捌の6
その叫びも虚しく、ジョニーは瞬時に左籠手のワイヤーを難なくに外す。
そして網すらも無情に引き裂いたのだった。その時間、僅か数秒足らず。
前もって頭の中で組立てられていたような動き。顔疵の老人の声が響き渡るより早く、ジョニーは両腕の自由を得たのだった。
……だが、暴れることもなく動き回れるように後ろに下がり、用意周到に睨みを効かす。まるで、人間たちの挑戦を受けて立つような素振りすらある。
現場は一斉に大混乱に陥った。近くにいた村人は踵を返して建物に戻るか、広場の外へと忽ち逃げ出してゆく……。その騒ぎを目にして、呆然とした士師は口を半開きにしたままトラックから転げ落ちた。
その姿を見てサカキはケタケタと笑い出し、いち華は二匹の犬を引き連れてひと足先に走り出す。長老は慌ててと周りに指示をだしつつ、チサキに大声で応援を求めるのだった。
「チサキ、すまぬっ! もう一度やってくれないかっ?」
仕方なさそうに使役槍を手に取りチサキは答える。「頑張って足止めぐらいはしてみるけど、長くはもたないわよ?」
「兎に角、頼むっ! 女衆が麻酔銃をもって向かっておるでのっ!」
「……はいはい、これも頭領の務めってやつよね?」
そう投げ遣りに云うと、チサキは使役槍をシャリンと鳴らして、休んでいたマタギ犬を纏めて呼び寄せる。見たところフギたちの気力は十分のようだ。
これなら、まだまだ戦えるだろう……。
こうなるぐらいなら、せめてジョニーに麻酔だけでも打っておくべきだった。再三の警告や注意にも関わらず、魔女も魔女で詰めが甘いもの。麻酔銃は射程も短く、場合によっては命を奪いかねないと使用を躊躇してしまったのだ。
……とはいえ、今更騒いだところでどうにもなるまい。
此方は、頼みの綱である左足のワイヤーを外されないよう、ジョニーの動きを封じておけばさえすればいい。焦ることはないのだ。自分は従来通りの戦い方を心掛ければよい。しかし、生け捕りは殆ど失敗に終わったようなものだろう。
収束の筋道はより混迷を極め、次第に打つ手が無くなってゆくしかない……。
「みんないいことっ? 絶対に死ぬんじゃないわよっ!」
チサキは覚悟を決め、ジョニーをじっと見定める。
……それにつけても、直ぐ逃げるつもりはないのか挙動がやけに不審だ。遠い目をしながら、空を見つめている。精神統一をしているのか、やたらと不気味にも映る。
次いで、釣られるように空を見上げれば、透明な海水のような色合いだ。
祖先がこの地に住み着き数百年、青い海のような空色にちなんで〝青海〟と名付けたとも昔話を聞いている。チサキは山ばかりこの土地で海の文字を使う感性が割と気に入っていたりもした。
しかし、なんの因果で合間見える羽目になったのか。ここに生まれついてしまった時点でお互い災難なのかもしれない。正直なところ、ジョニーに対しては同情的だ。分かっている。いきなり連れ戻すなど、都合が良すぎる話だ。
ただ、状況がガラリと変わってしまったのだ。
我らは生まれながらにして一蓮托生……。この土地を守るものとして、死ぬ時も生きる時も一緒なのだ。それが『クラン』と云う血族の呪いでもあり、結束でもあった。
達観した顔を此方に向け、ジョニーは腕を差し出して挑発するような所作を見せる。さっきとは、打って変わって別人……もとい「別熊」だ。「はやく掛かってこい」と示唆しているようでもあった。
──上等だ。泣いても笑ってもこれで最後なら、受けて立とうではないか。
それならば、本気で行かせてもらおう。人間相手では暇をしていたところ。
初恋の男ですら叩き切ってしまう。自分は「異形の女」なのだ。己の実力が如何程のものか知りたかったのもある。チサキは使役槍を派手に鳴らして間合いを詰め、三匹の犬と共に戦いに挑むのだった。
*
なにか、広場でおかしな事態が起こっている。気分転換に外の空気でも吸おうと出てみれぼ、捕まえたはずのジョニーがチサキと対峙しているではないか。
よく目を凝らすと、ジョニーの両腕が自由とになり、左脚のワイヤーだけが辛うじて繋がれてる状態である。ヒミカは屋上からその光景を一目みて、仮設テントで作業をする縁士のとこへ躓きながら向かう。
「た、大変だよっ! ジョニーのワイヤーが取れてるっ!」
ヒミカの声を耳にして、縁士の眼鏡がズリ落ちる。一服でもしようと、煙草の箱に手を付けてるところだった。
「は、はい? 嘘だろっ? 専用の檻で囲ったのではっ?」
「でも、実際に自由になっちゃってますうっ!」
あたふたと縁士は広場の監視映像に切り替えると、飛び込んできた映像に言葉を失う。口を大きく空けて我が目を疑った。……一体、何が起こっていると云うのだ。眼鏡の位置を元に戻しながら、縁士はライブ映像をまじまじと凝視する。てっきり、檻の設置も終わってる頃だと思っていたからだ。
「どどど、どうしましょうっ? ドローンも半分ぐらい電源落として、引っ込めちゃいましたよねっ?」
「やむを得ん。母機ドローンに麻酔弾があったから上に飛ばすしかないな……」
こうしちゃいられないと、ヒミカも席に飛び着きキーボードを叩いて状態を確認する。「……二号機と四号機なら、すぐ飛ばせそうですっ!」
「よしきたっ。コントロール一機渡すから手動で飛ばすか?」
……と、縁士が言葉を発したところでユキが飲み物を抱えて現れたのだった。
装着していたプロテクターを全て外し、サカキから拝借してきたジャージを着ている。ひと仕事終えたような、非常にリラックスした格好だった。多分、ここに置いておいた私物でも取りに来たのだろうか。次いで、上機嫌に「どうも、お疲れさまっス!」と、陽気に挨拶してきたのだった。
いきなり向けらる縁士の怪訝な視線──。
ユキがペットボルトを飲みながら首を傾げると「ユキ先輩、大惨事でふっ! ジョニーのワイヤーが取れちゃいまひたっ!」とヒミカがモニターを咄嗟に向けてくるのだった。
条件反射でヒミカの顔に飲み物を吹き出すユキ。
ヒミカが叫んでいるのを無視しつつ、モニター画面を掴んで凝視する。本当にジョニーの両手が自由になっているではないか。折角、命懸けで連れてきたと云うのに……。
これでは元の木阿弥になってしまう。対処のためにチサキがジョニーに白兵戦を挑もうとしているものの、どうやって収拾をつけるか予測もつかなくなった。
「えええっ! なんでジョニーが解放されちゃってんスかっ!」
「もう、こっちが聴きたいですよっ!」
そして極力冷静を繕いつつ、縁士が残念そうに云う。
「状況的には麻酔弾を使うしかないだろう。ここまできて、最後は博打とはね……。望みは薄いし。まったく、ついてないよ」
確かに、可能性あるとすれば麻酔銃だが、効くまでに時間が掛かる。
加えてあの巨体では、本当に効くかもどうかも分からない。よしんば効いたとしても直ぐ目を覚ましてしまうかもしれない。再びワイヤーで縛りつけるのにも、同じ手が二度通じるとは到底おもえなかった。最も良いのは「気絶」させる手段だが、そんな都合のよい物などこの村に存在する筈がない──。
……が、しかし。突如として、ユキの脳裏に閃きの電流が走る。
……ある、ひとつだけ方法があるではないか。
そんな都合を埋めてしまう空前絶後の呪物アイテムが。
クラリスの話だと、それを口に入れてしまった者は半日から一日は気絶から目を覚まさないと聴く。無論、それは他の動物とて一緒、例外など存在しない……。
最初に、迂闊に食べてしまった魔女曰く「地獄ですら、生ぬるい味」だそうだ。この世の不味さのを凝縮し、全て注ぎ込んだとしても、まだ足りないと評すほどだった。
しかし、人命尊重を貫いておくものだ。土壇場で大正解。貪るように自分の鞄を掻き回し、ユキはトラ柄のラインテープで封印されたタッパーを手にする。
それは厄災の魔女こと、エマお手製の「オニギリ」だった。
中身は何の変哲もないオニギリらしいが、魔女ですら恐れる悪魔の料理だ。
異様に毛嫌いする様が印象的だったことから、絶大な効果が期待できるだろう。毒を以て毒を制す、斯くなる上はこれでジョニーを仕留めるしかなかった。
ユキは無言のまま駆け出し、エリスの元へと向かう。
そして胸に去来するのは「MVP」の文字だった。存在をアピールして一千万円をゲットするのだ。このままでは、チサキあたりに取られ兼ねない。
些か動機は不純だが、ジョニーの前に立つことも
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