第15話 もうこれ以上
「痛い…っ、やめて…っ。」
男は髪の毛を引っ張って、私をアルのすぐそばへと連れて行った。そしてそのまま勢いよく、私を床にたたきつけた。
「きゃあ…っ!」
「リ、ア…。」
頭からたくさん血を流して倒れているアルの顔は、見たこともないくらい血色が悪かった。心配になって血が出ているところをおさえようとすると、男は足でアルの背中を思いっきり踏んだ。
「ぐぁ…っ!」
「騎士団長さんが、聞いてあきれるねぇ。」
「やめて…っ!!!」
苦しそうな声を聞いていられなくなって、私は彼の足にしがみついた。アルが小さく「やめろ」と私に言っていたけど、全くやめる気になんてなれなかった。
「どこに連れてってくれてもいい。私には何をしてもいい…っ。だからこれ以上…!」
私の大事な人を、傷つけないで。
男を見上げて必死で言うと、男は私に目線を合わせるようにかがんで顎を掴んだ。そしてニヤッと笑った後、「だったら」と言った。
「やっぱりちゃんと、お願いしないとな。」
それを聞いてすぐ、私は男の足からゆっくり自分の腕をはがした。そしてまだ体に残っていた破れかけのドレスをためらいなく脱いで、下着のままゆっくりとその場で正座をした。
「お願いです。」
正座の姿勢のまま、両手を前についた。そして男の方に、ゆっくりと顔を上げた。
「どうか私を、連れて行ってください。」
そう言って私は、地面に頭を付けた。
屈辱以外の何物でもない光景なんだろうけど、そんなことは全く気にならなかった。私の小さなプライドで誰かを守れるんだとしたら、そんなものは必要ないと思った。
さあ見なさい。これが渾身のジャパニーズ土下座よ。
「へぇ…。」
頭を下げたままの私に、男が一歩近づいてくるのが分かった。何をされるか身構えながら土下座の姿勢を保っていると、男は私の髪を持って顔を上げさせた。
「どう、してほしいんだ…?」
思いっきりニヤケて、男は言った。恐怖からなのか屈辱からなのか分からないけど、知らないうちに目から涙があふれているのが分かった。
「あなたの…。」
「俺の?」
プライドなんて捨ててやると意気込んだけど、私の中のプライドはそれに抵抗しているらしい。その証拠に涙はもう止まりそうになくて、私が泣く度男は嬉しそうな顔をしていた。
「あなたの好きに…、してください。」
「そうか、俺の好きに…か。」
男はニヤニヤした顔のまま、私の髪から手を離した。そして今度は私の顎を持って、顔をグッと目の前に近づけた。
「それじゃ、契約の印に。」
男はそう言いながら、勢いよく私にキスをした。好きにしてと言いながら私は思いっきりそれに抵抗していたけど、後頭部がガッチリ抑えられているせいで、びくともしなかった。
「はぁ…っ、はぁ…っ。」
「涙目になって…。そんなに良かったのかな?」
男はそう言って、くすくすと笑った。
悲しさや怒り、恐怖。色んなもので頭も胸もいっぱいになって、自分で自分の震えが止められなかった。
「そんなに良かったなら、もう一回してやろう。」
そんな私を見てもっと楽しそうに笑った男は、ポケットから何か筒みたいなものを取り出して、それを口に含んだ。そしてその筒を投げ捨てたと思ったら、また私の顎を持って荒々しい口づけをしてきた。
「…んんんっ。」
そして男の口から、何か冷たいものが流れ込んでくるのが分かった。絶対に飲んではいけないって分かっていたんだけど、男に口をふさがれているせいで、飲み込むことしか出来なかった。
「あなたね、こんな…っ。」
――――あれ…?
卑怯な手を使って恥ずかしくないの?と、言おうとした。
なのに私の視界はなぜか、ゆっくりと床の方へと近づいて行った。
「お望み通り、好きにさせてもらうよ。」
男がそう言ったと同時に、私の体は完全に床に倒れていた。手もつかずに倒れたから体は痛いはずなのに、痛みをあまり感じていない感じがした。
「リ、ア…っ。」
倒れた目線の先には、アルの顔があった。私は朦朧とする意識の中で、アルににっこりと笑いかけた。
「守ってくれて…ありが、と…。」
思えば別れ際にあんなことを言ったのだって、きっと何か気配を察したからなんだろう。それにアルは私が裸みたいにされているのを見られないように、団員さんがこちらに来るのも止めてくれた。
アルがいなけりゃとっくに、子どもたちも連れて行かれていたかもしれないし、私はもっとみじめな想いをしていたのかもしれない。
「ありが…。」
きっとアルは私を守れなかったと、自分を責めるんだろう。
だから私は今できる一番の笑顔を作って、アルを見た。アルの頭からはたくさん血が流れていて、顔色も悪かった。私が帰ってきたせいでアルまで危険にさらしてしまったことが本当に申し訳なくて、「ごめんね」と絞り出すみたいにして言った。そしてそれを最後に、私の意識は完全にどこか違う世界へと連れて行かれてしまった。
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