第32話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(2)
フィヨルドを南に置く港、残り3方面を緑の山が囲んでいた。
水面、緑の大自然と質素な街並みと、3つ全てが調和する。
ノルドの民が住むクリスタンの街は、白壁もしくは茶色い壁、そして赤茶屋根の比較的大きい建物が並ぶ。
ジノバの街やヴィネー国を見て来た私にとっては、ほとんど刺激が少ない景色だ。
良く言えば、のどかな場所。
私は港に立って、難しい顔をしていた。隣にいるアルトは、もっと意味が分かっていない顔だ。
ヴァルキリ海賊と言うからには、略奪と探検、あと通商で築いた富の山があると思った。
イメージと違うのだ。
すると、お師匠が硬い黒パンをかじりながら、下船してきた。その後ろから、白装束のイグニスさんが後をつけてくる。
「いつ見ても、この街は意味分からん。俺には大味すぎる」
「おい、クロウド! 私の街を馬鹿にすんじゃねぇ!」
「そうかー? 弟子のマリィも不機嫌な顔しているぞ。2対1の賛成多数で、イグニスの意見は却下だ」
「むごぉッ! これだからフランシス人どもは、世界一美意識高いとか本気で思っている!」
それを言ってしまうと、イグニスさんには美意識ないですと、言っているようなものだ。私は半開きの目で憐れんだ。
ノルドの民でも、イグニスさんが極端な性格なのではないだろうか。
お師匠は口では負けない魔法使いだ。イグニスさんの悪口に対しても同じだ。
「ノルドの黒パンは硬すぎるぞ。カピカピのカチコチだ」
「不味いパンで悪かったな! 因みに、小麦はアルビオン産だぞ!」
「もうちょっと農業期にちゃんと働けよってことよ。昼が長い夏も怠けていれば、すぐ真っ暗な冬に戻る」
「ぐぬぬ。夏至祭は私らにとって、大事なお祭りの1つなんだよー! パーッとやりたいのさ!」
お師匠が適格なダメ出しをしている。ただ民族的な価値観は埋められないようだ。
私もヴァルキリに関しては良く分かっていない。
余計な一言を私は言ったようだ。
「山と川の中、畑はどこにあるんですか? 金銀財宝をお金に替えたら、良い畑が作れそうなんですけど……」
「むがーッ! 故郷に住むための住居メンテナンスや人が生きるための
「極端ですね……ハハッ」
「じゃあ、お前らは魔法や科学に頼ってどうすんだよ。お隣のスコーネの民が、遺産館で保管しているけど、そいつらが全部無くなったらどうすんの? 私らは1000年前の大海賊時代から衣食住は変わってないのさ!」
お師匠の顔色が急に悪くなった。
1000年間で築いた魔法術は、100年間の戦争でほとんど失われた。
極端だが、商業貿易で衣食をまかない、住のみに資金を注ぐヴァルキリは、毎日の生活が貧しくない。あの戦争で技術を逆に保護する余裕があったのだ。
ずっと1000年間も維持したヴァルキリ式な生活。富と貧困をくり返す大陸の生活。どちらが良いのか、なんて戦後の私たちには分かりきった話だ。
今でこそ、貧乏生活になれているが、それでもたまに昔を思い出してつらい。
イグニスさんが急に焦った顔になった。
ど真ん中に矢が刺さっている。深刻な青白い顔をした外国人の大人と子供が、目の前に1人ずつ立っているのだ。
小さくため息をついたお師匠は、首を左右に振って、何かを打ち消し、地面に正確な魔法陣を2つ描いた。
その1つに杖を振ると、私の無くした帽子が現れた。アルトが口にくわえて持ってきてくれた。屈んで私は、帽子を受け取って被った。
お師匠はすでに2つ目の魔法陣へ立っていた。
「マリィ、俺はインペルに行ってくる。じゃあな」
「私、アルビオンに行くんでしたっけ」
「フランシス王の命令なんか、冬が終わるまでやれば十分だ」
「お師匠、王を嫌いですか?」
「あはは、些細なことだよ。イグニス、マリィを頼んだ。……お前らさ、過去をどう見ている?」
お師匠のシルエットが、いったん時空に消えて、別の場所へ移動した。
その消えゆく途中で、『過去をどう見る』なんて言ったのだ。
私だけでなく、イグニスさんも雷に打たれたような驚いた顔だった。絶対に暗い顔をしなかった、イグニスさんの表情が一瞬かげった。
無力さのあまりに、笑っているように見える悲しみの顔、彼女の口だけが動く。
「クロウド、お前の『過去』との向かい合い方は、まだ子供の私には出来ないよ」
「え?」
「あー、そうだ。マリィ、家に来い。妹を紹介してやるよ!」
「えーと……」
「チビすけも腹減っただろう?」
戸惑う私の隣。
アルトが「きゅー!」と嬉しそうにうなずいて鳴いた。
分かったことは、イグニスさんは『過去』について悩んでいることがある。そして、ごまかすように、ご飯にしようと口を開いたのだ。
既視感。うん、間違いなく兄弟子リガルの手法だ。
大人は動揺を落ち着けるために、何処でも『ご飯』の話を持ち出すものだ。
私は魔法薬の調合が得意な手前、料理を作るのも食べるのも好きだ。
じゃあ、まずいいか。
警戒心の高い猫みたいな性格の私は、壁を低くすると、すぐに事件に巻き込まれるのを全く学んでいなかった。
イグニスさんと、その肩に乗ったアルトを追いかけて、のどかなクリスタンの街の路を私は歩く。
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