番外編 マリエッタのエバン夫婦観察日記


私がディミトロフ家にお仕えしてもう30年。

小さなころは泣き虫でいつも旦那様の後ろを追いかけまわすだけだった坊ちゃまが、リオレッドの女性と結婚すると言い出した日にはとても驚いた。



「どんなお方なのかしら。」

「厳しい方だったらどうしましょう…。」

「お一人、リオレッドから給仕係が付いてくるらしいわ。」



リア様が引っ越してくることが決まってから、給仕室はそんな話でもちきりだった。給仕長としてしっかりした姿を見せないと思って気にしない様子で過ごしていたつもりだけど、私も実際にお会いするまでドキドキしていたってのは秘密の話だ。





「初めまして。アリア・サンチェスと申します。」



初めてお会いしたその瞬間、その美しさに全員が言葉を失った。

テムライムでは遠い昔に絶滅してしまったと聞くエルフ族の方を見る事自体、約50年の人生を通して初めての出来事で、私もしばらくの間見とれてしまった。



「あ、私サンチェスじゃないのか…。いや、まだサンチェスなの?」

「リア様。」



すると私たちが動揺している間に、リア様は唐突に自問自答をし始めた。一緒についてきたティーナに釘を刺されて次の瞬間にキリっとした顔に戻ったけど、その一瞬で楽しい方なんだっていう事が分かって、少しホッとした。





「お休みの日を作りましょう。」



ディミトロフ家に来てしばらくたった後、リア様は唐突にそんなことを言い始めた。長い給仕人生で、"お休み"なんて概念が存在するということなんて、考えたことがなかった私は心底驚いた。



「でも…。」

「みんなだって人間でしょ?たまには自分のための時間があったほうが、仕事だって頑張れるじゃない!」



リア様はとても大胆で活動的で、そして常に新しいことを考えている人だった。

"身分"というものに縛られてる私たちにとってその考え方は思いつきもしないもので、嬉しくもあり、同時に受け入れがたいことだと思った。



「私共は…。」



ここにいるほとんどの女給は、旦那様に拾ってもらった人材だ。

なんでも先代のオーランド様は身分制度をひどく嫌った人で、働き手のない女性や家のない人を、女給として住まわせて働かせてくれたらしい。


その考え方が伝統として旦那様へ引き継がれたおかげで、私たちは旦那様に拾ってもらえた。そしてそのおかげで今、普通に服を着て、毎日ご飯が食べられる生活が出来ている。



「拾ってもらった身だから、とかいうの?」



すると私の言葉の続きを、リア様が言った。頭の中を覗かれたようで驚いていると、リア様はクスクス笑い始めた。


「拾ってもらったとかそんなのは関係ないよ。仕事をしてもらって、そして円を払う。私たちは一方的な関係じゃないの。お互いがお互いのために存在している、対等な関係なの。」



かく言う私も、先代から拾われた身だ。それに結婚相手まで紹介してもらっているから、ディミトロフ家にはいつまでも頭があがらない。いくら"対等な関係"と言われたって、その芯の部分は変わらないんだろうけど、リア様は当たり前って顔をして笑って私を見た。



「対等な関係なのに、片方にお休みがないなんておかしな話じゃない?ね、そうでしょ?」

「うん。そうだね。」



リア様に同調を求められて、坊ちゃまはとても嬉しそうな顔で返事をしていた。もともと柔らかかった坊ちゃまの雰囲気は、リア様が来てからもっと穏やかになったと思う。

坊ちゃまはすぐにそれを旦那様に話して、実際私たちには、1週間に2度程度のお休みが与えられることになった。



その噂はいつしか、街中へと回った。

おかげでディミトロフ家で働きたいという人が増えて、万年の人手不足が少し解消した。


それからもリア様は家の中の色々なことを改革していって、旦那様も奥様も満足そうにそれを受け入れていた。

私から見ればまだ少女のように幼い彼女が、確実にディミトロフ家を変え始めた。リア様が来て間もないというのに、この家がリア様中心で回り始めたのを肌で感じた。




しばらくしてリア様は、双子の可愛い男の子を出産された。

元々リア様のことが大好きで心配で仕方ないって様子だった坊ちゃまは、リア様が出産のときに意識を失ってからもっと、リア様の心配をされるようになってしまった。



「マリエッタさん、ちょっと。」



それでも坊ちゃまは仕事に行かなければならない。

本当は遠征になんて行きたくないんだろうけど、もともと真面目な性格をしている坊ちゃまに、仕事をさぼるなんて選択肢はないんだろう。


今回初めて出産後に遠征をすると聞いたから大丈夫かと心配していたけど、案の定出発前に坊ちゃまは突然給仕室に来て私を呼んだ。



「どうされましたか。」

「僕がいない間、リアを見張っててほしいんだ。」



坊ちゃまは予想通りの言葉を、真剣な顔をして言った。真剣な顔をしている坊ちゃまには失礼だけど、その姿が微笑ましくて笑ってしまいそうになった。



「リアはやめろといっても何かしようとする思う。だから絶対に無理させないで。できればずっと部屋にいさせてほしい。」



リア様がここに来てから出産するまで、部屋でジッとしていたのは体調を崩した時くらいだった。だからそんなことが出来るはずがないと心の中では思いながら、「かしこまりました」と答えた。

坊ちゃまは私の返事を聞いて少しホッとした顔はしたけど、「よろしく頼むよ」としっかり釘を刺して、遠征へと向かった。





私は坊ちゃまとの約束をさっそく破って、リア様に街に行ってみてはどうかと提案した。いつだって活動的だったリア様が、育児でここ半年は家にこもりっきりの生活をしている。それでは息が詰まってしまって余計ストレスになると思っての提案だった。



「ちょっと王様のところに行ってくるね。」



するとお出かけをしてから数日後。リア様が唐突にそう言いだした。

最近何か真剣な顔をして書き物をしているのには気が付いていた。先日王様が唐突に家に来てくださった時、何やら真剣そうに話をしていたのも、気が付いていないわけではなかった。


それでもあまり深くは追及しないようにしていたんだけど、今になってよくよく話を聞いてみると街で何かを見つけてきたらしく、早速そのことについて王様とお話をされるらしい。



――――やってしまった。



私は坊ちゃまとの約束を破った上、さらに働くスイッチを入れるきっかけを作ってしまった。

どうにかして止められないかと頭を抱えたけど、もう王様と約束をしているらしいリア様を、私は止めることは出来ない。元気に出て行くリア様の背中を見送って、心の中では坊ちゃまになんて謝ろうかと考え始めた。



「ただいま~!」



それからしばらくして、リア様が元気に帰宅された。

とりあえず元気で帰ってきてくださったことにはホッとした。でももうこれ以上、外には出さないと、今度は坊ちゃまとの約束をちゃんと守ると心の中で誓った。



「リア様。」



本人にも釘を刺しておこう。そう思った私は、部屋に帰ろうとするリア様を呼び止めた。



「ん?どうした?」



振り返ったリア様は、とても生き生きとした顔で言った。

思えば最近、こんな楽しそうな顔は見ていなかった気がする。子供が生まれて幸せで満たされた生活を送っていたとはいえ、やっぱり疲れがたまっていたんだろう。



「いえ、なんでもござません。」



坊ちゃま。

きっとリア様は、家にいさせるより、外に出ていただいた方が元気なんです。


心の中で坊ちゃまに語り掛けた。

最初感じた通り、この方はとても大胆で活動的で、そして新しいことをいつも考えている人だ。たまに考えすぎてパンクしてしまうことがあるみたいだけど、かといって考えるなと言ったら、それもそれできっとストレスになる。



「お疲れ様でした。」



無理をしないように、見守ろう。

坊ちゃんが帰ってきたら伝えなければいけないのは、"ごめんなさい"よりそれだなと思った。



「マリエッタさんの方がいつもお疲れでしょ?ありがとう。」



ねぎらいの言葉をかける私をねぎらって、リア様は楽しそうな様子で部屋に帰って行った。



去っていくリア様の背中を見ながら、どんな方が来るのか心配していたあの日の自分たちに教えてあげたいと思った。



来られるのはとても予想外で、素晴らしい人だよ。その人のおかげでこの家は、そしてこの国さえも、どんどん変わっていくよ、と。


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