第53話 貿易以外に、私に出来る事
「ちょっと今日は街の方に行ってきてもいいかしら。」
思えば出産をしてから、こうやって自分からお願いをするのは初めてのことだった。
いきなりそんなことを言い始めた私に一瞬ティーナとマリエッタさんは驚いていたけど、次の瞬間には笑って「もちろんです」と言ってくれた。
「私もお供します。買い物もありますので。」
とはいえ一人では行かせられないと、ティーナが付いてきてくれることになった。子供たちのことはマリエッタさんと給仕さんたちに任せて、私は馬車に乗り込んでティーナと街へと向かった。
☆
「すみませ~ん。」
街についてすぐ、私は昨日まとめた意見を持ってキャロルさんのところに向かった。お店の中には相変わらず可愛いドレスがたくさん並んでいて、ここにいるだけで少し幸せな気持ちになれる。
「あらっ、アリア様。お久しぶりです。」
肩からメジャーみたいなものをかけたキャロルさんが、奥の方からせわしなく出てきた。私が丁寧に「ごきげんよう」というと、キャロルさんも同じようにあいさつを返してくれた。
「どうされましたか?今日はお一人で。」
いつもここに来るのはエバンさんと一緒か、もしくはティーナと一緒かだった。それに出産してからはそもそもお店に来ることも少なくなっていたから、キャロルさんは不思議そうな顔をして聞いた。
「突然すみません。今日はお仕事のお話がしたくて。」
「お仕事の…?」
私の言葉を聞いてキャロルさんはもっとキョトンとした顔をした。それでもすぐに「かしこまりました」と言って、店番を他の人に頼んだ。
「こちらにどうぞ。」
そして私をそのまま、店の裏へと案内してくれた。
お店の奥には、小さなスペースがあった。その部屋の真ん中には4人が座れる椅子とテーブルの他に、ミシンとか布とか糸とか、そういうものが所狭しと並んでいた。
「すみません、こんな場所で。」
「いえ。私が突然来たのが悪いんです。それになんだか、ワクワクします。」
キャロルさんのお店のドレスは、キャロルさんや従業員さんたちがデザインしている。ここで新作のドレスの試作をしているんだと思ったら、なんだかすごく特別な場所に来れたみたいな気持ちになった。
「それは…よかったです。」
私が本当にワクワクしていると分かったのか、キャロルさんはにっこり笑って言ってくれた。そして私に座るよう促して、自分もその正面の席へと座った。
「お忙しいと思うので、単刀直入に申し上げますね。」
椅子に座るや否や、私は本題に入った。キャロルさんは真剣な顔をする私の目を、しっかりと見つめてくれた。
「ディミトロフ家の給仕係のドレスの、新しいデザインを作りませんか?」
「ディミ、トロフ家の…?」
キャロルさんはとても驚いた顔をして私を見た。
30年間もあの家で着られているドレスは、ディミトロフ家の伝統ともいえる。だからあっさりと私の口からそんな言葉が出てきたことは、キャロルさんにとってすごくびっくりすることなんだと思う。
「今回ディミトロフ家で勤めていただいている方々に、今使っているもののどこが不便なのかを聞いてきました。その不便なところを出来るだけ改善した新しいドレスを作りたいと思っています。」
昨日まとめたノートを、キャロルさんに渡した。
するとキャロルさんは真剣に、そこに書かれた意見に目を通してくれた。
「そして理想のものが出来上がったら、ディミトロフ家のドレスを変えるってのはもちろんですが…。そのドレスを"ディミトロフ家モデル"のものとして、売り出したいと思っています。」
「ディミトロフ家、モデル…?」
キャロルさんはさらに驚いた顔をして、私の方を見た。私はキャロルさんに笑顔を向けて「ええ」と返事をした。
「ディミトロフ家公式のものと全く一緒というわけにはいきませんが、同じ形・生地を使ったものを作って、誰でも着られるような形で広く売り出したいんです。」
いわゆる前世で言う、コラボデザインみたいなものだ。モデルが一緒にデザインしたりその服を着たりすることで、そのモデルにあこがれを抱く消費者の心をくすぐることが出来る。"ディミトロフ家"という看板でそれをすれば、人気が出るのではないかと考えた。
「"ディミトロフ家モデルのドレスが着たい"と思ってもらうためには、ただ動きやすいだけじゃない、すべての女性が憧れを抱くような可愛いものを作らなくてはいけません。」
今のドレスを改良してもっと働きやすくなってほしいというのはもちろん目的の一つだけど、今回最大の目的と言えるのが"憧れを持ってもらう"ということだ。見ているだけで可愛い、着てみたいと思わせるものでなければ、誰も買ってはくれない。
「そのために、キャロルさんの力が必要なんです。」
ただ動きやすいだけのものを作りたいのなら、マリエッタさんにだって縫えるかもしれない。
でもプロだからこそ、”動きやすい”かつ"憧れるような可愛い"という夢のようなデザインを考えられるのではないかと思った。
「とても素晴らしいお話だと思います。」
キャロルさんは言葉とは反対に、少し困った顔をして笑った。そして「しかし…」と言って言葉を続けようとした。
「その、恥ずかしいのですが…。」
「お金の、お話でしょうか。」
そう言われることは予想の範囲内だった。
そもそも今私がこうやって動いているのはドレス産業が不況に陥っているからで、その影響はダイレクトにキャロルさんに来ていることは、私にも簡単に想像が出来た。
「開発にかかった円は、ディミトロフ家が全て負担します。その代わり、そのドレスが発売されたあかつきには売り上げの一部を、"ディミトロフ"の名前の使用料としていただきます。」
私の言葉を聞いて、キャロルさんは少し泣きそうな目で私を見た。私はそんなキャロルさんに、にっこりと笑いかけた。
「伝統を変えるというのは、とても勇気がいるものです。でも時代はいつも変わっています。変わる時代に合わせて着るものが変わるのも、当然のことです。」
最後の一押しと言わんばかりに、私は言葉を続けた。するとキャロルさんはうつむいて、ジッと下を見ていた。
「盛り上げたいんです。テムライムのドレス産業を。」
これが今、私に出来る精いっぱいのことだ。貿易の知識を誰かに渡すだけじゃない、他にだってきっとあるはずだ。
決意をこめて言った私の言葉を聞いて、キャロルさんは下をうつむいたままでいた。しばらくして勢いよく顔を上げたと思ったら、今度はとても嬉しそうな顔をして、「ぜひお願いします」と言ってくれた。
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