第25話 火のおくすり~神聖騎士国ハイネス~(5)
アイゼン工業地帯の一画。
ハイネス国の西にある国境沿いの街。
それがコーネの街。
一面、黄色い霧の世界だ。
かげろうのように浮かびがある黒い影。近づくと大きい工場であると分かるくらいだ。それほど視界が悪い。
工業地帯は許可証がないと立ち入り出来ないようだった。そもそも地鳴りする音がひどくて耳がおかしくなりそうだった。
この場所は、観光スポットらしいけど、やや黄色い景色で腐った卵の臭いがする。
赤い川が流れ、その上に鉄の大橋が架かっている。向こうにかすんで見えるのは天に届くほどの超高層建築の群れだ。
私の顔は、このひどい臭いで鼻が曲がってないだろうか。隣のブラウンは、目と鼻から汁を流しっぱなしだ。
ブラウンは黄色い空気にむせながら話す。
「だーかーらー、駅についたらすぐ帰ろうって言ったじゃんかー」
「あの2本の塔が大聖堂?」
「観光するのかー? 近づいて見れば、もっと無数に尖がった建物だけどなぁ」
「うーん、止めとく。夜の前に帰った方がいいかしら?」
「そうだな。仕事終わりの労働者たちは殺気立って危険だ。夜の景色は、大人になってから見ると良いさ」
さっきから具合がすごく悪い。
吐き気とめまいはするし、息もあがって来た。
こんな環境の中でお仕事をするなんて、正気の沙汰じゃない。
エルフが成人にならない年数で、100年の戦争の埋め合わせをした結果だ。
ハイネス国の経済工業のレベルは世界一だ。それは認める。
火の行く末は、破壊と成長の2本立てだ。
科学技術は、自然の枠から吹っ飛んでしまった、人類の狂気の力だ。
私はこれだけを現地で聞きたかった。
私が怒った口調になっているのも、今の環境のゆがみのせいだろうか。
ふつうは外国人に良い格好を見せたいのが、旅先の人の心情だろうけど。
子供のブラウンは、嘘をつかなかった。
「この空気、水、音よ! 火の行く末は何とかならないの!?」
「これでもがんばっている方だよ! 法律で煙突を高くしたんだ! その方が薄くなるだろう?」
「け、煙を薄めるぅ? 全然、薄くなっていないじゃない! 元からおかしいのよ!」
「ごもっともぉ! だから、正気なうちにヘレノへ戻ろう!」
また塩の話をしたい。
混ざっているものが多い塩は安い。その塩本体ではない余計なものは、身体に害がある。
それはどんなに水で薄めても、身体に害があることには変わらないでしょう。
正気をなくす環境は、安い塩を使っているのと、原因は近い話のではないか。
石炭を燃やして出た何か有害なもののせいだ。
ブラウンと私は、コーネ駅まで命がけで走った。
蒸気機関車がやって来て、アイゼン工業地帯を離れる。ようやく吸う空気が少しマシになってきた。
ヘレノ駅のホームに立つ。
私は何度も何度も、靴底で地面を踏んづけた。
正気を失ったわけでなく、くやしいのだ。
火の行く末につける、おくすりが思い浮かばない。
「なぁ、落ち着けって。魔法使いでも分からないことは分からないぜ。明日、ケーニグへ行こう」
「行って何ができるの! 宰相さんに、頭おかしくなるので、科学工場を止めろって言うの? 反対意見をするなら、代わりの意見を示すのは、私たちの通例なの!」
「怒るなよぉ。頼むから、怒るな」
魔法使いが上位者へ進言するときは、お師匠なら代替案を示していた。
その案がないと、現場の人が困るんだと、よく説明された。
だが、代替案が分からない事態なのだ。
有害なものって何だよ!
そもそも、この国の現象が予想ナナメ上すぎる!
フランシスの気分屋な女の子、私は怒るしか方法が見つからなかったのだ。
ブラウンが悲しい声で、私が暴れているのを止める。
あれ、何で暴れているんだろうか。少し冷静になる。
私はそろそろ着地しないといけない、と内心あせり出した。
すでに夕方すぎ、お腹すいた。
そう言えば、アンジェリを出てから、まともなご飯を取る時間がなかった。
「私、お腹空いているの!」
「わはは、子供か! 肉を食おう! ミンク製の白ウインナーはうまいぞー!」
「え、エルフがお肉食べるの?」
「ハイネスの野菜は、基本的に酢漬けだ。おれ、あれ苦手なのよ」
フランシスやアンジェリは、気候的に南の地域が温暖だ。それによって、おいしい野菜が取れるのだ。
ハイネスは気候風土の関係で、暖かい3~10月までしか野菜が取れない。その上、出荷される野菜の大半は、上位王侯・貴族や軍人へ回る。
一般の労働者たちは、ブラウンが言った通りに保存ができるものや、じゃがいもや玉ねぎを上手く調理して食べている。
ついでに、元々騎士の国なので、家畜を育てるのは最高に上手だ。その肉が五臓六腑に染み渡るおいしさなのだ。
「じゃがいも、玉ねぎ、肉の塊がゴロゴロ入ったスープうまーい! 疲れた身体に染み渡るわぁ!」
「うまいか! それは良かった!」
肉のスープを口の中にかき込んで、私はもりもり食べる。
すでに感情がたかぶっているエルフは、上機嫌な声だ。
魔窟みたいなコーネから帰っただけで、魔物討伐から帰った気分だからね。
ブラウンの行きつけのお店は、お酒飲みの戦士たちが昔から集っていた酒場のような場所だった。
今は戦士が労働者に変わっただけかもしれない。
こういう場所、大衆居酒屋って言うんだっけ。
ジノバのご飯屋さんと同じくらい大きい声が反すうする店の中。
お酒の臭いと油の臭い。時折、楽しそうな笑い声。
「私、こういうところ、嫌いじゃないかも」
「将来、飲んだくれの女魔法使いになりそうだな」
場の空気に飲まれて、私はご機嫌になった。
ブラウンが半開きの目で、小さな冗談を言った。
ブラウンが注文したソーセージが、皿に盛られて運ばれてきた。
ソーセージだけで、1000種以上バリエーションがあるらしい。
勧められた白ウインナー・ソーセージはおいしかった。
でも、私の好みは香草が入ったフランクフルト・ソーセージかな。
お肉料理なんて、あんまり食べない。
魔法使いの隠れ家では、いつも貧乏スープだった。
私が悲しい顔をしていたら、ブラウンは突然、隣で歌い出した。
店内の労働者は、急に合わせて歌い出す。
過酷な環境で生きる仲間だ、みたいな歌は底抜けに明るい。
火の行く末だって?
ハイネスの人たちは、頑固な職人だけど、未来に絶望していないじゃないか。
燃え盛る炎ではないけど、寄り添うような小さい灯は、何だか私にとって大事なものに思えた。
ポツリとつぶやく。
「私が励まされちゃった」
ブラウンは労働者たちと、ハイタッチを交わしている。
ゲラゲラと笑って、食べて飲んで、悲しいことは吹き飛ばす。
暗い夜はいつまでも続かない。朝はいずれやってくるのだ。
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