第89話 今までいえなかった言葉たち


「リア。」


立ち尽くす私に、そのシルエットは近づいてきた。私は思わず足を後ろに引いて、何を言われるのかと身構えた。



薄情者と言われるんだろうか。

お前がテムライムの領域に踏み込むなと、言われるんだろうか。



いっそのことそう言ってくれた方が、忘れられるのかもしれない。私はなにを言われてもいいという覚悟を決めて、ギュッと目をつぶった。



「…リアっ!」



すると次の瞬間、私は暖かい何かに包まれていた。驚いてそっと目を開けると、視界に入ってきたのは、たくましくて暖かいエバンさんの胸だった。



「リア、会いたかった…っ。」

「エバン、さん…?」



エバンさんは壊れそうなくらい強く私を抱きしめて、そして離さなかった。私はまだ何が起こっているのか理解しきれなくて、されるがままになっていた。



「リア。」



エバンさんが私を呼ぶ声は、とても穏やかで優しかった。まるで今の海みたいだなと思った。



「リア。君は僕を、裏切ると言ったよね。」



するとエバンさんは私を抱きしめたまま言った。もしかしてこのまま絞殺されるのか?と思った。



「すごく傷ついた。悲しかった。」



やっぱりこのまま骨をバキバキにおられて死ぬんだと思った。でもこんなに好きな人に殺されるんだとしたら、それはそれでいいとも考えた。



「でもね、傷ついたのはリアの方だったんだよね。」



エバンさんはそこで、私の体をそっとはがした。声を発することが出来ないままエバンさんの顔を見つめると、彼は今にも泣きそうな顔で笑っていた。



「リアは僕のためにそう言ってくれたんだ。裏切ると言ったんだ。そんなこと分かってたはずなのに、僕は君を手放してしまった。」



どうしてみんな私のために、こんな顔をしてくれるんだろう。どうしてこんな風に、私を想ってくれるんだろう。


エバンさんの想いが私の心に直接流れ込んできて、今にもあふれそうになった。



「僕はリアのためなら、国だって捨てられる。地位も名誉も、そんなものは何もいらないんだ。」


エバンさんはそう言って、私の頬に手を置いた。するとその後すぐに「フフッ」と、困った顔で笑った。



「いや、リアのためなんかじゃない。ただ自分がリアと一緒にいたいだけだ。」



エバンさんは愛おしそうな目をして、私の頬を撫でた。いよいよ私の気持ちは満タンになって、涙になって溢れ出した。



「リアがいれば何もいらない。いつも国のことを考えている君にこんなことを言うと怒られるかもしれないけど、リアがいれば国なんてどうでもいいんだ。」



本当は私だってそうだ。

何もかも投げ出して、今すぐあなたと逃げたい。



「お願いだ。僕のそばにいてくれ。もう君を泣かせない。悲しませない、だから…っ。」



エバンさんが何かを言い終わる前に、今度は私がギュっとエバンさんを抱きしめた。彼の体はとてもたくましくて大きくて、そしてすごく暖かかった。



「会いた…かったっ。」



本音を言ったのはいつぶりだろう。

今までずっと気を張って言えなかったセリフが、涙と一緒にあふれてきた。



会いたかった。会って抱きしめたかった。

出来る事なら伝えたかった。



大好きです。ずっとずっと想っています、と。



「ごめん、本当にごめん…っ。」



エバンさんは私を抱きしめ返して何度も謝った。

泣きすぎて訳が分からなくなりながら私も「ごめんなさい」って謝って、エバンさんの胸を借りて泣き続けた。




「リア。」



しばらくして泣き止んだ私をそっとはがして、エバンさんは私の顔を覗き込んだ。久しぶりに見る彼の瞳は、とても純粋な色に輝いていた。



「愛してる。」



そう言ってエバンさんは、私に優しくキスをした。あの時と同じ人としているキスのはずなのに、それはすごく暖かくて、そして一瞬で心が満たされるキスだった。



私は彼のぬくもりや存在を確かめるためにしっかりとエバンさんの肩にしがみついて、もう一生離れないと心に誓った。



「リア。」



名残惜しそうに唇をはがしたエバンさんは、懐から何かを取り出した。そして私に抱き着くみたいにして、両手を首に回した。



「もう返されても、受け取らないから。」



エバンさんが体を離すと、胸のところには前もらった赤い宝石の付いたネックレスがついていた。ただでさえキラキラと輝いている宝石が、朝日に照らされて燃えているように見えた。



今度こそ離さない。


そんな決意をこめてその宝石を握って、私はエバンさんの目を見て大きくうなずいた。



「リア。」


するとそんな私を見たエバンさんは、今度はゆっくりとひざまずいた。何をするんだろうと驚いたまままっすぐ目を見ると、エバンさんはとても穏やかな顔でにっこりと笑って自分の左手を差し出した。




「僕と、結婚してください。」




目からは相変わらず涙がとめどなくあふれてきて、もうまともに声を出せそうになかった。私は差し出されたエバンさんの手にひきつけられるようにして、自分の手を彼の手に重ねた。


声を出して返事をする代わりに、首を大きく縦に振ってこたえた。するとエバンさんは私の手をグッと引いて、そのまま抱き上げてくれた。



これからの未来に何が待っているんだろう。

ルミエラスの王に捨てられた私は、テムライムで受け入れてもらえるんだろうか。

もしかしてエバンさんのお母さんたちに、大反対されたりして。



そもそもうちのママだって、許してくれるか分からない。



でもいいか。なんでもいいや。

今ここに、エバンさんがいてくれる。



私はこの期に及んでもあれこれ考えてしまっていたけど、でもそれも全部どうでもいいって思えるほど、エバンさんがくれる気持ちで心が満たされていた。



いつの間にか高く上った朝日が、エバンさんの背中越しに見えた。今まで何度だって見てきたはずのリオレッドの朝日なのに、それはこれまで見たことのないくらいに美しく輝いて見えた。



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