番外編 ブルースのティーナ観察日記
「すみません。」
その人と初めて会ったのは、母ちゃんの代わりに店番をしていた時だった。
「はいよ!」
いつも通り出来るだけ元気に返事をして振り返ったその場所に立っていたのは、見覚えのないキレイな緑色の髪をした女性だった。
「えっと、
注文を聞きながら、チラッと襟元を見て見た。するとそこにはディミトロフ家の紋章が付いていたから、その人がディミトロフ家で働いている方なんだってことはわかった。
「新しい、方ですか?」
ディミトロフ家にはたまに配達も言っているから、給仕さんの顔はだいたい見たことがあるはずだ。お得意さまの家で働いている方なら愛想よくしておかないとなと思ってそう聞くと、彼女は少し硬い表情で「は、はい」と返事をした。
「リオレッド王国から参りました、ティーナと申します。」
最近ディミトロフ家にリオレッド王国の女性が嫁いだというのはテムライムの大きなニュースの一つだけど、給仕さんが付いてきているという話はしらなかった。少し硬くなりながらも丁寧なあいさつをしてくれる彼女に、俺も出来るだけビシッと自己紹介をしておいた。
「で、では…。」
彼女は少し下をうつむいたまま、家の方へと帰って行った。
目線は恥ずかしそうに下を向いているけど、背筋はピンと伸びたキレイな人だなと思った。
☆
「あ、ティーナさん。こんにちは!」
それからたまに、店番をしているとティーナさんに会う事があった。
何度会っても表情は硬いままでまともな話は出来なかったけど、自分は全く人見知りをしない性格をしているから、気にせずよく話しかけた。
「今日のは出来がいいんです。」
ティーナさんが仕えているアリアさんは、相当
あれ、そんなに…だったかな。
自信を持っていたはずなのに、ティーナさんが黙り込んでいるから不安になった。毎日料理をしているんだから、そりゃ目は肥えているはずだ。出来がいいなんて調子に乗ったことを少し後悔し始めたその時、ティーナさんが勢いよく顔を上げた。
「すごく、美味しそうです!」
初めて、ちゃんと目が合った。ティーナさんの目はよく見て見ると深い緑色をしていて、見ているだけで落ち着くなと思った。
「リア様が喜ばれます。」
そして目を合わせたまま、ティーナさんはにっこりと笑った。
不意に笑顔を見た俺の心臓は、分かりやすくドキッと高鳴った。ティーナさんが去ってからもしばらく心臓はうるさく鳴り続けていて、自分でも止め方が全く分からなかった。
☆
そんなある日。店まで物を運んでいると、目の前をせわしなくティーナさんが走り抜けていった。
「どうしたんだろう。」
「ねぇ?」
一緒に見ていた母ちゃんも、不思議そうにその光景を見ていた。でも追いかけるわけにもいかない俺は、母ちゃんと一緒に店に商品を並べ始めた。
「きゃあ!」
しばらくすると、背後から叫び声が聞こえた。驚いて後ろを振り返ると、店の前で思いっきり転んでいるティーナさんの姿が目に入った。
「ティーナさん?!」
盛大に転んでいるティーナさんに、反射的に駆け寄った。するとティーナさんはゆっくりと体をあげながら、「す、すみません」と言った。
「これ…。」
ティーナさんが転んだのと一緒に、手に持っていた
「ご、ごめんなさい…っ。」
「いや、別に…。」
謝られる事なんて何もしていない。
それなのにティーナさんは何度も俺に謝って、体をゆっくりと起こして立ち上がった。
「ティーナさん、血が…っ。」
するとティーナさんの膝からは、血が流れていた。手当をするために店の方に連れていこうと手を引くと、ティーナさんは「大丈夫です」と言ってその手を離した。
「い、急いでて…。ご、ごめんなさい…。」
ティーナさんはそう言って、走ってきた方にまた走り出そうとした。でも血が流れている膝が相当痛いらしくて、足を踏み出した瞬間歪んだ顔をした。
「ティーナさん。」
今度はほどかれない力で、彼女の腕を握った。ティーナさんは驚いた顔をしたけど、「大丈夫ですから」ともう一回言った。
「母ちゃん、ちょっと手当てしてあげて。」
俺はティーナさんの主張を無視して、強引に手を引いて母ちゃんのところに連れて行った。ティーナさんはそれでも「大丈夫です」と言っていたけど、俺はそれにゆっくり首を振った。
「
ティーナさんはきっと、「そんなわけにいかない」というんだろう。
何となくそれが分かったから、俺は返事も聞かないまま
転ぶほど急いで
そんなことを考えながら、本当は少し入りづらい女性ばかりの店内に足を踏み入れた。そしてなんとか
「す、すみません…っ。」
店に着くと、もうすぐで手当てが終わるくらいだった。俺が手に持っている
「どうしたのさ。こんなに急いで。」
すると母ちゃんが、俺の聞きたいことを聞いてくれた。するとティーナさんはついに泣き出して、「リア様が…っ」と言った。
「体調を崩されて…っ。ご飯を食べてくれなくて…っ、それで…っ。」
よくよく話を聞いてみると、アリアさんがしばらくご飯が食べられないほど寝込んでいるらしい。そして今日久しぶりに食べたいものを言ってくれたんだそうだ。だからティーナさんは急いで、
「私、本当に…。何の役にも立てなくて…っ。」
この人はいつも、その"リア様"のことばかり考えている。
美味しい
"リア様"のことが自分よりもずっと、大切なんだと思う。
「役に立ってない事、ないんじゃないですか?」
話をさえぎってそう言った俺を、ティーナさんは驚いた顔で見た。涙で濡れた目がキラキラと輝いていて、とてもキレイだった。
「そうやって自分のためにケガまでしてくれる人がいて、きっと心強いよ。」
いてくれるだけで心強い存在って、きっといるはずだ。
リオレッドからたった2人でこの国に来たんだから、アリアさんにとってティーナさんが支えになっている存在だってこと、本人に会ったことがなくてもよく分かる。
「そうだよ。ほら。」
その時ちょうど手当を終えた母ちゃんも、俺に同調してそう言った。そしてゆっくりと、ティーナさんを立ち上がらせた。
「しばらく溶けないから、今度は転ばないように、慎重にね。」
立ち上がったティーナさんに、俺は買ってきた
「ありがとう、ございます…っ。」
「いいから。行ってください!」
さっきは急ぐななんて言ったのに、ティーナさんの背中を押して俺は言った。ティーナさんは一度振り返って深い礼をした後、振り返ってまた走って王城の方へと向かっていった。
小さくなっていくティーナさんの背中を見て思った。
いつも自分のことじゃなく、誰かのことを優先に考えている彼女を、俺が守りたい。
彼女の代わりに俺が、彼女のこと一番に思いたい、と。
「あんた、好きになっちゃったの?」
「うるせぇ。」
今自分でも自覚したばっかりなのに、変なところでするどい母ちゃんがそう言った。デリカシーがなさ過ぎると思って母ちゃんをにらむと、「ごめんごめん」と言いながらも、にやけた顔でこちらを見ていた。
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