第75話 そんな悲しい顔、しないで
その後私は、その場に固まっているエバンさんを残して家に入った。
部屋に入った途端涙があふれて止まらなくなって、やっぱり一緒に逃げてしまおうかとギリギリまで考えた。
でも逃げるという事は、戦争が起きるかもしれないだけでなく、エバンさんにすべての地位とか名誉を捨てさせることに等しい。彼に隠れて生きるような人生を送ってほしくないって考えたら、逃げたい気持ちもスッと収まった。
「リ、リア、様…。」
一晩中寝られないまま泣き続けて朝を迎えた私の顔は、絶望的に終わっていた。クマはひどいし目は真っ赤だし腫れてるし…。
そのひどさったら鏡越しに私を見たティーナが、驚いて言葉を失うくらいだった。
「ティーナ、隠せるかな。せめて可愛くお別れしたいの。」
「はい。任せてください。」
出来るだけみんなに会わないように、今日は夜も明けきらない早朝にルミエラスに出発するようにしていた。
出発の日を知っているのはパパとママ、そしてじぃじとウィルさんだけだから隠す必要もないのかもしれないけど、自分の大切な"家族"には一番悲しい想いをさせたくない。
ティーナはいつもより念入りに化粧をしてくれて、ひどかった顔はなんとかいつも通りに戻っていった。化粧で何とか取り繕った自分の顔は、まるで心の中を表しているみたいに見えた。
「王城に、行ってくるね。」
まだ薄暗いうちに、私は一人、王城へ向かった。
大好きな景色を出来るだけ頭に焼き付けるために、かみしめるようにゆっくりと、王城までの道を歩いた。
行き慣れた道、通いなれた場所。
そして大好きな人たちのいる、この国。
朝っていうよりほぼ夜中みたいな時間だから、薄暗くて周りに全然人はいなかった。まるでこの世に一人になったみたいな気持ちになって、また寂しさがどんどん湧き上がってきそうになった。
「アリア・サンチェスでございます。」
「どうぞ。」
門番のおじさんとこうやって挨拶を交わすのも、何度目なんだろう。
彼だってきっと私がルミエラスに行くことを知っている。そのせいなのか、今日はすごく悲しい顔をしてドアを開けてくれた。
「いつもありがとうございます。」
いつも。
これは"いつも"の光景だったはずなんだけど、今日をもって"いつも"ではなくなる。
普段はそんな丁寧に言わないけど、初めて来た時みたいに丁寧に作法をして言うと、おじさんはビシッとした敬礼で挨拶に答えてくれた。
「ミアさん…。朝早く失礼します。」
「いえ。」
ミアさんもやっぱり、どこか悲しい顔をして出迎えてくれた。
そしていつもなら雑談をしながら歩くはずの道を私たちは無言で歩いて、すぐにじぃじの部屋へとたどり着いた。
「中で王様がお待ちです。そのままお入りください。」
「ありがとうございます。」
ミアさんは門番の人たちも遠ざけていてくれたみたいで、じぃじの部屋の周りにはめずらしく誰もいなかった。
私はノックをしながら小さく「入るよ」と言って、ゆっくりと大きなドアを開けた。
「リア。」
じぃじはいつものソファに、座っていた。
薄暗いせいか顔色もなんだかよくないように見えて、こんなに悲しませてしまっているのかと思うと、胸がもっと痛くなる感じがした。
「じぃじ、朝早くごめんね。」
じぃじの横に座って、手を握った。
じぃじの手はすごく冷たくて、余計に心配になった。
「体調、悪いの?大丈夫?」
何も言わないから余計心配になって、私は思わず顔を覗き込んだ。するとじぃじは見たこともないくらい悲しい顔で、「リア」と私の名前を呼んだ。
「こんな時まで人の心配をしないでいいんだ。」
じぃじの顔が泣きそうに見えたから、私は思わずじぃじの頬に手を添えた。前は太っていたはずのじぃじの頬は、なんだか少しこけていた。
「ねぇ、じぃじ。」
私の手のぬくもりが出来るだけじぃじに伝わるよう、優しい声で名前を呼んだ。でもじぃじはそれでも悲しそうな顔をやめなかった。
「そんな悲しい顔、しないでよ。」
お願いだから。お願いだからいつもみたいに笑ってよ。
「じぃじが笑ってないと、みんなも笑えないよ。」
みんなが笑うため、私はこの決断をしたの。だからお願い。
「お願いだから…。ずっと、笑ってて。」
私はそう言って、心からの笑顔でにっこり笑った。
するとじぃじはまだ悲しい顔をしながらも、無理して笑顔を作ってくれた。
「ありがとう。」
それだけでも充分だ。たとえそれが本物じゃなかったとしても、笑顔が見られただけで満足だ。
自分に言い聞かせながら、私はじぃじをギュっと抱き締めた。するとじぃじは私の背中を、いつもみたいに優しくポンポンと叩いた。言葉にはしてくれなかったけど、それが"おめでとう"って言ってくれているって捉えることにした。
「じぃじ。」
「ん?」
「リオレッドのこと、よろしく頼むね。」
こんなこと、私が王様に言うなんておこがましいことだとわかってる。
それにじぃじならこの国をいい国にしてくれることくらい、よくわかってる。
それでも言いたかった。言わずにはいられなかった。
自分が誰かの希望になれるって思わなきゃ、固めた決意が今にも崩れそうだった。
「ああ。大丈夫だ。」
じぃじはいつものたくましい声で言ってくれた。
それでやっと安心できた私は、じぃじから体を離してまた笑顔を作った。
「行ってきます。」
「行って、らっしゃい。」
やっぱりおめでとうは聞けなかった。
それにやっぱり、具合の悪そうなじぃじが心配だった。
でも私はいかなくてはいけない。それが自分で選んだ"道"なんだから。
お別れの挨拶の代わりにじぃじの頬にキスをして、私は王城を去った。そして誰にも見られないうちにパパと一緒にポチに乗って、そのまま港へと向かった。
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