第5章 欠のおくすり

第31話 欠のおくすり~ヴァルキリ・ノルドの民~(1)

 リーベ川から北海に出た。

 そこで待っていたのは、ヴァルキリ海賊の鉄鋼船だ。

 蒸気機関が煙を上げる船で、ダニー半島の沿岸を北に進む。その先に見えたスコルニア半島が船の接岸になる場所らしい。


 お師匠の発言の後、私は膝を抱えて、いじけたまま座っていた。

 夕陽に映えるのは切り立った山々の崖と、輝く広い運河だ。その中を船は行く。


「ここがフィヨルドか。夕陽のおかげで、大きさだけは分かるわ」

「よぉ、子猫ちゃん。大自然を船でクルージングも良いもんだろう」

「イグニスさん……あれ、お師匠はどこに?」

「あいつ、船酔い中さ。だっせぇ、男だよなぁ」


 夕陽のコントラストが身体の凹凸を強調したせいか、イグニスさんは一際、人相の悪い笑みをこぼす。

 白いロングコートばかり目が行っていたが、イグニス女船長はコートの内側にほとんど衣服を身に着けていない。

 下着なのか水着なのか分からない白いブラジャーと、短すぎる白いパンツ。それに禍々しい装飾の白色の長いブーツだ。

 白い衣服よりも、透明感ある金髪と色素薄めの空色な瞳と白い雪のような肌。

 全ての白色が夕陽でオレンジ色に燃え上がり、絵に書いたような長身美女である。

 

 性格さえ良ければ、女海賊でもステキな男性から求愛されるだろうに。

 さっき、スケベな発言をした男部下のお尻を蹴って、頬を手でビンタしていた。

 北の大地の荒い言葉を怒りながら話していたと思う。耳が良い私でも、さすがにあまりに汚い言葉だったので、翻訳したくない。

 天は二物を与えなかったようだ。超性格難の美女なのだ。


「お、ゲロ吐くのか? 海の魚のエサにしてくれよ?」

「……」


 私の苦い顔を見て、イグニスさんは品の無い冗談を言って来た。

 あなたの容姿と性格のギャップで胸やけしそうなだけだと、言葉がのどまででかかった。

 ちょっと強めの反抗的な目をしてみた。

 そんな私の頭髪を少し屈んで撫でたイグニスさんは、無言で笑うと立ち振り返り、背中を見せて向こう側に歩いて行った。

 キザな大人の男性のようであるが、不器用ながら子供をあやす父親の背のようだった。

 私の本質を見抜いている。子供ながら私はそう思った。

 落ち込んだときに他人から優しくされると、私はこの世にいない父と母を思い出す。

 因みに、お師匠は昔から子供慣れしすぎた大人だったから、特に親と思ったことがなかった。


「まだまだ私は子供なんだ……昔のことを引きずっているなんて……」


 口にするのも嫌だった。もう忘れた。それだけあの事件から年月が経ったと思っていた。

 不器用な農夫の父と、貴族のように美人ではあったが病弱で寝ているばかりの母。私の思い出の中の顔は2人とも黒く影っている。その上に2人の声は音になっていない。

 パレスに子供たちを逃がした大人たちが、あの村を襲った盗賊の焼き討ちでどうなったか知らない。

 こちらはパレス近郊の農道で、荷馬車は野盗に襲われ、慌てふためいて下水道に飛び込んで私1人だけ逃げ切ったのだ。

 馬車に残った仲間たちがどうなったかも全く知らない。

 運よく孤児になれた、私1人だけ生き残ったのは確かだ。


 もう泣かない。後悔の涙は思い出ともに、パレスの川に流した。

 あれは、生きるために必要な選択だった。そう、割り切ったはずだろう。

 お師匠は全部を知った上で、私が泣かない理由を受け入れてくれた。


(じゃあ、なんで……こんなに胸の奥底が痛むのだろう)


 今、私はまだ暗い顔をしているのかもしれない。眉間に力が入るし、表情が硬くなっている。

 蒸気船がうなる音で、今、船の上に私は1人座っているのだと分かった。

 音の鳴る上を嫌がったアルトが、柱から飛び降りてきた。彼は黄色い瞳で、私の沈み切った顔を不思議そうに見つめる。

 いつもの元気がない私は変だと、私自身も思う。

 確かに、ヴィネー国もハイネス国も、あの旅路は大変だった。それに今、お師匠も機嫌が悪い。さらに追い打ちで、イグニスさんから不器用な優しさを受けた。


 私、マリィは魔法使いの弟子。この年の夏で誕生日を迎えて13歳になる女の子。

 くせ毛の金髪と、猫みたいな釣り目の青い瞳。旅の途中で帽子を無くしてしまった。

 ただ袖丈の長かったローブは大分、私の身体に馴染んできた。

 切り立った崖の間の運河を、船は進む。だけど、私は今、後ろにある思い出を見ていた。

 心臓に巻いた包帯から血が流れてきている。

 ふたで上から閉じて捨てたはず……そんな過去を見るのがこわいのに、疲れ切った私はそこから何処にも足が動かない。

 元気がないぞ、マリィ。どうしたんだい、マリィ。

 これはアルビオンへ行く段取りを決める前に、ヴァルキリ領内で休む必要がありそうだ。

 海に沈まないで保つ夕陽。春を越えた季節の風は乾いて、肌に寒くも暑くもない。近づく夏の気配。

 また1つ季節を越えた事実が、私の気持ちをいたずらに虚しくさせる。


 長い入り江を進んだ先は、ノルドの民が住むクリスタンという街だった。

 大自然が作ったフィヨルドの先端だ。

 この北の街は、夏に向けてどんどんと陽が沈まなくなるのだ。ピークでは1日中、明るい街になる。

 長く暗い冬の反動で、住人たちは夏を謳歌しているようだ。


 一方で私は、脳を整理する夜の時間が少ない。区切りない明るさの中、一度惑わされた心と私はずっと向き合うことになる。

 街の強い光が、ただただ私にとって眩しくて、心まで騒がせられる幻想郷だった。

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