第20話 代わりに全部覚えてるから
「リア…?」
私はその場に座り込んだまま、しばらく意識をぼんやり飛ばしてしまっていた。そしてそんな私の意識を引き戻したのは、聞こえるはずのない人の声だった。ここは滅諦に人が来ないし、それにいつも薄暗い。考えてみれば幽霊が出るにはピッタリの環境だなと考えながら、恐る恐る声の方へと振り返ってみた。
「エバン、さん…?」
ドアの方には必死な顔をした、エバンさんの姿があった。
そうか。幽霊なんかじゃない。頭がおかしくなってついに幻覚が見えるようになったんだ。
明日ティーナに言ってお医者さんを呼んでもらわなきゃと考えていると、エバンさんは顔を泣きそうなほど歪ませた後、私の方に飛びつくように寄ってきた。
「リア…っ!」
「あ、れ…?」
幻覚のはずのエバンさんは、すごく暖かかった。それに抱きしめられている手が痛くて、感覚まで本物みたいに感じた。
「ほん、もの…?」
恐る恐る、手をエバンさんの背中に回してみた。するとエバンさんの背中は確かにそこにあって、やっと私はそれが本物だって、認識し始めた。
「本物、だ…っ。」
「ごめん…っ、ごめん…っ。」
謝ることなんて何もないのに、エバンさんは何度も私に謝った。
エバンさんのぬくもりで今までなかなか埋まらなかった胸が一気に満たされていく感じがして、胸におさまらなくなった感情がついに涙になってあふれ出した。
「大丈夫?立てなくなったの…?熱もあるのに無理しちゃ…」
「エバンさん。」
早口言葉で一気に言いたいことを言う彼を止めるように、優しく名前を呼んだ。するとエバンさんはそっと体を離して、私の涙を指ですくった。
「おかえりなさい。」
エバンさんは泣きそうな顔をやっと笑顔にして「ただいま」と言ってくれた。私は自分からエバンさんにギュっと抱き締めて、これまで寂しかった分を取り戻すように、エバンさんのぬくもりを全身で感じた。
「リア。熱があるのにこんなとこに長くいちゃダメだよ。」
しばらくするとエバンさんは、そう言って私を軽々と抱っこした。まるで子供みたいだと恥ずかしがっている間に部屋まで連れて行ってくれて、そっとベッドに寝かせてくれた。
「体、冷えちゃってる。」
エバンさんは丁寧に私に布団をかけなおして、自分はベッドから立ち上がった。私は去ろうとするエバンさんの腕を、思わずギュッとつかんだ。
「どこ、行くの…?」
エバンさんはまだ仕事の時の服を着ていた。
もしかして一瞬帰ってきただけで、またどこかに行ってしまうんだろうか。そう思って焦って聞くと、エバンさんはにっこり笑って私の頭を撫でた。
「大丈夫。どこにも行かない。着替えてくるから、少しだけ待っててくれる?」
そりゃそうだ。
剣に腰を差したままなんて、寝られるはずがない。
一気に恥ずかしくなった私は「うん」とちいさく言いながら、布団の中にもぐりこんだ。
「お待たせ。」
パジャマに着替えたエバンさんは、そっと布団に入ってきた。
そして自然と私を抱きよせて、すっぽりと胸の中におさめてくれた。ぬくもりと鼓動の音で、心が一気に落ち着いていく感覚がした。
あたたかくなると、一気に眠くなった。
でも目を閉じて眠ってしまえばまたエバンさんがどこかに行ってしまうんじゃないかと思うと、心配で寝られなかった。
「あのね。」
それに私はエバンさんに話したいことがいっぱいあった。
エバンさんはそれを察してくれたのか、頭を丁寧に何度も撫でながら「ん?」と優しく言った。
「私、前世の記憶があるの。」
いきなりこんなことを言ったらどんな反応をされるんだろう。
心配しないわけではなかったけど、何となくエバンさんには知っていてほしかった。
「前世では、どんな子だったの?」
すると私の心配をよそに、エバンさんは楽しそうに「もしかして男だった?」と付け足して聞いてくれた。
なんだか私も楽しくなってきて、「ふふふ」と声に出して笑ってしまった。
「女の子だったよ。普通の、今よりずっと平凡な、女の子。」
本当は"女の子"なんていう年齢はとっくに終わってたんだけど、あえてそれは言わなかった。するとそれを聞いたエバンさんは「そっか」と、少し安心した様子で言った。
「前世でね、とても好きな歌があったの。」
エバンさんは何も言わず、ただ話を聞いてくれた。私は安心しきって、そのまま話を続けることにした。
「少し悲しい恋の歌だったんだけど。すごく好きだったから何度も何度も聞いたの。それに何度も歌ったの。」
失恋をした女の子が部屋の天井を見て、色々と考えをめぐらす。考えてみても相手の気持ちがわからない。もし相手も天井を見て考え事をしているのなら、天井を交換すれば気持ちがわかるのだろうか。
"天井交換"は、そんな内容の歌だった。
「でもね、それが思い出せなくなったの。頑張っても頑張っても、メロディが浮かんでこないの。」
たくさん聞いたから歌の内容は思い出せる。
でもどうしても、メロディだけが頭から完全にきえてしまった。
「こうやってリオレッドのこともいつか忘れちゃうのかなって思ったら、なんだか悲しくなって、帰りたくなっちゃった。」
昔大事だったはずのことも、時間が経てば忘れてしまうのだろうかと心配になった。リオレッドでもらった大切な記憶や人、ものだって、全部いつかなくなるんじゃないかって、そんな気持ちになった。
「でもね、違うよね。」
でもそれは違う。忘れてしまったとしても、それは私の一部になって、体の中に残ってる。
「それに私は、それ以上に大事なものをたくさん持ってる。」
それは全部、浅田健司さんが、エバンさんのおじいさんが教えてくれたことだった。どうしてそんな簡単なこと忘れてたんだろうと思ってエバンさんに近づくと、彼は私を抱きしめている手をギュっと強めた。
「もっと教えてよ。」
「え?」
「君は、何て名前だったの?」
するとエバンさんは穏やかな声のままそう言った。
私はエバンさんの鼓動を肌で感じながら、「えっとね」と話を続けた。
「鹿間、菜月。なっちゃんとかシカちゃんってよく呼ばれてた。」
「なっちゃん…。」
この世界で誰かにそう呼ばれる日が来るなんて、夢にも思わなかった。その響きがすごく懐かしくて、胸がもっと暖かくなった。
「他は?どんな食べ物があった?お母さんはどんな人?どんな見た目をしてた?好きなものは?」
するとエバンさんは答える隙が無いほど早口で私に聞いた。驚いて顔を離してエバンさんを見つめると、彼はやっぱり穏やかな顔で笑っていた。
「僕が覚えてるから。」
「…え?」
「君の大切だったもの、僕が覚えておくから。全部話して。」
ああ、私。
なに、全部失った気になってるんだろう。
これから失っていく記憶もあるのかもしれない。リオレッドに置いてきたものだって、すごく大切なものばかりだ。
でもかけがえのないものが、何にも変えられないものが、ここにあるじゃないか。
「ありが、とう…っ。」
エバンさんはあふれ出した涙を手ですくって、頭を撫でてくれた。その行動のせいで余計に涙が止まらなくなって、エバンさんの胸に飛び込むみたいに顔を寄せた。
「それじゃ、まず男がいたかどうかから聞こうか。」
「へへへ、それは秘密。」
そう言えば南出さんは、元気にしているだろうか。
あの後ちゃんと運命の人に、出会えたんだろうか。
いい人だからきっと幸せになってほしいなと思いながら、何から話そうかとワクワクした。その日は止まるまで前世のことを話し続けて、エバンさんは邪魔することなくずっと、話を聞き続けてくれた。
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