捌の8

 なにやら支度を終えたユキが猛ダッシュで此方に駆け寄ってくる。誰から借りてきてのか、独狼の甲冑らしきプロテクターを身に付けていた。

「エリスさまっ! 進言致しますぅ!」と息を弾ませながら、必死の形相で迫ってくる。手には何かが握られており、それを高々と掲げるのだった。

 エリスは眉を寄せてその得体の知れない物体に注目する。この忙しい最中に騒がしいやつだ。もし、下らぬことなら只ではおくまい……。

 躍り込むようにユキが到着し、息を整えながらエリスにタッパーを差し出す。「エリスさまっ! これをジョニーに使いましょうっ! これなら多分、イケるはずっス!」

「……はあっ!? なによコレ。なんでトラ柄テープが巻いてあるのよ?」

 すると、いち華も興味津々なのか、横からそのタッパーを覗き込んでくる。

「これ、なあに? 食べ物かな?」

「うっスっ! これは災厄の『オニギリ』っス!」

 こんな時になんの冗談かと、エリスは激昂する。

「あんた、ふざけてるのっ? 握りメシなんて喰ってる場合じゃないのよっ!」

「ち、違うっス! これはなんと、これは厄災の魔女こと『エマさま』が作ったオニギリなんですよっ!」

 ──『エマ』という名前をひと言耳にして、エリスは後退りしながら恐れおののく。両腕を抱えて鳥肌を立てるように豹変した。

ですって? ちょっと、やだやだやだっ! どうして、そんな物騒なもの持ってんのよっ……。近寄らないで、気色わるうっ!」

 噂に違わない、とんでもない嫌われようだ。

 やはり『厄災』の魔女の二つ名は伊達ではなかった。因ってそれは、絶大な効果の裏付けを保証するものである。

 ただ、広場で悪戦苦闘するチサキの為にも、魔女は早く決断しなければならない。要は、このオニギリをジョニーの口の中にぶち込めばいいだけ……。それで沈められる。他人はどうだか知らぬが、ユキにはその自信が十分にあった。

「ねえ、ユキちゃん。どう使うかわからないけど、そのオニギリでジョニーをやっつけられるのね?」

「勿の論っス! あのクラリスさんですら、超ビビってましたからっ!」

 いち華は使役刀をスラリと抜き、心意気も新たに意気揚々と云う。「じゃあ、ユキちゃん。あたしと二人でやろうっ! 一緒にジョニーを倒そうよっ!」

「御意っ! 是非、お供しますぞっ!」

 ユキは侍のように鼻息も荒く、ぐるぐるに巻かれたテープを剥がしてタッパーを空けて中身を確認する。

 混ぜご飯によるオニギリだろうか……。

 合計で三個はいっており、紫色に染まった不気味な色合いをしている。劇物のような悪臭はしてないものの、得体の知れない禍々しさを強く感じる。

 興味本位で少し齧ってみたくもなった。……がしかし、間近で見ているエリスの恐れ慄く顔が尋常ではない。まるでこの世の終わりでも目にしているかのような反応でもあった。

「ちょっとっ! なに勝手なこと云ってんのよっ! 危ないから絶対ダメよっ!」

 使役刀の鍔を二度叩きつつ、いち華は冷ややかな視線をエリスに向ける。

「だって、どのみち誰かがジョニーを食い止めるしかないでしょ? 臆病者の魔女さんは、そこで指を咥えて見てなさいよ」

 そう皮肉気味に投げ遣り云うと、魔女の制止も聴かずジョニーに向かって勇敢に駆け出してゆく。次いで、そこに合流するように金時と銀が両翼を並走した。元より、責任感が強い娘だと思っていたが、非常に素直で真っ直ぐ育ったもの──。

 姐さまが独狼の村に娘を託したのも少し分かった気がした。

 その出立ちは、真紅のドレスを靡かせ疾走する〝操獣の魔女〟といったところだろうか……。無鉄砲で向こう見ずなこところも姐さまにそっくりだ。

 血だけは争えないものなのだろう思いつつ、エリスは懐にしまっておいた魔女の短杖を渋々と手にする。本当に、親子揃って困ったものだ。云われっぱなしも癪に触れば、横で待っているユキも期待するような瞳を向けている。

「もうわかったわよっ! やればいいんでしょっ! やればっ!」

「流石エリスさま。その意気でスよ」

「あのねっ! やるからには、しっかり一発で決めるのよっ!」

 と、エリスは秘薬の小瓶を取り出して鼻を摘んで、目を瞑って口に流し込む。

 五臓六腑に染み渡るような酷い味だ。若干の吐き気を催しながら、みるみると瞳の色が変わり蓄電してゆく。半ば自暴自棄なのもあるが、既に士師あたりが気がついてクラリスを迎えに赴いているはず……。

 自分の役目はあくまでも中継ぎ程度だろう。早めにクラリスが戻ってくるのを祈りつつ、可能な限り対処するしかない。それまでは踏ん張ってみるかと、足取りも重く渋々と続くのだった。


   *


 ──前方では、満身創痍のチサキが三匹のマタギ犬を巧みに使って善戦している。ジョニーもそのしつこさに辟易としているようだった。当初は楽勝に捌けていた戦いも、チサキが従来の使役刀に持ち替えたことで状況が一変した。

 鉄壁の守りを主とした一撃離脱を繰り返す。隙を全く与えない堅実な戦法でもあった。ただ、度重なるジョニーのあびせ打ちによりマタギ犬たちの耐久力は限界を迎えつつある。このままでは、やられるのも時間の問題だろう……。

 斯くなる上は、単独で白兵戦を挑むしかないのか──。

 チサキがそう諦めかけた時、側方から凛とした声が響く。どうやら、いち華が応援に駆けつけたようだった。真紅のドレスを靡かせ、勇ましく美しい限り。二匹のフギを引き連れて隼の如く颯爽と斬り込んできたのだった。

「チサキ姐っ! あたし代わるよっ!」

 肩で息をしながらチサキが叫ぶ。「助かる! あとは頼んだよっ!」

 即座に三匹のマタギ犬を引かせ、入れ替わるように金時と銀が果敢に立ち向かってゆく。これが最後の攻撃だと云わんばかりの気迫を二匹から感じる。

 ──(待たせやがって、ようやく再登場か…… )

 ジョニーがライバル視する「金時」を目にして、にんまりと口角を上げた。

 先刻は不覚を取ったが、今度はそうはいくまい。基本に忠実な銀に比べ、金時はトリッキーな動きをするところがある。

 それは天才肌が故の驕りなのか、いちいち勘の触るやつだ。刃向かって来る時も、相手を小馬鹿にする側面がある。優雅に、そして華やかに……。

 ところが、金時はそんな素振りを見せることなく最初から全力だった。

 今置かれている状況を察して、今回ばかりは本気になっているのかもしれない……。加えて金時にとっては、いち華は手塩にかけて育ててきた娘同然でもある。命を賭したしても主人を守らねばならない。ギアを一段、二段、三段と上げるように、金時は一気にスピードを急加速させたのだった。

 常軌を逸する目にも止まらぬ弾丸のような速さ──。

 ジョニーがその動きに対応するよりも素早く股下を潜り抜け、甲懸に巻かれているワイヤーを防護服の突起に身体ごと引っ掛ける。その勢いに任せ、金時は遠心力と全体重を乗せて脚を引っ張るのだった。

 だがしかし、大した威力ではない。これなら余裕で耐えられると思った矢先……、続けて身体の大きな銀の強烈な体当たりが同じ脚に加えられる。

 堪らず、蹌踉めく太い肢体、忽ちバランスを大きく崩したのだった。

 まさに、電光石火の連携。二匹の持てるモチベーションを全開で発揮してきたのだ。歯を食いしばりながら焦った刹那──。突如として、頭上から迫り来る不穏な殺気を察知する。ジョニーは条件反射で上を見上げた。

 だがしかし、そこには何もいない──。

 おそらく、。……すると、地を這うような低い滑空から、いち華が回転しながら襲い掛かってくる。その動きに准じて、下から渾身の斬撃を浴びせたのだ。

 回る遠心力が加わり、太い棍棒で殴られたような衝撃が伝わる。

 なんて力強い打撃だ。メスが出せるような威力ではない。同時に、ジョニーの右腕を捉えた強烈な一撃は使役刀の振動で骨の髄まで響く。

 途端に走った腕の激痛にジョニーは苦悶の咆哮をあげた──。

 記憶が確かなら、これは『骨砕き』と呼ばれる古来の秘剣だ……。主人でもある一護も習得しようとしてたのはうっすら覚えている。ただし、当時は眉唾ものだと思っていただけにジョニーは驚きを隠せなかった。

 何よりも、本来は二人一組でする『土蜘蛛』を一人だけでやって退けている、その驚くべき格闘センス……。加えて、いち華は受け流し専門だったはず。

 それにも関わらず、これだけの剣技を連続して披露してくるとは……。

 ジョニーもにわかには信じ難かった。

 いち華は地面を転がりながら咄嗟に声を上げる。

「ごめんっ! 少し浅かったかも!」

「大丈夫、問題ないっス!」

 何時の間にか配置についたユキは、助走をつけながら振り被ってジョニーの顔を目掛けて『厄災のオニギリ』を投げつける。右のサイドスロウからの投球だ。

 オニギリは綺麗な弧を描き、ジョニーの口元へと緩やかに飛んでゆく。

 しかし、ジョニーは上体を仰け反るように紙一重でそれを躱す。

 空中で叩きおとしても良かったのだが、目の前へ迫ってくる物体に根源的な恐怖を感じたからだった。理屈は分からぬが本能がそう叫ぶのだ「これは危険だ」と。またおかしな物を拵えてきたのか、ジョニーは後退りしながらユキを注視する。

 何故だろうか、この女が再び手にする紫色の物体が異様に怖かった。

 野生の勘が働き、頻りに危険を訴えている。何かが、凄く不味い気がした。

 おまけに腕の激痛が毎秒強くなる。もう折れてしまったのかもしれない──と、躊躇した瞬間、右側から小走りでやってくる緑色のドレス女が目に入った。

 バチバチと帯電する様相からみて、ジョニーは例の黒い女と同じ波長を肌で感じ取る。まだ諦めていないのか、次から次へと厄介な人間どもだ。

「動くなよっ! 狙いが外れるからっ!」

 左手の短杖を標的に向けて、エリスは狙いを定めて雷撃を放つ。

 ──短杖からほと走る青い閃光。

 ところが、その雷撃は真っ直ぐには飛んでいかず、ジョニーの左側方へと避雷したのだった。しかも、あの黒い女に比べてかなり控え目の出力だ。図らずも呆気に囚われるユキといち華。まさか、ここまで使えぬエリスの魔術とは夢にも思っていなかったからだ。

「クッソ! 外れたわねっ! も、もう一発よっ!」

 ジョニーの元から慌てて逃げながら、いち華は檄を飛ばす。

「この下手くそっ! 一発で当てろっ!」

「う、うるさいわねっ!」

 エリスはもっと距離を詰め、次の雷撃に備えて充電している。

 連続して放電できないのか、ジョニーは魔術の特徴を瞬時に見定めてエリスに踏み込んでゆく。もう、これまでだろう。コイツは死なない程度で、軽く吹っ飛ばしてやればいい。もし、こいつが連中の親玉なら、人質にとってしまえばいいのだから……。

 ……がしかし、エリスは待ってましたとばかりに口角を上げる。

 そして、今度は最大出力で短杖から電撃を放ったのだった。

 突飛な魔女の攻撃に肝を冷やすジョニー。ただ、それも折り込みで最初から電撃を避ける方向で斜め下へと回避姿勢を取っていたのだ。やはり、保険はかけておくべき。それはジョニーの予想の通り、雷撃は大きく逸れてゆく。


 ──この勝負、今度こそ貰ったぞ。

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