第32話 テムライムの人間になるということ
その日はそのまままっすぐに家に帰った。
私が出かけている間カイトとケントはいい子にぐっすりと寝ていてくれたらしく、マリエッタさんは「もっと出かけててよかったのに」なんて言ってくれた。
そしてその次の日。二人が寝た隙をみて、私は庭のテーブルに座って今の考えをまとめてみることにした。
「えっと、まず…。」
私が生まれたころ、この世界には"会社"みたいなものが存在しなかった。すべては国が管轄していて、商品の購入とか代金の支払いも国が主導でやっていた。
でも最近は商売が増えて、会社みたいなものがどんどん増えていた。
例えば今までテムライム王国が輸入していたドレスも、今や初めてテムライムに来た時会ったドレス屋さんのキャロルさんが輸入量を決めたり代金を支払ったりっていう仕事をしている。テムライムだけでなく、リオレッドでもそういう動きが加速しているらしい。
「それはいいことなんだけどな…。」
それはとてもいいことだと思う。
今まで国が管理していた儲けとかを、働いている人たちにより還元しやすくなる。今だってその会社みたいなものは国の監視下になるのはまちがいないんだけど、そうやって商売人が増えていくという事は、国が儲かって繁栄していっていることに等しい。
「でも…。」
でもこのままの状態でいると、キャロルさんの商売が危なくなる。不可抗力のトラブルで業績が悪化するのはとてもよくないことだと思う。
「よし、やるか。」
少し腰は重かった。
出産して体重が増えたからとかそういうことじゃなくて、まだ私は"テムライムの人間"になったという実感があまりなくて、こんな私が意見していいのかって遠慮がどこかにあった。体重も増えたけど。
でもこの国で生きていくと、覚悟を決めてきたはずだ。覚悟をきめたなら、"この国の人間"になった自覚を持たなければならない。そして私にできることがあるのであれば、精いっぱいやるべきだ。
久しぶりに思い出した正義感を引っ張り出して、私はペンを取った。するとさっきまでのためらいが嘘みたいに、ペンは勝手にスラスラと進んだ。しばらくすると私は周りが見えなくなるほど、集中の世界へと引き込まれて行った。
☆
「君はママになっても変わらないね。」
どのくらい集中していたのか全く分からない。没頭して書き物をしていた私の意識は、目の前から唐突に聞こえた声でこちらの世界に引き戻された。
その声に反応するように、ゆっくりと頭をあげた。そして目の前に立っている人物の顔を見て、私は思わず言葉を失った。
「え…お、王、様…?王妃、様…?」
「ああ。久しぶりだね、リア。」
「元気そうでよかったわ。」
数人の使用人を引き連れた二人は、仲がよさそうに腕を組んで机の前に立っていた。こんなところに王様がいるはずがないと一瞬自分の目を疑ってみたけど、何度見たってそこに立っているのは王様で間違いないみたいだった。
やっと正気を取り戻した私は、急いで椅子から立ち上がった。そしてここまでの空白を取り返すように素早く礼をした。
「いいんだよ、リア。楽にしてくれ。」
そんな私に、王様は穏やかな声で言った。
まだ動揺が収まらなくて半分ボーっとしていると、王様に気が付いたマリエッタさんやティーナがめちゃくちゃに焦っている声が耳に入ってきた。
「ほら、言ったじゃない。かえって気を遣わせるって。」
「すまない。そんなつもりはなかったんだが…。」
焦って何かを用意しようとしているみんなを止めて、王様はいった。私はというとまだ体をこわばらせたまま、その場に立ち尽くしていた。
「久しぶりにカイトとケントに会いたくなってな。散歩ついでに寄ってみたんだ。」
「そ、そんな…。いつでも連れて行きますからおっしゃってください。」
私の言葉を聞いて、王様は「ありがとう」と笑って言った。そして私が書きものをしていた机に視線を落として、机に置いていた一冊の本を手に取った。
「これは…。」
それは初めてテムライムに来た時に、王様にもらった本だった。あれから何度も何度も読み込んでテムライムのことを勉強した、とても大切な本だ。今回新しい提案をするにあたって、もう一度読み返そうと思って机の上に置いていた。
「いただいた本です。ボロボロになってしまって…。ごめんなさい。」
あまり几帳面なタイプではないし、何度も読み込んだってのもあって、本はもうボロボロになってしまっていた。「私のプレゼントなのに」と怒られたどうしようと思ってうつむいていると、王様は「違うんだ」と言った。
「そうじゃないよ、リア。たくさん勉強してくれて嬉しいんだ。」
王様は穏やかに笑って言った。
その笑顔を見て、久しぶりに思い出した。私って王様運最強だったんだと。それを思い出したと同時に、勇気が湧いてくる音がどこからか聞こえた。
「王様。近々お話したいことがありますので、お伺いしてもよろしいでしょうか。」
こういうことはとても久しぶりで、それにテムライム王様に自分から何か提案するのは初めてで、内心ドキドキした。でも王様は相変わらず穏やかに笑って、「もちろんだ」と言ってくれた。
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