第30話 火のおくすり~神聖騎士国ハイネス~(10)

 夜明け近く、他人の気配で私は起きた。

 お師匠の姿はなく、ブラウンが図書館のドアの前で手招きしている。

 私は寝ぼけて、首を左右に鳴らした。


「お師匠、朝ですか?」

「マリィ、逃げるぞ!」

「あ、ブラウン」

「本気で時間がないんだ。今なら兵士もいない。ケーニグ駅まで走るぞ!」


 エルフの手に握られた私の手。そして全速力で、石だたみの園内を走り出す。

 私は何度も転びそうになる。

 ねぇ! ちょっと! 待って! と断片的な言葉しか出ない。

 何が起きたと言うのか。

 女神の門の前にいたのは、鳥頭の馬が引く車だ。その荷台の木箱に私は押し入れられた。

 そして、兵士たちが警備している中央議会の道を抜け、ケーニグ駅に着いた。

 蒸気機関車は始発のものだ。

 荷台の木箱をブラウンが抱えて、動き出した機関車に滑り込んだ。

 そこに向かって走ってくる兵士たち。

 いつの間にか、車内にいたお師匠が、木の杖を地面に向けて振った。


「来るんじゃねぇよ!」

「フランシス人の犯罪者を捕えろ!」

「恨みだけで他人を犯罪者呼びか、この石頭のハイネス人め!」

「ぐあッ! あやつ、火柱の魔法陣を使いやがった!」


 お師匠はケーニグ中央駅のプラットホームに、火の魔法陣を何個も描いていたのだ。

 それが兵士たちの足止めになった。

 奴らが追ってこないのを見てから、床に膝立ちになったお師匠は木箱のふたを取った。

 猫のように飛び出した私は、お師匠の身体に抱き付く。

 お師匠は、全力で私の金髪くせ毛を撫でまわす。


「よしよしよしよしよーし」

「にゃあ……じゃなくて、この騒ぎは何ですか!?」


 私はお師匠から飛び離れ、ブラウンの横に着地した。

 ブラウンが先に口を開く。


「急いでクロウドとマリィを、北の街のアンブルへ機関車で運べって、メドラ宰相が言ってよ! お前ら、何の事件を起こしたのさ!」

「ブラウン、外交問題に巻き込んで悪いなぁ。俺の推理では、フランシス国とハイネスの国の100年間に積もった恨みが原因だ。メドラの奴が『俺たちを国外追放処分』としたんだろう?」

「まぁこれを、おれも国外追放だろうなと思う」


 あの黒エルフのメドラ宰相が、協力者である私たちを追放にしたのだ。

 とても理不尽なことだ。

 この国外追放は優しい。場合によっては処刑もあり得たと、お師匠は言う。

 私とブラウンは目を見合わせた。

 子供の私たちには分からない。


 お師匠はため息を長くもらして、間を取ってから重い口を開く。

 事態に困惑しながらも、私は相づちを打つ。


「ハイネス人は、100年戦争で、フランシス人に無理やり、最前線で戦わせられたんだ。そのフランシス人魔法使いの俺たちが、悩ましいハイネスの環境問題の解決策を示した。なぁ、子供たち、感情的にムカつかないかい?」

「感情で争いを起こすんですか」

「マリィ……あのな。100年戦争のきっかけもそんなもんだぞ。俺たちは今も怨恨の中に生きている」

「心の戦争は終わっていないんですね、お師匠」


 メドラ宰相は国外追放とした。

 それは妥協策なのだ。

 フランシス国で偉大な魔法使いを追放にすれば、ハイネス国内の民はこう思う。

 俺たちは魔法使いを追い出してやったぜ、魔法に屈しない偉大な民だと。

 そして、戦後復興がまだまだ途中のフランシス国民はこう思うだろう。

 また戦争にならずによかった、と。

 怒るのはフランシス王族だけだろうが、メドラ宰相が手紙を出して根回ししているだろうと、お師匠は口にした。


 アンブルの街は、北の港町である。

 蒸気機関車が停車した。

 駅のプラットホームには、あまり事態をわかっていない警察たちがうろついている。

 ブラウンは木箱を抱えて、先に降りた。すると、怪しく思った警官の1人が近づく。

 懐かしいドワーフ濁声が響く。間違いなく、ガレス親方の声だ。


「愛しているぜ、小僧ども!」


 すると、蒸気機関車から、大量の灰色の煙が、アンブル駅のホーム内から街の中にかけて噴射した。

 私はお師匠に手を引かれ、白煙の中を走った。後ろからブラウンが続く。


「お師匠どうするんですか!」

「リーベだ! この街に、リーベの川があるの!」


 リーベ川の岸に小船。

 そこにはとある船団から来た女がいた。

 白色の長いコートを羽織った大柄の女は、ようやくなついたベビードラゴンのアルトを左肩に乗せていた。

 両腕を組み堂々と立つ。予定通りに起きた白煙の中からやって来たのは、懐かしい男と子供2人だった。

 その女の鋭い声が響く。


「船を出すぞ! 全速退却だ!」


 前を見て走る私は、アルトを発見した。見知らぬ女の肩に止まっている。

 私たちは船に飛び乗った。

 足音は2人分だ。まだ足りない。

 驚いて私は、振り返った。

 1人だけ河岸に立つブラウンは首を左右横に振り、あいまいに笑った。


「親方をおいて逃げられねぇんだ。悪いな、マリィ!」

「ううん。ブラウン、ありがとう!」


 叫び返した私。

 お師匠に頭を下げるように、指示を出された。

 船が加速して、北の海へ向かう。

 弓矢と銃弾が飛んでくる。ばら撒いただけの武器は、私たちを仕留め損ねた。

 陸の警官たちは、一応の仕事をしました程度だった。


「イグニス、最高のお迎えありがとよ!」

「アホのクロウド、魔窟のハイネスに入るから悪いんだぜ! 海賊は助ける性分じゃねーの、分かっているんだろうが!」

「はいはい、金一封でーす」

「湿気た金だ。ノルドの島に着いたら、お前らを下ろすからな。後は何とかしろ」


 お師匠が投げ渡した、小銭袋を手に握るイグニスさん。

 その彼女は、海賊で女船長らしい。話しぶりから、お師匠とも知り合いだろう。

 アルトが肩から剥がされ、私に投げ渡された。

 強引な扱い。キュウキュウと、抗議の声を上げている。

 私は久々にアルトの頭を撫でた。もう彼は、尻尾を振って喜んでいる。


 進む小船に潮風が吹く。

 その先に、海賊船の巨大なシルエットが現れる。

 鉄製の蒸気機関車を見てきたが、今度は鋼鉄の巨大船だ。

 私たちが乗った小船はロープを8か所にひっかけ引き揚げられた。

 マーマンという魚人の大男もいるが、ヒトも半分くらいその場にいた。


「出迎えご苦労。さぁ、お前ら。まだ仕事だよ!」


 イグニス船長の一声で、皆一斉に持ち場へ戻る。


 ハイネス国の人たちは、私たちを追い出したのだ。

 船の端に立つ私が、南陸のハイネスを見つめていると、お師匠が声をかけた。


「落ち込むマリィに良い話だ」

「なんですかぁ」

「この手紙でフランシス王が、マリィをベタ褒め。すぐに1人でお仕事をしてほしいとご命令だ」

「フランシス……王様が!」


 振り返った私は、うれしさで輝く目をお師匠に向けた。

 一方でお師匠は、不機嫌な目だった。

 その口からまさかそんな言葉が出ると、私は想像していなかった。


「俺はフランシス王が大嫌いなんだ!」

「え……」


 お師匠は、子供みたいに吐き捨てる。

 私は動揺して、船の板の上に腰砕けで座り込んでしまった。

 言葉が出なくなって、ただ震える目で、お師匠を見上げるしかなかった。

 風に帆をなびかせる柱の上で、アルトが海鳥と一緒に合唱している声が聞こえた。

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