第29話 火のおくすり~神聖騎士国ハイネス~(9)

 神聖騎士国ハイネス。

 ガウ王がいるヴィーナ・ボダ圏を王都と、今の時代では呼ぶ。


 一方で、第2首都ケーニグ。

 かつて時代によって、様々な役目をしてきた都市である。

 宗教都市、騎士都市、王都などと変わって来た。

 だが、今は政治・学生都市として機能している。

 この土地は、元々、低木湿地帯である。

 あまり開発に向かない地だ。それゆえに、川や湖、森に囲まれた環境なのだ。

 戦時中は、天然の要塞と言われた。


 科学技術の結晶である蒸気機関車が、この幻想郷に入っていく。

 エルフの森なんて、この国に残っていない。

 マリィはその言葉を口にしなくて良かったと、自分の思い込みを恥じた。

 石土色の壁が歴史を感じさせる街並みだ。石だたみの道は整然としている。

 そして息づいた自然、緑の木々と池沼が心をいやすのだった。


「マリィのお気に召したかな。因みに、おれは息が詰まる……べんきょー、きらい」

「ブラウン?」

「ひぃぃぃぃ、笑いながら怒るなよぉぉぉぉぉ」


 ケーニグ中央駅。

 その眼前には、流れる川と右奥に森がある。左側の人の手で開発された土地が大学園だ。

 女神像が見守る門があり、大通り沿いに学校が並ぶ。その最後尾に、ケーニグ大聖堂がある。

 ブラウンの顔に緊張の色だ。彼女の勉強嫌いはひどいらしい。

 だけど私は無視をして歩き、さっさと門を通った。

 小走りで近づくブラウンは困り顔だ。

 私は容赦なく言った。


「学び舎はどこ?」

「ちょっと早くない? 緊張しないの?」

「ブラウン、もう一度言うわ。校舎はどこ?」

「大王様の銅像がある方向さ! ……あぁ、ちょっと早いって!」


 私は大王像がある方向へ歩き、校舎前で止まった。

 怒りを原動力に来てしまったが、予約なしで偉大な先生に会えるとは思えない。

 ブラウンが半開きの目だ。

 急に目が泳いだ私を、彼女は見た。


「で、何処に行く気?」

「図書館かなー。あははー」


 ブラウンは呆れた顔で、構内へ先に入った。

 しばらく銅像の前で待っていると、学内訪問の許可証を手に戻って来た。

 彼女から私の手に、その札は乱暴に渡された。


「やるよ」

「ありがとう」

「良い情報が入ったぞ」

「何?」

「本日は休校だ。学内図書館で学者会議中だそうだ」


 そんな中で入っては、本も調べることは出来ないだろう。

 ブラウンは真面目に言うけど、私にとって最低の冗談だ。

 怒った私は、目を吊り上げた。


「ダメじゃないの?」

「宰相閣下と、隣国の魔法使いが、口喧嘩しているとも情報がある」


 いきなり最終ステージに立ち講演をする、地方出身の学者さんの気分だ。

 そんな国のトップたちが集まる会議で、何を私に話せと言うのか。

 ブラウンの灰色の瞳が深く染まった。エルフのお姉さんは、思い切り私を煽った。


「そんな覚悟でメドラ宰相に会うつもりか? お前、死ぬぞ?」

「私だって、命を背負う者! やるわ! 私はやるぞ!」

「よし行くぜ!」

「おぉ!」


 巨大なドアを開けると、古本の落ち着く香りがする。

 そして、大量の紙とインクペンを走らせる音。

 音を立てる者、お師匠クロウドだった。何の試験をしているのだろうか。

 私はぽかんと口を開けた。


「やぁ、我が弟子のマリィ。ちょっと遅かったねぇ」

「お師匠、何をしているんですか?」

「100年の戦後に残った知識を書面に書いている」

「意味が分かりません」


 目の下に黒い隈を作ったお師匠は、会話をしながらも紙の上にペンを走らせる。

 そんな処罰をさせているのは、漆黒の肌で銀髪黄瞳の鉤耳エルフだ。

 隣でブラウンが小動物のように震えている。

 このエルフがこわすぎるのだ。


 蛇のような眼光。全身から漂う本物の殺気。

 その黒エルフは、私から白いナプキンを取って、内容を読み始めた。

 さすがに、子供の私でも全てを察した。


「ハイネス国宰相のメドラ様ですか」

「で、工場全てを止めるわけに行かないぞ。どうすればいい?」

「あの、もう読まれたんですか?」

「答えのみ言え。攻撃でお前が今死んだら、誰が代わりに答えるんだ!」


 状況の確認もできない、私が名乗ることもできない。

 理不尽すぎる。その上、このエルフさん、こわすぎる。

 私は言葉だけでなく、息も詰まった。

 すると、お師匠がのんびりした声で言った。


「メドラちゃんさー。うちの子泣かせないでよー。まぁ、俺にもそのナプキンを見せてくれ」

「何がメドラちゃんだ! ぶち殺すぞ、クロウド!」


 メドラ宰相は、お師匠に白いナプキンを渡した。

 怒りつつも、ちゃんと手渡す。あれ、意外と優しい。

 邪眼が解けたように、私は呼吸を落ちつけた。ブラウンは立ったまま、失神していた。

 すぐにお師匠の声が、先ほどの答えを語る。


「アイゼン喘息だろ、これ。だーかーらー、メドラちゃんは耳穴を全開にしてよく聞きな」

「拝聴しよう」

「工場を全部止める必要なし」

「うむ」

「アイゼン工業地帯の規模を、仮に1000分の1に縮小した場所があるとしよう」

「それで」

「その場所で、環境調査をする。例えば、燃えたものの空気検査だ」

「なるほど、続けろ」

「その結果を1000倍してみな。ほら、アイゼン工業地帯の結果が出るぞ」

「理解した。それも紙に書け」


 私は症状とその対処法しか書いていない。

 それでは工場の労働環境が良くならない。

 そこをメドラ宰相はすぐに指摘した。師匠はその衛生環境の改善策をすぐ答えた。

 この中で、完全に私は負けた。

 

 そして、仕事のできる宰相は、上機嫌で口を開いた。


「会議をする! マリィとそこのエルフは、中央議会までこの紙を全て運べ」

「待ってください! これでハイネスの労働者さんたちは助かりますか!」

「それは違う。これから私が、この国の労働者たちを助ける。まずは、この情報提供には感謝するぞ」

「今度はちゃんと私1人でお仕事します……」


 メドラ宰相は一瞬笑った。そんな余裕があるのだ。

 一方で私は、圧倒的な敗北感を味わった。

 去り際の彼女の前で、こぶしを握って震えながら、涙を流すしか出来なかった。


 お師匠の書いた紙を、女神の門の傍にある中央議会まで全て運んだ。

 ブラウンの学友たちも手伝ってくれた。

 議会は真夜中を過ぎても、討論の結果が出なかった。

 全てを書き終えたお師匠は、学校の図書館で寝ている。その椅子の脇で、私は膝を抱えながら眠った。

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