番外編 リアの違和感


「リア。ちょっと僕、出かけてくるよ。」

「どこに?」



仕事が休みのはずのエバンさんが、支度をしている私に言った。

久しぶりのお休みだから、今日はみんなでゆっくり過ごそうと思っていたのに。


残念な気持ちでエバンさんの顔を見ると、彼は少し動揺した様子で「えっと」と言った。



「し、仕事で…。」

「おやすみじゃないの?」



なんだか様子がおかしい。

今日はずっと前から決まっていたお休みのはずだし、もし急な案件があるんだとしたら、私の耳に入らないわけがない。



「ちょっと、急ぎで確認することがあるんだ。じゃあ。」



まるで私がこれ以上質問をするのを止めるかのように、エバンさんは急いで部屋を出て行った。



おかしい、おかしすぎる。

まるで不倫でもしているみたいだ。




「リア様。わたくしも本日、お仕事が立て込んでいまして。」

「立て込んでる?」

「え、ええ。」



するとエバンさんに続くみたいに、ティーナがそう言った。ティーナからそんな風に言われるのは初めてのことだった。



「そんなに仕事が多いの?新しい人、雇ったほうがいいかな?」

「いえっ、そんなことはありませんっ。」



ティーナは育休から戻ってきたばかりだし、そんなに負担が多いなら新しい人を呼ぶべきだ。そう思ったのに、ティーナはなぜか急いでそれを否定した。



「本当にたまたまなので…。」



やっぱりおかしい。ティーナまでおかしい。

どう見ても様子が変だ。



もしかしてエバンさんとティーナが不倫を…。



「んなわけないか…。」

「どうされました?」

「いや、何でもない。お仕事頑張ってね。」



私はいつしかすっかり仕事人間になっていて、そのせいで他の人が仕事で自分だけ休みっていう状況に慣れていないだけなのかもしれない。そんな自分に心底呆れて、大きくため息をついた。




「カイ、ケン、ルナ~!ばぁばと遊びましょう。」



それからしばらくして部屋をノックした音が聞こえたと思ったら、レイラさんが子どもたちを迎えに来た。



「あ、今日は私も予定がないですし…。」




いつも私が仕事をしている時は、レイラさんやラルフさん、マリエッタさんたちに子どもたちの面倒を見てもらっている。お休みの日くらい子どもたちと全力で遊ぼうと思って言うと、レイラさんは「いいのいいの」と食い気味に言った。



「私もみんなと遊びたいのよ~。」



レイラさんはそう言いながら、3人の手を引いて部屋を出て行こうとした。



「まま、こっち来ちゃだめだよ!」

「秘密だからね!」



すると部屋を出て行く間際に、カイとケンが言った。

何が秘密なんだろうと首を傾げていると、レイラさんが「行くよっ」と焦りながら部屋から出て行ってしまった。




「なんだ…。」



みんなしてなんなんだ。

せっかくのお休みなのに一人にされるなんて。



思ってみればこのアリアとしての人生、ずっと誰かと一緒だった気がする。

産まれた時はママやメイサと、そして仕事の時はパパやじぃじと。結婚してからだってティーナやエバンさん、マリエッタさんたちがいつもどこかにいてくれて、一人になることなんてめったにない。



「楽…だな。」



鹿間菜月だった時の私は、一人が割と好きだった。

誰にも気を遣わず好きなものが食べられて、好きな時間に寝れて、そして好きなものが買える。何にも縛られない時間を、すごく愛していた。



「でも…。」



アリアになってからの人生はその真逆だった。

そして私はいつしかいつも誰かがいる生活に慣れてしまっていて、一人になるってのがすごく寂しく感じられていた。




「みんなしてなんなんだ。」




レイラさんまでおかしかったから、多分不倫の線はないだろう。

ってことはなに?仲間外れ?ただの意地悪?



「はぁ…。」



分からなすぎる。

でもこれ以上考えていたらどんどん考えが悪い方向に行ってしまいそうだ。



「やめよう。本でも読もう。」



気を紛らすには、本を読むのが一番だ。

私は「ふぅ」と一回だけため息をついたあと、読みかけの本を開いて読むことにした。





「それにしても遅いな。」



そうこうしているうちに、本を全て読み終えてしまった。時間で言うと2時間くらいは経っただろうか。それなのにエバンさんもティーナも子どもたちも、誰もこの部屋には入ってこなかった。



やっぱりおかしい。何か変だ。



子どもたちには来るなと言われたけど、私はそっと部屋のドアを開けた。すると廊下には人気が全くなくて、まるでこの屋敷に一人取り残されたような気持ちになり始めた。



「夜逃げ?」



んなわけないんだけど、そう思うほどに屋敷は静かだった。

私は恐る恐る部屋から一歩踏み出して、とりあえず玄関の方へと向かってみることにした。



「…だよ!」

「僕が…。」



玄関の方に近づくと、一階の奥の方から賑やかな声が聞こえ始めた。何の会話をしているかまでは分からなかったけど、その声はどう考えてもエバンさんや子どもたちのものだった。



「なんだよ、みんなして。まじで仲間はずれじゃん。」



家の中にいるんだとしたら、邪魔しないからせめてそばにいさせてくれればいいのに。すっかり寂しがり屋になったらしい私は、賑やかな声に引き寄せられるように、奥の方へと足を進めた。



「え、こっちって。」



食堂かラルフさんの書斎か、その辺りから声が聞こえるんだと思っていた。でも進めば進むほどその声が奥の方から聞こえてきて、もうその先にはキッチンしかなかった。



「キッチンって…。」



そんなとこ普段、エバンさんが踏み入れる事なんてないじゃん。

私ですらたまにしかいかないし、行けばティーナやマリエッタさんに来るなと怒られる。


「私だって…。」



私だってたまには、ワッフルを自分の手で作りたい。

花嫁修業という言い訳をしてリオレッドでワッフルづくりだって学んできているんだから作りたいって言うと、ティーナがいつも代わりに作ってしまう。なのにエバンさんだけキッチンに入っても怒られないなんて理不尽だ!



半分怒りの感情を抱えながら、私はキッチンの扉を勢いよく開いた。



「ねぇ、みんなして…っ」

「きゃあああ!!」

「ケン!お皿を落とすな!」

「ぱぱぁ、味見いい?」

「だっこぉ~~。」



私の声が聞こえないくらいに、キッチンの中はカオスだった。

ケンがボウルに入ったクリームみたいなものを落として、それが全身についてケラケラと笑っているし、カイはイチゴの味見をしようとしている。レイラさんはエバンさんに抱っこをせがむルナを何とかなだめようとしていた。


それにエバンさんは似合わないエプロンを付けていて、体中に白い粉みたいなものがついていた。



「何を…」

「リ、リア様?!?」



みんなして何をしているのか。

そう言おうとした時、しゃがんでこぼれたクリームを拭いていたティーナが私に気が付いた。するとキッチンにいた全員が、私の顔を見て驚いた顔をした。




「来ちゃダメって言ったじゃん!!」

「ママに秘密なのに!」



カイとケンが口々に言った。反射的に「ご、ごめん」という私に、エバンさんは優しく笑いかけた。



「サプライズ、なんだ。」



それを言ったらサプライズにならないだろうと思った。でももうすでに空気を読まない私がここにいる時点で、きっと計画は崩れてしまっている。



「な、なんの…?」



今のキッチンのカオスな状況から考察するに、きっとみんなはケーキを作ってくれている。何のためのサプライズかと思って聞くと、今度はエバンさんが呆れたみたいに笑った。



「リアの、誕生日だよ。」

「たん、じょうび…?」



最近本当にいろんなことがあって、すっかり忘れてしまっていた。そう言えば今日は、私の26歳の誕生日だ。



「みんなでケーキを作って持って行きたかったんだけど、こんな感じになっちゃって…。」

「ママ!イチゴホウレンソウ好きでしょ?」

「いっぱいのせるからね!僕にもちょうだい!」



ケンとカイは得意げに笑ってそう言った。みんなが一生懸命やろうとしてくれている気持ちだけで胸がいっぱいになって、思わず泣きそうになった。




「私にも、手伝わせて。」




すごくいい匂いがしてきたから、きっとスポンジがもう少しで焼きあがる。

後はクリームを乗せてトッピングするだけなんだろうけど、私もみんなと一緒にやりたくなってしまった。



「それじゃ、プレゼントに…。」

「やりたいの。やらせて?」



計画は私が崩してしまったけど、みんなでやろうとしてくれた気持ちが私にとってはすでに大切なプレゼントだった。何よりみんなで一緒に料理が出来るなんて、想像しただけでとっても楽しい。



「私、結構似合うのよ、給仕服。ね、ティーナ?」

「そうですね。」




私達は目を見合わせて、くすくすと笑った。

その様子を見たエバンさんは不思議そうな顔をしながらも、「一緒にやろうか」と言ってくれた。



ルミエラスで変装のために給仕服を着た時の私は、数年後にこんな幸せが待っているなんて想像もしていなかった。あの時は本当につらかったけど、それを乗り越えてくれた自分にも感謝をしなければいけないなと思った。

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