第55話 人はそう簡単に変わらない
色んな感情で頭がいっぱいになって、私は言葉を失った。
スタンさんの監視がある以上言葉には出来ないだろうけど、きっとパパもウィルさんも私と同じように、複雑な気持ちを胸いっぱいに抱えているんだろう。
母国に対してこんな要求をするのは心苦しい。
そして何より苦しい立場に立たされていると分かっていながら、パパやウィルさんにこちらの要求を伝えるのだって、本当は嫌だ。
それでも私は今日ここに、"テムライムの代表"として来ている。
――――しっかり、しなきゃ。
「ですがそれは…」
「リオレッドでは最近…。」
そう思って言葉を口に出そうとすると、それにかぶせるみたいにしてウィルさんが言った。言葉がかぶってしまったことに驚いてウィルさんの方を見て見ると、彼はとても悲しげな眼で、私を見たまましばらく動きを止めた。
「…すみません。」
ウィルさんはまるで自分自身に言い聞かせるみたいにして謝りながら、咳ばらいをした。そしてなぜか私から目をそらした。
「リオレッドでは最近、テムライム産の農作物も随分円滑に栽培できるようになりました。テムライムからの農産物がなくとも、自国で十分賄えると。王はそうお考えです。」
「本当に、そうなのですか?」
対抗策がないとはいえ、何の知識もなくリオレッドに来たわけではない。
私はここに来るまでの数日間、色んな人脈をたどってリオレッドの今の状況を探って、分かる範囲での知識を蓄えてきた。
「私もリオレッドで
トマトは今やリオレッドでも欠かせない食材となって、輸入するだけじゃなく栽培をし始めたというのは知っている。でもリオレッドはテムライムに比べて気温が多少低く、風も強い傾向にある。だから出来ないこともないけど、甘さやみずみずしさにかけ、天候の影響を受けて収穫する前にダメになってしまうものも多いという情報は、割とすぐに手に入った。
「例えまかなえたとして…。それが本当に国民のために…、なるんでしょうか。」
「あなたはテムライムの人間でしょう。」
どう考えてもためになんてならない。
そう思って言うと、私の言葉にかぶせるみたいにして、スタンさんが初めて口を開いた。
「リオレッドのご心配までしていただく必要は、ありませんよ。」
そしてとても丁寧に、その上はっきりと私の目を見て言った。
悔しいけどその通りだ。私は今はテムライム側として交渉についていて、リオレッドのことなんて考えなくていいのかもしれない。
でもそうじゃない。
このまま関税の掛け合いをし始めたら、リオレッドの国民だけじゃなくて、テムライムの国民のためにもならないから、私はそう言っている。
「ですが王も、一つ条件を提案してくださっています。」
私が次の手を考えている間に、スタンさんが続けて言った。
あのクソから提案なんて来ると思っていなかった私は、知らないうちにうつむいていた顔を上げて、スタンさんの目を見た。
「提案する条件さえ呑んでもらえるなら、輸出制限や
「なんでしょう。」
とても嫌な予感がした。
でも提案を聞かない選択肢も、もちろんあるはずがなかった。私はすごく恐る恐るそう聞いて、スタンさんの次の言葉を待った。
「まず一つ目が、テムライム産ドレスの設計図並びに素材について包み隠さず教えてもらうということ。」
「それは…っ。」
リオレッドでも安くて動きやすいドレスが作られ始めたとはいえ、やっぱりストレッチ素材のドレスはテムライム産の方が断然いい。
これまでお互い暗黙の了解として、技術の部分には今まで触れてこなかった。もしそれを提供すればきっと、もともと縫製技術の優れているリオレッドではテムライムと同等のものもすぐに作れるようになろうだろう。そうしたらもっと、テムライム産のドレスは売れなくなる。
つまりその要求を呑むということは、長い目で見れば全く今回の問題を解消することにはならない。
「そして二つ目が、ドレスの代わりにその他の何かを多く買ってもらうこと。」
言語道断すぎる。
輸入が多くて貿易摩擦が起きているというのに、他のもので輸入を増やせなんて意味が分からなすぎる。アホなのか?
「これだけの条件を吞んでいただければ、喜んで合意されるとおっしゃられております。」
よく分かった。
あのクソは初めから答えるわけのない要求をして、私をからかっている。
なるほど、そういうことか。
会うまでもなくはっきりわかる。
やっぱりクソは、クソのままだ。人なんてそう簡単に、変わることはないんだ。
「それは…。」
「吞めないというなら、それまでですが。」
「そう、ですか。」
私が何か反対の言葉を発する前に、スタンのアホ野郎が食い気味で言った。
彼のその姿勢こそ、"反論を聞く気がない"って言っているようにも聞こえた。
「一晩、考えさせてください。」
もうこれ以上、考えることなんて本当はない。
考えたところでいい案が浮かぶとも思えないし、浮かんだとしてもあのクソはきっと私の話なんて聞く気がない。分かっていたけど、ここで簡単に引き下がれなかった。
「わかりました。」
まるで私がそういうのも分かっていたっていう様子で、スタンさんはにやりと笑って言った。なんとか笑顔を崩さずに「ありがとうございます」と答えるのが、今の私に出来る最大限のことだった。
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