第73話 もしかして、あなた…?!
「それじゃ、
しばらく雑談をしたあと、エバンさんがスッと立ち上がって言った。二人にされるのは少し身が重いとは思ったけど、駄々もこねていられない私は「うん」と返事をした。
「わたくし、
私の心配をよそに、エバンさんが家を出てすぐコガネムシのカゴを持って奥の方へと消えて行った。私は内心ホッとしながら「はい」と答えて、誰もいなくなった部屋をぐるっと見渡してきた。
不思議なもんで、最初は鳥肌すら立っていたはずの虫ハウスにもすっかり慣れている自分がいた。
「それにしても…。」
それにしてもこの家は、どこもかしこも虫だらけだった。それにどのかごを見ても中身はとても綺麗に掃除されている感じがして、愛情をかけているんだなってのが素人でもよく分かった。
「ほんと、この世界のファーブルみたいな…」
「え…?」
部屋を見渡しながら独り言をつぶやいたその時、後ろの方で何かが落ちる音がした。音に反応して振り返ると、ポルレさんがとても驚いた顔でこちらを見ていて、その足元には巾着袋みたいなものが落ちていた。
「大丈夫、ですか?」
時が止まったかのように動かなくなっているポルレさんが心配で、私は恐る恐る彼に近づいた。そして足元に落ちた袋を取ろうとすると、ポルレさんは我に返ったように「すみません」と言った。
「あの…。」
袋を手渡した私に、ポルレさんが言った。なんだか今までの陽気な様子とは少し違う感覚がして、どうしたんだろうともっと心配になった。
「あの、今なんと…。」
そしてポルレさんは真剣な顔をしてそう言った。もしかして私の独り言で気分を害してしまったんだろうか。
「すみません、私…。何か悪い事…。」
反射的に謝ろうとしたけど、思い返してみても失礼なことを言った覚えがなかった。するとそんな私にポルレさんは大きく首を横に振って、「違うんです」と言った。
「今、ファーブルと…。」
うわ、聞かれてた。
思わず大きな声で独り言を言ってしまっていたことに気が付いて恥ずかしくなったけど、それにしてもこの人が何に引っかかっているのかはよく分からなかった。
「え、ええ…。」
"ファーブル"って名前ならこの世界にだっていそうな気がしたけど、もしかして昔の魔王の口にしてはいけない名前とかだったろうか。ポルレさんのあまりの変化に戸惑いを隠せないまま素直に返事をすると、彼はゆっくりとその分厚い眼鏡を外した。
「あの…失礼ですが…。」
ポルレさんは机の上に置いてあった図鑑のページをめくり始めた。そしてある場所でその手を止めて、その絵を私に見せてきた。
「この虫の名前、分かりますか?」
「え…?」
ポルレさんが開いたのは、コガネムシのページだった。
この人はやっぱり少しボケているんだろうか。もうおじいちゃんみたいだし、こんなところで一人で暮らしていたら物忘れがひどくなってもおかしくないか。
「ヤマネコ、じゃないんですか?」
前世でもこの世界でもおじいちゃんっ子だった私は、その問いに真面目に回答をした。するとポルレさんは大きく首を横に振って、「いえ」と言った。
「もっと別の名前です。他に名前を、知りませんか…?」
さっきまでちゃんと会話出来ていたはずなのに、この数分でボケてしまったのか。いや、むしろさっきもちゃんと会話が出来ていなくて、リオレッドにコガネムシはいないんじゃないか。
色んな疑問で頭がいっぱいになって、私は何も答えられなかった。
するとそんな私の様子を見てハッとしたポルレさんは、また分厚い眼鏡をかけなおした。
「ご、ごめんなさい。変なこと言いましたね~!ほほっ。」
するとポルレさんはさっきの陽気な様子に戻って言った。
ジッと見ていたらやっぱり彼がぼけているようには見えなくて、私は頭の中で別の可能性を模索し始めた。
まさか、まさかな…。
「あの…。」
今度は私が恐る恐るポルレさんに話しかけた。
するとすっかり陽気な様子に戻ったポルレさんは、「は~い」とふざけた様子で返事をしてくれた。
「コガネ、ムシ。」
頭の中の可能性を確かめるべく、私はその言葉を口に出した。するとポルレさんはまたゆっくりと、分厚い眼鏡を外した。
「もしかして、コガネムシ、でしょうか。」
私の言葉を聞いてすぐ、ポルレさんはまた巾着を床へ落とした。そしてゆっくりと私の方に近づいてきて、両手で私の両腕をつかんだ。
「もしかして…。いや、もしかしないでもあなた…っ!」
「はい。」
言葉の先は言われなかったけど、すべてを察した私は大きく一つうなずいた。するとポルレさんは両目にたくさん涙をためて、「そうですか!」と大きな声で言った。
「また…、また会えた!また会えたんだ…っ!」
ポルレさんは大きな声で言って、私を力強く抱きしめた。
私は彼にされるがまま抱きしめられながら、また「はい」と一言だけ言った。
「は、初めまして!田中と申します!」
そして次の瞬間、抱きしめていた手を離したポルレさんはまるで今あったばかりみたいな挨拶をした。私も同じように「初めまして」と言った後、知らないうちに流れていた涙を手でぬぐった。
「鹿間菜月と、申します。」
その挨拶をするのは26年ぶりのことだった。
それなのにまだその名前がしっくり来たことに、どこか喜んでいる自分がいた。目の目のポルレさんも、目からたくさん涙を流していた。私たちはまるで久しぶりに再会した家族みたいに、しばらく二人で喜び合った。
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