銀龍の贄

天川 七

あの頃、私達は夢を探す無力な子供だったわ

 ガナンジャ村には昔からの言い伝えが一つある。


 村の背中を守るように存在する森には、満月の夜だけはけして踏み入ってはいけない、というものだ。


 踏み入った者は化け物に食べられて帰って来れないという。それが、村の子供が物心つく前から必ず教えられることだった。


 アンリもそう言われて育った一人だ。しかし、十六にもなると、それが大人が子供の躾のために使っていた嘘だとわかる。


 言わば、方便というものだ。夜の森は危険だから入るなというよりも、入れば化け物に喰われるぞ、と脅し文句として使った方が子供は素直に言うことを聞くと思ったのだろう。


 要らない好奇心で怪我をしないようにと、昔の村人が考えたのかもしれない。しかしそれが事実としても、腑に落ちないことが一つ残るのだ。


「なんで満月の夜なのかな?」


「は? なんの話だよ?」


 村の前に茂る草の中から、一緒に薬草を摘んでいたハナムが腰を上げて振り返った。汗を散らすように、焦げ茶色の前髪を掻きあげて、灰色の瞳がつまらなそうにアンリを見る。


 片やアンリは赤みのかかった髪を三つ編みにして麦藁帽子をかぶっている。榛色の明るい瞳をゆっくりと瞬いて薬草を探す。

 

 プチプチと手元の薬草を摘んでは腰籠の中に放り込んで、そのついでとばかりに幼馴染の少年に疑問に思っていたことを言ってみる。


「満月の夜はなんで森に入っちゃいけないんだろうって考えてたの」


「そんなことかよ。ありゃあ、大人がよく使う手だろ? やれ罰が当たるだの、やれ縁起が悪いだの。なにかにつけちゃ干からびた昔話を大事にしてさ。こんなちっぽけな村でどんだけ事件が起きるってんだよ」


 鼻息荒く不満をぶちまけるハナムは、成人したら村を出ると昔から言っていた。大きな町で働くのが夢だと聞いた。


 アンリはというと、そんな夢らしきものはない。のんびりとした時間が流れるこの村のことが嫌いではなかったのだ。


「お前もさ、そんな古臭い迷信を信じてないで、オレと一緒に町に出ようぜ?」


「その話は断ったでしょ? 私は農作業も好きなのよ。自分の手で野菜を育てるのは苦労するけど、上手くいって大きな実が生った時は嬉しいもの」


「オレは農作業なんて飽き飽きしてるよ。毎日馬糞の匂いがする場所で動き回るのもうんざりだ。お前だって女だろ? いつも農作業用の動きやすい格好ばかりで、嫌じゃないのか?」


「うーん、時々は綺麗な格好もしてみたいけど……」


「だろ? せっかく女の中ではマシな顔をしてるのに、こんな田舎じゃ嫁き遅れるぞ。……まぁ、嫁入り先がないならしょうがないから、オレが貰ってやらんでもないけど……」


「なにもごもご言ってるの? 聞こえないよ」


「いや! なんでもない。それで、その迷信の何が気になってんだ?」


「満月の夜ってとこ。だって、おかしいじゃない。それ以外の夜に森に行くのは止められないんだよ? 私が熱を出した時に、お父さんが夜の森に熱に効く薬草を探しに入ったことがあるの」


 そのおかげで一晩と待たずに熱が下がったのだ。目を覚ましたアンリに父も母も安堵した顔をしていた。


『お前が熱を出したのが満月でなくて良かったよ』


 父はそう言って胸を撫で下ろしていた。つまり、もし熱を出したのが満月だったなら、森には行けなかったということだ。


 それ以来、不思議に思うようになったのだ。


 大人でさえ、その言葉を守っているのは何故なのだろう。アンリ達に知らされていないだけで何か大きな理由があるのではないだろうか?


 一度気になると、ふとした時にその疑問が頭を過るのだ。


「迷信って、本当に迷信なのかな?」


「それ以外に何があるって言うんだよ? そんなに気になるなら確かめればいいだろ。ちょうど今日が満月だ。オレ達で森に行ってみようぜ」


「えぇ!? ちょっと待って。気にはなるけど、村の大人に守れって言われてるんだから、私は行くつもりなかったんだよ?」


「じゃあ、オレ一人で行ってやる! もう二、三年もしたら村を出るんだ。その前にすっきりしときたい」


「本当に危ない目にあったらどうするの?」


「ちゃんと武器は持ってくさ。父さんの銃をくすねてく」


「余計に危ないよ。ハナムは銃なんて撃ったことないでしょ? 私が言い出したんだものね……わかった。私も行くよ」


「じゃあ、みんなが寝ちまったら森の広場で待ち合わせな?」


 言い出したら聞かないハナムに、アンリは仕方なく頷いた。


 春の風が舞い込み、長きに渡った雪が溶けて周囲には命が芽吹いている。しかし、その日差しでさえアンリの不安を溶かすことはなかった。


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