第9話 じゃあ、行ってきます
「決意は固まりましたでしょうか?」
天使は今日はしっかりと輪っかと羽根をつけて、私を覗き込んだ。私は心なしか重い体を持ち上げて「うん」と何とか返事をした。
「てか私、死んでも見つかんなくない?腐ってボロボロになって見つかるとか嫌なんだけど?」
一人暮らしの私は、きっとすぐには見つけてもらえない。会社を無断欠勤したとしても誰か家まで来てくれるかも分からない。
急にそんな不安に襲われると、天使は笑って「大丈夫です」と言った。
「明日無断欠勤されたことで、同僚の大前様から祥子様へ連絡が行きます。」
「あ、そっか。」
そう言えば同期の大前君を、祥子に会わせたことがあった。偶然に出くわしたから一緒に飲んだだけだったけど、あの時の自分を褒めてあげたくなった。
「キレイに眠った状態で発見されますのでご安心ください。」
「はあ…。」
決意を固めたとはいえ、まだ実感が持てたわけではなかった。正直まだ少し夢の中にいるような気持ちのまま、私は大きく深呼吸をした。
「それでは、転生の準備に入らせていただきますがよろしいでしょうか。」
「ちょちょちょっと待って。」
天使があまりにもあっさり言うもんだから、心の準備をするためにそれを止めた。そると天使は不思議そうな顔をして、「まだなにか?」と聞いた。
「痛いとか、ないよね。」
「もちろんです。次目覚めた時には新しい人生が待っています。」
良かったですねというテンションで言われたけど、私は"鹿間菜月"としての人生に、不満を感じているわけではなかった。ましてや次何になるかもわからない。
全然よくないよと思いながら天使をにらみつけると、やつは相変わらず楽しそうに笑っていた。
「大丈夫です。きっといい転生先が見つかるはずです。」
「そんなこと言われても…。」
「菜月様は私が選んだ中でも、特にかわいそうな死に方をされるので。」
現世の死に方と転生先って比例するのね。
それならそうと早く言ってほしかった。
「はぁ~!最後に…」
「セックスしたかった、ですか?」
「ちょっと、そんなストレートに言わんといてよ。」
咄嗟の出来事に、思わず方言が出てしまった。すると天使は私の様子を見てまた楽しそうに笑って、「大丈夫です!」と言った。
「転生先できっと、素晴らしいセックスも待っているはずです!」
「ちょっと、あんたねぇ。」
天使は両手でグーサインを作って、こちらに見せてきた。この人が手続きするとしたら、先を思いやられるなと思った。
「それでは本当に行きますよ!」
「は、はい…。」
どうすればいいか分からなくて、私はその場で正座をした。すると天使はどこからか魔法使いのスティックみたいなものを取り出して、私の方に向けた。
「それでは"菜月様"はここで終了です。お疲れ様でした。」
ありがとう、鹿間菜月。
29年間、人に自慢できるほどいいことはなかったけど、でも、楽しかった。
ありがとう、お母さん。ありがとう、祥子。ありがとう、南出さん。私に出会ってくれた、すべての人たち、本当にありがとう。
――――そして、悲しませて、ごめんなさい。
「幸運を、祈ります。」
「はい。」
私はきっと次の世界でも、幸せになります。だからそんなに、悲しまないでね。
無理なお願いかもしれないけど、最後に伝わるかどうか分からない願いを、心の中で祈った。
そして次の瞬間には目の前がまぶしい光に包まれ始めて、天使の姿も、どんどん光に消えて行った。
「じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
鹿間菜月の最後のセリフは、「行ってきます」だった。それが正しいのかどうかよくわからないけど、もしかして次死ぬときも、ここに帰ってくるのかもしれない。
それが正解かどうかは最後まで分からなかったけど、天使のセリフが「行ってらっしゃい」だったから、あながち間違ってないかもしれないな。
私らしく最後にとても現実的なことを考えているうちに、視界が完全に奪われた。そしてだんだん意識が遠のいていって、鹿間菜月としての人生が、完全に終わりを告げた。
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