捌の10
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薄明の空に移り変わってゆく。日はとっぷりと暮れ、広場の片付けも概ね終わったようだ。等間隔に並ぶ街灯も点々とつきはじめ、夜の戸張が降りてくる。
現場の応援にやってきていた隊員の殆どは装備を纏めて次々と撤収してゆく。地域を管轄している警察と村長の関係上そういう手筈になっていたそうだ。
そしてベンチに座り、いち華はひとりジョニーの監視を続けている。
熊専用の檻は二時間ほどで完成し、その近未来的な仕上がりに目を白黒させていたところだ。現在は、その檻が外から見えないように外壁を設置している。
空調を設置し、最終的には上から外装を被せるような形にするらしい。
作業も鬼束隊長を中心にで進められ、村人への引き継ぎがと終わると同時に帰還するようだ。彼らも表向きはセキュリティーサービスの民間会社らしく、普段から活発に動いている。特に、魔女を含めた要人の警備に多忙のようだった。
肝心のジョニーといえば、先程ようやく目を覚まし、長老とハクを交えて手話のようなもので話し合っている。その落ち着いた様子を見る限り、内容は伝わっているだろう。以前から度胸の据わった潔いの良い熊でもある。
別に、憎み合っているわけでもないからだ。
……と云うのも、熊神の儀式さえ済んでしまえば、再び山に戻れることから少し安心したのかもしれない。序でに、仔熊は飼育施設で保護することにもなった。
旧役場の屋上に目を写せば、仮設テントの撤収やドローンの収容を終えて、縁士や村人と共に他の残務処理をしている模様……。一応、カラスの頭領である土師は裏方の協力者たちの対応に追われ、夕方過ぎには村を早々に後にしてしまっている。ろくな挨拶もせずに、なんて忙しい人間なのだろう。
一番の功労者でありながら、何ともあっさりした去り際だ。これも中間管理職の宿命というやつなのか、サカキが珍しく落ち込んでいたりもした。
最後に魔女のエリスと云えば、正気を取り戻したものの、トイレに篭りっきりである。クラリスが医療処置を施したのもあり、随分と楽になったらしいが、そろそろ外に出てくる頃合いかもしれない。
そんな警戒を余所に、いち華が建物の陰に目を遣るとユキがひょっこりと出てきたのだった。今日の英雄でもあるユキだが、特に増長する様子もなく通常運転に戻っている。皆に愛想を振り撒きながら陽気に歩いてくるのだった。
先程まで広場のゲロ掃除をしたり、エリスのドレスを洗濯したりと万能の活躍ぶりをみせている。本人曰く、カラオケの深夜バイトで汚物の清掃は慣れているらしい。危険仕事に、汚れ仕事も何でもござれ、やはり『即戦力のユキ』の名は伊達ではなかったのだ……。
「どうも、お疲れっス。お先にお風呂を頂いちゃました」
小さく会釈を返し、いち華は笑顔を返す。「いいお湯だった? ここらは、温泉もよくでるからさ」
「いやあ、最の高っスねえ。ゲロ臭さもすっかり取れました……」
と、ユキもいち華の横へ並ぶようにちょこんと座る。
首にタオルを垂らして手には珈琲牛乳、再び道場のジャージに着替えたようだ。ボブ気味の髪も風に揺れてしっとりと濡れている。何か用事でもあるのか、ようやくユキはいち華と話す機会もできて、照れるように頭を掻くのだった。
「……時にデスね。実は自分、昨日は写真をいっぱい撮ってにいたのを思い出したんスよ」
「写真? 写真ってなんの?」
「最初は、しず江さん写真だと思って撮ったンでスけどね。……でも、よくよく考えてみれば、昨日会ってたのは〝しず江さん御本人じゃなかった〟みたいなンスよね?」
首を傾げて、いち華は不可解な顔をする。「つまり、昨日会ったのはママのしず江じゃなくて『マリア』だったってこと?」
「は、はいっ。んで、さっきスマホの写真を確認してしたんスけど……」
と、ユキはポケットから昨日のスマホをおもむろに取り出す。
画面をタッチしてマリアの画像を表示さると、不意に眉を顰めたりする。指でその写真を大きくしたり小さくしたり、唸りながら記憶の中のしず江と見比べて、照らし合わせてみるのだった。
「やっぱり、昨日会ったしず江さんじゃないみたいなンスよね?」
食い入るように画像を確認していると、真横から凄まじいばかりの威圧感がする。ふと顔を向けると、いち華が頬を真っ赤にしてマリアの写真を心待ちにしていたのだった。そうなのだ。いまの流れなら、直ぐ見せるのが道理である。
「……あっ、すわせんっ。マリアさんの写真みまスか?」
「うん、お願いっ! 直ぐ見してっ!」
いち華は半ば奪い取る形でスマホを手に取ると、生まれて初めて見る母の顔をじっと凝視したのだった。継いで、真っ先に飛び込んでくるマリアの素顔……。
ひと目見て、最も印象的なのは自分と同じ「鳶色の瞳」だろうか。
目元から肌質もよく似ている──。
白人顔のせいか鼻は若干マリアほうが高かったが、輪郭や薄い唇はエリスの見立て通りそっくりだ。だが、見た目が若すぎるせいもあって母親のようには思えなかった。
「……ふうん、こんな顔してたのか。もっと老けてるオバさんかと思った」
「しかし、めっちゃ美人っスよねえ。うちのオカンとは大違いっスわ」
「でもさ、母親っていう実感はあまりないのよね。あたし、犬のフギに育てたられたようなものだからさ」
ユキは思わず目を丸くする。「そうなんスか?」
「ママは夜の仕事もあったからね。その間、フギたちが面倒みてくれたの」
そう話すと、既にマリアに興味を失ったのか、ぶっきら棒にスマホを放って返す。いち華は感情の切り替えが早く、妙にあっさりしてるところがあった。
ただしこれは、いち華だけ限らず村の女性たちにもみれる傾向でもある。しかしながら、生みの母の写真ぐらいは持っていても罰は当たらないだろう。
「一応、この写真は送っておくっス」
「別にいらないよ。だって、マリアはお尋ね者なんでしょ?」
「……らしいスけど、皆から嫌われてるっていう感じではないンスよ?」
と、珈琲牛乳を口に運びつつ、ユキは構わず画像を次々と送信する。
余計なお世話かもしれないが、長い目でみればいずれ気持ちも変わってくるだろう。その後どうするかは、本人の判断に委ねれば良い。どんな形にせよ、母親のマリアが生き続けている限り、その因果からは逃れられないのだから。
「でも、いまひとつ腑に落ちないっスよね」
まだ続くのかと、いち華は辟易とし、少々面倒臭そうに云う。
「ユキちゃん、まだ何かあるの?」
「ほら、昨日はしず江さんを保護しに行っただけなんスけど、よくよく考えたら別に入れ替わる理由や必要性が無いのですよね? それらしい動機はあったみたいっスけど、なんか尺然としないっていうか……」
「ママと入れ替わる動機かあ……」
「しかも、あんな手を込んだ真似をして。完全無欠のマリアさんらしくないというか、感情的な行動にも思えたりしちゃって」
どうやら、ユキは細かい部分が気になってしまう性質なのだろう。
いち華にとってはどうでもいい事柄ではあったが、責任を感じでしまっているきらいもある。しかし、会ったことも直接見たこともない女性だ。話の経緯を辿ってみても、よく知らないだけに、不用意に憶測を立てることはできなかった。
……すると、突然うなじに感じる冷たい感触。
いち華は「ひゃあっ!」と反射的に竦み上がった。
慌てて後ろを振り返ってみれば、不遜な態度で立ち尽くすエリスがいる。どうやら旧役場の温泉に入ってきたのか、髪がすごく濡れている。魔女というのは男のような横着者がやたら多い気がした。仏頂面のままフルーツ牛乳を口元に運び、珈琲牛乳を無言で差し出す。
「あれれっ? 復活早くない? もう大丈夫なの?」
「舐めないでよ。あれしきのことでくたばったりしないわ」
そうして、いち華の横に馴々しく腰掛けながらエリスは云う。
「いまの話を聴いててなんだけど、多分あれね……。姐さまは、自分の写真をいち華に見せたかっただけなのよ」
いち華に代わってユキが声をあげる。「えっ! それだけの為にっスか?」
「まあ、おそらくだけどね。自分で仕組んでおきながら、皆がワイワイ騒いでるから我慢できなくなっちゃったんでしょう? 昔から、前に出たがりやなのよ。姐さまらしいっていうかさ……」
と、エリスは小さく苦笑いしてフルーツ牛乳を一息で飲み干す。
嘔吐で失った水分を取り戻すような豪快な呑みっぷり。この一杯の為に生きている、そんな爽快感すら漂うのだった。その所作を真似てユキもごくごくと飲んでみせる。空気を読むわけではないが、いち華も歯に噛みながら仕方なさそうに珈琲牛乳の蓋を開けたのだった。
まだエリスと出会って二日足らず、ユキに至っては今朝からでしかない。
……なのに妙に仲間として馴染んでしまっている。まるで、以前からの旧友と話すような感覚。部外者に対してここまで溶け込めたのも初めてだった。
ふと昨日今日と振り返ればしょうもない連中ばかり。
生みの母親であるマリアもやたら騒々しいだけの傍迷惑な女にしか思えず、出たての芸人でもあるまし、自分の写真を見せたいが為に無意味に現場を引っ掻きまわしていたということではないか……。
いち華は、些か呆れ果て、嘆息しながら云い放つ。
「ねえ。それってさ、かなりキモくないっ?」
「そ、そう? いち華だって、そういうところ結構あるわよ?」
と、エリスは目配せをしてユキに同調を促す。
なんと、仕事以外の指示は珍しいものだった。マリアの母親としての体面を守るためか。それとも、感情的な面での配慮なのか。いずれにせよ、いち華やマリアを想うことであるならば、話しを適当に合わせるのも一興。若干の後ろめたさも残るが、偶にはいいだろう。
「まあ仕草とか微妙に似てますし、やっぱり親子っスからね?」
「ええっ! 嘘でしょっ!」
まんまと釣られたのか、エリスは揶揄うように笑う。
「……冗談よ、冗談。半分はね。さあ、顔合わせもあるからこっちにきてよ。みんな待ってるし、コミュニケーションは大事だからね」
余程に心外だったのか、いち華は頬を膨らませて口を尖らせる「は、半分って、どうゆうことよっ!」
──憤慨しながら、そそくさと歩く高飛車な魔女をいち華が追う。
その歩調に合わせ、ユキが愉快そうに続く。後ろから見ると、二人はまるで姉妹のようにも映り微笑ましい限り。なんせ、昨日と今日だけで五人もの新しい魔女と出会ったのだ。それだけでも、期待で心が躍ってしまうのであった。
その目線の先には、最年少のヒミカが雑用を手伝わされ四苦八苦している。
彼女もまた、魔女に魅入られてしまったひとり。幸か不幸か、これも運命だったと受け入れるしかなく、いち華と絡んだ時点で必然だったのだろう。
そして独狼の紅一点であるサカキは労うように犬を纏めてあやしている。毛繕いをしたり、餌を与えたりと健気なもの。士師が一足先に帰ってしまったのもあり、元気がなさそうにもみえる。
独狼幹部の老人たちは行き交い様に会釈をし、升瓶を片手に、ジョニーのところにいる長老とハクを迎えにゆく。身体の不自由を全く感じさせない自然な動き。鍛錬による強靭な精神を物語っているようだった。
庭園の一角を貸し切って簡単な宴でもするのだろうか──。
キャンプ用の椅子やテーブルがずらりと並べられ、バーベキュー用のグリルや鉄板を所狭しと置いている。肉や海鮮、色とりどりな野菜たち。老婦人たちがその具材を手にして次々と運んでくる。点々と続くランタンの灯りが昂った感情を癒すように煌々と輝くのだった。
皆は和気藹々とした雰囲気で準備に勤しむ……。
縁士も仕事を一旦中断し、ちょうどルーフバルコニーから降りてくるところだ。クラリスはいつの間に女衆たちに囲まれ、人見知りを遺憾なく発揮している。目を白黒させ、人波に溺れるように助けを求めていた。
チサキはラフな服装に着替えて、聾唖の蓮二に炭火の点け方を手話で指導している。押しが強くて男の勝り。嫁の貰い手がなく、周りも心配しはじめた頃だった。蓮二は寡夫であり、そろそろ再婚を考えてもいい。歳は多少離れているものの、二人は意外とお似合いなのかもしれない……。
宵の口になった遠くの街灯りを眺めながら、ユキは気持ちよく背伸びをして夜空を仰ぐ……。小さく目映ゆく星々、月は闇夜を照らして黄金にゆらめく。深く息を吸い込めば、鼻腔を擽る草木の香り。初夏はこれから始まろうとしていた。
明後日からまた忙しくなり、積算される問題も障害も山積みだ。
しかしながら、まだ目先の問題が片付いたに過ぎず、これからがいよいよの本番となる。関わる人間もまた一気に増えてくることだろう。まだオフレコの段階だが、西で起こっている揉め事を聞いたばかり。やがて、涼しくもなる頃には本格的に案件が動き出すに違いなかった……。
そして、我らの主人こと「錬金の魔女」に休んでいる暇などなかった。
これからも穀潰しの魔女や優秀な部下たちの為にも、金を稼いで稼いで稼ぎまくるのだ。日本を……。いや、世界すらも掌握できるほどの金と力を蓄えてゆく。所詮、動物の世界に聖人などいない。戦って戦って、必死に己を守りきるだけ。全てはその歴史の繰り返し。そう、この黄金の眠る青海の土地でも……。
──柔らかい月明かりが、うっすらと〝錬金の魔女〟を金色に照らしている。
──朧気に浮かぶ横顔は、まだ十代の少女のように幼く美しかった。
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