捌の7

   *


 ──キンっ!と、響き渡る高い金属音。

 チサキがジョニーの右腕を狙った渾身の一撃は、いとも容易く跳ね返えされてしまう。圧倒的な体格差は元より、ついに本調子になってきたのか、先程の戦いとは雲泥の差があった。

 せめて、両腕の打撃力ぐらいは奪おうと試みたが、此方の動きは大体読まれてしまっている。そもそも、傷つけずに戦えなどと云うのが無理な注文なのだ。

 いくらフギたちを駆使してフェイントをかけたところで、焼け石に水になってしまうだろう。それどころか、ジョニーの立ち回りには余裕すら漂ってきている。その流れるような手捌きには、長老が教えた手技の数々が光っていた。

 暇だからと、ジョニーが檻の中で鍛錬ばかり詰んでいたせいもある。

 それを面白がった幹部たちが多くの秘技をジョニーに指導したのだ。足捌きも同様にして、最も厄介なのが盲目の「ハチ」が伝授したとされる『心眼』でもあった。

 お陰で、いくらフギを死角に配置して嗾けても埒が明かない。

 先に察せられ、攻撃は悉く躱されて弄ばれてばかり。当て身ひとつ与えらなかったのだ。戦況はこちらが不利になってきている。徐々に体力も奪われ、フギたちの動きも単調になってゆく。全く、余計なことをしてくれたものだと老人の方を睨みつければ、苦笑いを浮かべて頭を掻くのであった……。

 そして一瞬の隙を突かれ、ジョニーが高速の足捌きで間合いを詰める。

 チサキが反応した時にはもう遅く、左フック気味にやってくる打撃を受け流す術は残されてはいなかった。知らず知らずの間合いに誘い込まれ、前に踏み込み過ぎたのだ。それが全ての敗因……。

 まさか今日で死ぬなど誰が考えだろう。

 スローモーションでゆっくりと顔に迫ってくるジョニーの爪をみながら「人とは、意外とあっさりと死ぬものだ」と、チサキは思ったのだった。

 ……だが、その打撃は顔に当たる寸前のとこで「ピタリ」と止められる。

 それは、寸止めした衝撃でチサキの前髪が靡くほどだった。

 最初からジョニーはこれを狙っていたのだろう。まるで先程の礼を返したように目が嘲笑う。「いつでもお前など殺せる」と、表情で伝達すると共に、覚醒した武人としての力の差も見せつけたのだった。

 即座に沸き上がる屈辱の感情。もう勘弁ならぬと、チサキは鋭い突きを立て続けに繰り出す。最早、手加減などは一切無用。目の色を変えて本気で殺しに掛かったのだった。もう魔女の命令など聴いてはいられない。このままジョニーをバラバラに引き裂いてやると……。

 しかしながら、所詮は女の非力な腕力だ。

 ハイブリッド・グリズリーにとっては孫の手を捻るようなもの。逆にジョニーは右腕の籠手で簡単に受け流してしまうと、そのまま右手の爪で引っ掛けるような具合で使役槍の薙刀を真っ二つに折ってしまったのだった。


   *


 ──その一方で、少し離れた駐車場では魔女エリスが途方に暮れていた。

 チサキとジョニーの戦いを見守りつつも、指を咥えて手をこまねいていたのだ。当初、いち華からジョニーが逃げた件を伝えた時は「やっぱりね……」と、達観した様子があったものの、檻の設置を焦っていた理由が分かった気がする。

 つまり、魔女は逸早くこの状況を見越していたのだろう──。

 ただし、その後をどうるするかまでは見えていなかったようだ。今しがた檻は設置できるように調整し終えたが、ほぞを噛むような結果に陥ってしまっている。

 残された道は、麻酔銃の使用許可を出すか、ジョニーと仔熊を山へ戻すしかない。あの暴れぷりを見る限り、前者を選べば確実に死者が出てしまうだろう。ジョニーはまだ、我々に配慮して理性的な行動を取っている方だった。

 ただの熊のくせに、なんて生意気なやつだ……。粋な真似ばかりしてくれる。

 しかし、死傷者はなるべくゼロに抑えたい。いくら損失を被ったとしても人間の命だけは守らねばならぬ。それが、魔女としての最低限の矜持であり誇りでもあった。 

 ……苦戦を強いられるチサキを見て、いち華は慌ててエリスに相談を持ちかけようとする。だが、本人は思いのほか余裕がない。それどころか、去勢を張るので精一杯のようだった。

「ねえねえ、エリスどうしよう。チサキ姐の薙刀が折られちゃったよ……」

 エリスは厳しい表情のまま眉を顰める。「わ、わかってるわよ。いいい、いま必死で策を考えるわよ」

「こうなったら、あたしが金時と銀で助太刀していこうか?」

「それはダメよ。いち華は横にいてちょうだい」

 ……とはいえ、あまり良い案など全くでてこない。こんなことなら、暇な魔女たちだけでも片っ端から掻き集めて呼んでおくべきだった。

 使えない穀潰しばかりだが、肉弾戦となれば少しは役に立つだろう。

 ただ、まさかジョニーがここまでの怪物だったとは……。当初からの情報不足は元より、おおきな慢心や思い込みが招いた結果でもあった。

 親指の爪を齧りながらエリスは云う。「……よし、もう決めたわ。ここはクラリスに任せることにしましょうっ」

「えっ!? クラリスを……?」

「背を腹にはかえられないわ。わたしもクラリスの補助や後衛をやるし、あの子ならジョニーを何とかしてくれると思うの……」

 と、半ばクラリスに責任転嫁するとでも受け取れ兼ねない弱気な発言だ。それだけ切羽詰まっているのか、魔女らしくない日和った発想でもあった。

 彼女に先陣を任せて翻弄しつつ、至近距離からドローンに搭載された麻酔弾を撃ちまくるしかない。伸るか反るかの大きな賭けになってしまうが、あとはジョニーが死なないことを願うしかなかった。

 ──ところが、いち華が何か重要なことを思い出したようで、口元をサっと押さえて此方を見ている。それも、改めて気づいてしまったような仕草だった。次いで、ばつが悪そうにして咄嗟に目を逸らそうとする。その様からみて、エリスはクラリスが全く見当たらないことに気がついて青ざめたのだった……。

「ちょっと、まさかクラリスを……」

「ごめんっ! むむむ、むこうに置いてきちゃったみたいっ!?」

「うええええっ! むこうって、さっきいたところでしょっ!? な、なにやってのよっ! なんで、誰も気付かなかったのよっ!」

 そうだった、とんだ盲点だった。

 クラリスには「存在感」がなく影が薄かったのだ。過去において、置き去りにされたのも一度や二度どころの話ではない。何故に、魔女はこんな困った奴らばかりなのだ。

 おまけに、彼女は極度の方向音痴でもある。根がクソ真面目なだけに、徒歩で旧役場まで戻ろうとしているのが想定できる。ただし、きっと歩いていることだろう……。

「じゃあ、イヤホンや携帯電話で連絡をとってみようよ」

「それは無駄ね。だって、術式の時は精密機械は持てないもの。あっても過電流で直ぐ壊れちゃうのよ」

「……うーん。それなら、エリスが前陣を張るしかいないねっ?」

 と、いち華は満面の笑みでチラリと視線を送る。……がしかし、いきなり白羽の矢が立ち、エリスは顔が引き攣ったまま即答した。

「いやいやいや、考えてみてよっ! 無理よ、無理っ! わたし、あんたらみたいな戦闘民族じゃないんだからっ!」

「あの電気でバリバリするやつ、エリスも魔女ならできるんでしょ!? ちゃんと、あたしもフギたちもフォローするからっ!」

 いち華はエリスの手を引っ張り、無理くり参戦させようとする。

 それに、昨日の俊敏な動きからみても、戦えないことはないはず……。

 ただ、その異様な嫌がり具合からみて魔術の使用は極力避けたいのだろう。一刻を争う状況だが、エリス自ら出てゆくこと以外、他に選択肢など残されていなかった。然もなくば、この作戦は失敗に終わってしまうのだから……。


 ──やがて空耳なのか。木霊するように、二人を頻り呼ぶ声が聴こえた。

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