嵐のような運命は、誰のせいでもなかったよ
夜はひっそりと忍び寄るようにやってくる。
空には大きな満月が浮かび、その光で家を抜け出したアンリと罪を暴こうとしているようだった。
アンリは足音を出さないようにゆっくりと静かな村の中を歩く。村人はみんな眠りの中だろう。裏手に回って待ち合わせに近づくと、手元を口に近づけて、小さな声で幼馴染に呼びかけた。
「ハナム、ハナム、どこにいるの?」
「ここにいる。遅かったじゃないか」
幼馴染は森と村の中間にあった木の後ろから出てきた。夜の外は温度が下がる。その為、ハムナもアンリも寝間着に上着をしっかりと着込んでいた。
「まぁ、ちゃんと来たからいいけど」
「ごめんね。お父さんがお酒を飲んでたからなかなか寝てくれなくって」
父はたまに晩酌をするのだが、それが始まると長いのだ。ダラダラと飲み続けるので、時々母が叱り飛ばしている。アンリも普段なら寝ている時間だ。眠気に目が重くなるのを擦って堪える。
「さっと行って帰ってこようね。眠いし、見つかったらお母さんに叱られるわ」
「わかってるよ。ほら、さっさと行くぞ」
「あっ、待ってよ」
ハナムの背中の腰部分が膨らんでいる。そこに銃を隠してきたのだろう。アンリは不安になりながらもサクサクと歩き出す幼馴染の背中を追っていく。
村の裏口を抜けるとなだらかな砂利道が細く続く。そしてその先に木々が茂った森があるのだ。
昼間見る姿と違い、夜の森は不気味だ。黒々とした影には、何か得体の知れないものが潜んでいる気がしてくる。
アンリはハムナの後ろを怖々付いて行きながら、近づいてくる森を恐ろしく感じ始めていた。
黒い影のせいで昼間よりも大きく見える森の前で、二人の足は自然と止まった。
「へ、へぇー、夜になると雰囲気違うな……」
「暗いね……」
「このくらいなら、月明かりがあるから平気だ」
「ねぇ、やっぱり止めておこうよ?」
「イヤだ。ここまで来て止められるかよ。オレは行くぞ。行って、何にもないってことを確かめてやる」
「一人じゃ危ないよ、ハムナ!」
男の子としての矜持が、そのまま帰ることを許さなかったのだろうか。ハムナはムキになったように言い張ると、脅えを振り切るように荒い足取りで森の中に入って行ってしまう。
アンリはその背中が見えなくなる前に追いかける。走ればすぐに追いつく距離にハムナはいた。背中から裾を掴んで引っ張ると、引き攣った顔が振り向く。怖いのは二人共同じなのだ。
「なんだよ。結局一緒に行くのか?」
「一人で帰るのも怖いのよ。どこまで行くの? 村の人達が起きてくる前に帰らなきゃ」
「わかってる。森の泉まで行ってみようぜ。そこなら拓けてるから周りもよく見えるだろう」
「そうね。じゃあ、泉を見たら帰るって約束よ?」
「あぁ、わかった」
アンリはハムナにそう約束させて、泉に向かって歩き出した。人が行き来して自然と出来た獣道だ。舗装もされていないため、周囲は草と木々が生い茂っている。
ふと、視線を感じた気がして、アンリは周囲を見回す。しかしこんな夜中に人なんているはずがない。静かな森に二人分の足音と草が足元に当たるガサガサした音だけが森の中にはするだけだ。
「……気のせいかな?」
「なんか言ったか?」
「ううん」
ハナムには言えなかった。いくら強がっても、彼のそれが虚勢でしかないことをアンリは知っていたからだ。感じた視線がなんなのか、それ以上を考えることを止める。そうしないと、怖くて逃げ出したくなる。
無言で足を速めた二人は、やがて二つの満月を見つけた。空に一つ。もう一つは泉に写って浮かんでいた。波も立たずに静かな月だけが佇む泉は、昼間とは違う吸引力があった。
「綺麗だね。まるで別の世界に来てしまったみたい」
「あぁ、本当に」
ぼんやりと声が返る。あまりの美しさにハムナも見とれているのかもしれない。その時だった。視線だ。強烈な視線が舐めるように自分達に向けられるのを感じた。
「え……?」
「うわっ、なんだ!?」
ハムナが悲鳴を上げる。泉の水が下から押し上げれる様に盛り上がっていく。水面に映っていた満月が歪み、そして激しい水音と同時に崩れた。
水しぶきの中から出てきたのは、一匹の銀色の美しい龍だった。金色の縦長の瞳孔が射るようにアンリを見下している。
二人は腰を抜かして後ろ手で必死に泉から離れようとした。
【贄か】
「に、にえ? 生贄のことを言ってるの? 違うわ! 私達ただ、泉を見に来ただけで……」
【その言葉は認められない。昔からの契約は違えられないもの。満月の夜に泉に寄越される者はわたしが贄とする。代わりに、贄を捧げた村にはその年は豊作をもたらしてやること。これが、わたしと村との間で交わされた遥か昔から続く契約】
「オレは、オレは違う!」
「ハムナ!?」
「オレは違う! 生贄なんかじゃないっ!」
「待って、ハムナ!」
ハムナはよろめきながら立ち上がると脱兎の勢いで森の奥へと逃げて行った。アンリを龍の前に置き去りにして。
遠ざかる幼馴染の後ろ姿に茫然としていたアンリは自分に近づく大きな影に気付かなかった。
【わたしの贄よ。お前はわたしの物となった。あぁ、これで、長きに渡る餓えがようやく満たされる】
鋭い爪がついた前足がアンリの胴体を優しく掴んで泉の上を羽ばたく。
「止めて、放してよ……っ」
【恐れることはない。さぁ、共においで】
アンリは龍の前足から逃れることが出来ず、そのまま泉の中に沈んでいった。不思議と呼吸は出来る。泉の底の穴倉で銀の龍はゆっくりと人型に姿を変えて出迎えた。
「ようこそ、わたしの花嫁」
銀龍に捉えられたアンリに逃げ道はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます