第26話 火のおくすり~神聖騎士国ハイネス~(6)

 ハイネス国ヘレノ経済工業都市。

 その宿屋の窓に薄らと光が差し込む。

 明け方のベッドの上で、私はひどく咳込んでいた。のど奥からヒューヒューと鳴る咳が続く。

 床で寝ていたブラウンは慌てて起き上がる。あせっているのに、症状の治め方を知っているようだ。

 水に沈んでいるものをろ過後に、沸騰させたお湯を、カップに注いでくれた。


「水道水なんて飲めたもんじゃないよ。幸いなことに、その咳にはお湯が良いはずだ」

「でも、ちょっと臭う」


 両手でカップを持ち、お湯をのどに流し込む。すぐに私の咳は治まった。やはり、空気の中の有害なものを、私の身体が拒絶しているようだ。

 ブラウンは心配そうに、私の顔を見つめる。


「大丈夫? 声かすれていないよな?」

「風の病なの、これ」

「あぁ、大陸から吹く風ホコリで病んじゃう、南の人がいるって聞いたことあるなー」

「そう、ホコリ! 卵の腐ったような黄色い空気にホコリが混じっているのよ!」

「でも、それ砂じゃないだろう。じゃあ、何さ」


 ハイネス国の労働者たちは、南のアンジェリへ行くこともある。昨晩のような居酒屋で、ブラウンはその労働者たちと話し合うこともあるようだ。

 私はふと思い出した。

 声を戻した聖女ガラハさんだ。それで、ハイネス国に先に入ったお師匠は、エルフのくすりの量を調べていたはずだ。


「ねぇ、ハイネスの労働者に、声を失ってしまうエルフがいる?」

「そんな奴、いっぱいいるよー。おれもヘレノかミンクが住処さ。エルフやヒトは弱い身体だから、アイゼン工業地帯に何日間もいられないのさ」

「あら、ごめんなさい。……ガラハさんの出身地はもしかしてハイネス国かな」

「アンジェリの聖女さんはハーフエルフだっけ。まだ先生たちの調査で確定じゃないけど、親のエルフかヒトがアイゼン工業地帯の労働者だと、子供は高い確率で呼吸障害を持つらしいぜ」


 呼吸障害が家族で遺伝する?

 驚きのあまり、私の目は真開いたままだ。

 しかめっ面のブラウンは、難しい話が苦手みたいで、茶色い髪の頭を手でかく。

 2人とも次の言葉がまとまらない。

 駄目だ。考えれば上書きされて、せっかくの情報が消える。

 私は紙を探した。

 白いナプキンがあった。面倒なので、それにインクペンで単語を書き出す。


「呼吸障害。家族遺伝。工業地出身の親……」

「な、何を書いているのー?」

「火の行く末よ! ところで、お湯を飲む以外に、ひどい咳に効果あるのを知っているかしら!?」

「だから、さっき言わないっけ。風の病は砂ホコリが原因。おれの国は工業地帯の空気が悪い。たぶんそのせいで、3倍量で風のくすりを飲むぞ」

「さ、3倍量!?」


 おくすりというのは、効果と毒の2枚の刃だ。

 効果より低ければ、咳などの症状は消えない。

 エルフみたいに大柄だと、ヒトの1.5倍量を飲むこともある。

 だが、おくすりを効果の量以上を飲むと、身体にとって毒になる。

 古の王族は、そうやって毒を盛られ、医師や魔法使いに殺されたこともある。

 3倍量の風のおくすり。

 これは異常な使い方だ。

 私は白いナプキンの文字を、怒りで震える瞳で見つめた。


【火の行く末 黄色い空気 腐った卵の臭い 

 朝の咳

 呼吸障害 家族遺伝 工業地出身の親

 軽症:お湯を飲む 重症:3倍量の風のおくすり】


 困った顔のブラウン。一方で決心した私は、思いを告げる。


「外国人だから、火の行く末の異常さが分かる。私のお師匠を探す前に、お節介をすることにしたわ。ブラウンの指示する先生に、このことを伝えたいの」

「結局、第2首都ケーニグ行きだな。……おれ、勉強したくないけどなー」

「勉強しなさい! あなたたちの命がかかっているのよ!」


 血相を変えた私の甲高い叫び。

 やはり私は、フランシスの猫みたいな娘だ。波打つ感情は、一気に吹き上がった。

 命を前に真剣になれないなんて。そんな情けない魔法使いに私はなりたくない。

 怒られた60歳エルフの女の子ブラウンは、言葉なくうなずき返すので精一杯だったようだ。


 ヘレノ駅にやって来た蒸気機関車が向かう先は、第2首都ケーニグだ。

 私たち2人は、切符を片手に乗り込んだ。

 東へ向かう機関車に、私の身体は揺られる。だが、その中心に燃える魂は揺らぐことない。

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