第19話 風のおくすり~聖教会アンジェリ~(6)

 謁見の間。

 訪れた者と聖女殿下が会う場所だ。

 聖教会よりも、南にある建物。その中の4つ部屋を1続きで、応接室としている。

 上を見上げると、聖人を描いた青い天井。

 視線を下げていくと、白い壁と、茶色い木の扉。下のじゅうたんは、聖なる紋章が丁寧に手ぬいで刻まれている。

 広い部屋に、たった3人。

 聖女ガラハ殿下とリガル王と、魔法使い見習いの私。

 アルトは外で寝ているので、そのまま待機だ。


 お仕事があまり好きでない様子。

 聖座に座るガラハさんは渋い顔で、本を閉じたり開いたりしている。

 隣のリガルさんが国の様子を話しているが、全く興味ないようだ。


 私はこの光景をフランシス国でも見たことがある。

 貴族のお嬢様が、執事の説明を嫌々聞いているときだ。

 発言を許された私は、すごく無礼を分かった上で、わざと話す。


「ワガママですね。でも、聖女様じゃないなら、それでいいと思います」

「マリィ、君はつつしみたまえ!」


 リガルさんが焦った顔になる。

 ほら、ガラハさんを聖女様として扱っている。だから、1人の彼女は寂しいのだ。

 初めてガラハさんは、私より子供の目をしていた。表面は怒っているが、見捨ててほしくないような寂しい目だ。

 魔法の本のページが私に向けられた。


『じゃあ、私は聖女じゃないの?』

「ワガママとは、周りの声に耳を傾けず、無理でも自分の意見をおし通すことです。一方で、聖女様のお仕事はどういう内容ですか?」


 恥ずかしさ、そして怒り。

 見る見る赤くなる、白い透明な肌。青い目も色が深くなっていく。

 聖女という立場ではなく、ガラハさんそのものに、私は問いかけた。

 ここで悪い事件になれば、私は無事にフランシスへ帰れないだろう。

 でも、その寂しそうに怒る目を見て、私は1人の女の子として無視できない。

 リガルさんは、ニヤニヤとただ笑い、見守り始めた。


 強い視線同士がぶつかっている。

 ガラハさんの握ったこぶしが震えている。

 本は白いページのまま。おそらく色々と、感情や言葉が渦巻いているのだろう。

 私だって、口に出すのはこわい。

 この複雑な思い。

 口に出さないで、お互いに思い込みのままですれ違う。そうなれば、私はとても悲しい。

 だから、悲しいすれ違いにならないために、お互いに言葉で意志を通じるのだ。


「こわがらないで。逃げちゃ駄目。ガラハさんの声を私は聞きたい!」

『声を失った私は、聖女ではないのか。人間でもなく、エルフでもない。私は何になれる?』

「ガラハさん、何になりたかったの? 何かを思って、聖女を選んだんじゃないの?」


 伏し目がちなガラハさんは、震える手で本をもつ。

 そのページを私に見せる。


 何者でもない。それがガラハさんの寂しさの正体だ。

 その尖った耳には、エルフの血が流れていた。そのステキな姿は、人間とエルフの良いところ取りだった。

 魔法の力が高いのも、まだ聞いたことがない声が人々をひきつけたのも……この全て、彼女が元々、持っていた力だ。

 多くの才能に恵まれていたのだ。

 じゃあ、才能におごらず、他人に意地悪をしないで、聖女を選んだのは何でなのだろうか。


『他人にやさしくなりたかった』


 熱い涙が紅く染まった頬を伝う。

 その聖女という立場の重みは、彼女しかわからない。

 ただ、その言葉は、私の胸に響いた。


「自分がしてもらってうれしいことを考えて、みんなにちょっとずつ幸せをあげよう」

『うれしい……幸せ……。私は、そのまっすぐな言葉を、こわがっていたのだろうね』


 やさしくなりたい聖女ガラハさんが、まっすぐな言葉を伝える。

 それはステキなことだ。

 言葉を多くの人に伝えるには、やはりガラハさんに声を戻してほしい。

 私は次の言葉を伝えた。


「声が出ない原因に心当たりがありますか?」

『実は、私。おくすりを飲んでいません』

「そうでしたか。おくすりがちゃんとご自身に効くか、分からないからですか?」

『何で……分かったの?』

「ガラハさんのお話を、ちゃんと私が聞いていたからです」


 驚くガラハさん。聖座から身を乗り出していた。


 ただのワガママだけで、おくすりを飲んでいなかったと、私は思えなかった。

 ガラハさんは、今すぐに命を絶とうとしている訳じゃない。

 そもそも、声が出ないことを思い悩むのが、生きようと前向きだろう。


 それに、私がスラム街の子供だったころ。

 大人の量のおくすりを飲んで、子供がさらに具合悪くなったのを、昔、見た。


 これは私の想像の範囲だけど。

 おくすりの効き目を信じられないのは、エルフと人間の半分ずつの存在が大きい。

 人間の作った、人間に効果あるおくすり。

 一方で、エルフは身体が大きい。

 人間のおくすりの量を、自分がガラハさんだとしたら飲むだろうか。

 このおくすりは、効かないかもしれない。

 だから、おくすりを飲まなかった。


 お話から考えて、相手の気持ちを察するのも、魔法薬を使う者としての心得だ。


「僕も対応を間違っていたのか」


 リガルさんは失望に似た表情をしていた。

 彼もお仕事を超えて、1人の女性としてガラハさんを治そうと、必死だったに違いない。

 だけど、ガラハさんの身体と、自分の身体の違いを見抜けなかった。

 そんな風向きを読めない自分を呪いたいのだろう。


 肩を落とすリガルさんに、私は静かに言った。


「間違いではないです。気づかなかっただけです」

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