードラゴン君にとっては、四大都市同盟以来の私のご飯だ。マリィのご飯が食べたいと、訴えて来た。
「きゅー?」
「えぇ、私が作るの……。うーん、分かったけど、台所はどこ?」
お師匠があまり食事を気にしないタイプだった。フランシス人としては珍しく、料理が得意でないタイプ。
だから、私は元々、炊事・掃除などの雑務をして、お師匠が生活ペースを崩さないように支える必要があった。
フランシス第一の魔法使いのお師匠が、公の前で雑草をそのまま食べるような恥をさらすのは見たくない。
そんなこんなで、少ない材料で美味しく料理をする方法は身についている。
そうそう。私、塩だけは高いものを買う女の子ですからね。
長年使われていない台所でも、ホコリと油垢にまみれてドロドロだ。
仮にも、お客さんの私がここで料理をする。さすがにガマン出来ず、怒りがお湯のように沸く。
イグニスさんのお腹の皮膚を、私は思い切りつねった。
「痛たた、何すんだよ!」
「何だ。このホコリと油が黒く固まるまで変色した台所は何だ。今から2時間、私は市場で買い物をしてくる。お前はこの台所を使えるように、掃除しろ」
「マリィ、こわい。顔が本気でこわいよぉ」
「海賊がこわがるな。掃除をしてヒトは死なない。だから、今すぐやれ。妹もそこのドラゴンも、掃除をしろ」
「はい、船長!」
「お前が船長でしょうが!」
いつもは部下たちに掃除させているのだろう。
たまには部下の苦労を知ると良いよ。
焦って掃除を仕出す姉妹たちを見て、私は両肩をすくめた。
私はここにいると怒ってばかりだろうから、すぐに教会の外に出た。
はぁ。ダメダメすぎる姉妹とドラゴン。
ため息。
ビョルヴィカに歩いて戻った。
なけなしのハイネスの硬貨を換金してから、色々と食材を買い込んだ。
ここは北の商人が集う、クリスタン市場だ。
特に朝と違い、酒飲みを相手に戦う夜の商人は気合が違うだろう。
夜の買い出しをする街の人たちの流れに逆らって、私は野菜や魚の手に入る外路の店へ来た。
文字も読めない外国人だと舐められる。
ノルド語は複雑な形をしている。えーと……よし読める。書けないけど読めれば勝ちよ。
大声で息が続く限り、私は早口に叫んだ。
「ねえ、この赤茶いの! こんなに安いなら、いっぱい買ってあげる!」
「お、お嬢ちゃん、ノルド語が読めるの? いや、話すのは分かるけど、文字が読めるのかい?」
「あぁん? 偉大なる祖国フランシスを舐めるなよ、若造が!」
「こわい! なんで怒っているんですか、フランシス人!」
若い商人は、真っ青な顔で、私と食材の取引をした。
こういう市場で、オドオドと挙動不審だと、お金をぼったくられる。
商人には、大げさに身振り手振りをして、まくし立てて強気に話せとお師匠が言っていた。そうすれば必要分の材料だけを安く買える。要らないものを押し売りされることもない。
ただ、夜に食材のみ買うお客さんは少ないようだ。商人さんの方が、客になれていない感があった。
辺りを見回すと、イグニスさんのように、既製の食べ物や飲み物を買っていくのが、街の人のスタイルのようだ。
品の無い奇人のフリをしなくて良かったのではないか。フランシスの私でも、ものすごく恥ずかしかった。
私は表情を隠して、支払いをした。
世界的には、魔法使いの数が少なくなっている。
それと同時に、海賊の数も実は少なくなっているのだ。
海賊を祖先に持つノルドの民は、1000年も経つと大分優しい性格になった。
だって、教会の前まで、こんなにたくさんの食材を運んでくれるものね。
「おーほっほっほ!」
「フランシス人、こわい……」
「え、何か言いました?」
「いえ、お買い上げありがとうございます!」
商人は、馬車で荷を運び下ろすと、すぐに帰って行った。
私のなけなしの所持金で、結構良い食材が手に入ったと思う。
フランシス国内での食材の単価を考えれば、まずよくここまで買えたかな。
ノルドの民に、商売をけしかけても良いかもしれない。黒い笑みを私はこぼす。
悪い商人より、悪い魔法使いにご注意だ。
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