捌の5
拡声器でがなりながら、魔女のエリスがルーフバルコニーから縄を伝って降りてくる。忍者でもあるまいし、ドレスを着ながらも器用なものだった。
その声を聴いて両端にある草陰から鬼束と蓮二がひょっこりと顔を出す。思いの外上手く行き過ぎたせいか、二人とも狐につままれたような顔をしている。
なんせ、放った捕獲銃をどうやって地中に固定しているのか、この二人は理屈も仕組みも分からないのだ。彼等はただ、ハクの合図の手順に従って機械的に撃っているに過ぎなかった。
「うむ、二人ともご苦労だったな。なかなかの腕前だったぞ」
鬼束はサッと背筋を正し、大声で返事をする。「オッス! ありがとうございますっ!」
蓮二は身体の埃をさっと払い、鬼束が返事を向けた老人に目を留める。
ゆったりとした足取りでやってくる老人……。それは独狼の幹部の一人「サブロウ」だった。額と頬に大きな疵痕があり、一度顔を見れば誰も忘れないだろう。
「しかし、ジョニーのやつ……。ちょいと、大きくなったんじゃないか?」
と、サブロウがその巨体を眺めながら満足気に云う。
同時に老人は有名なマタギでもあった。狩りに関しても、長年の経験から熊の習性を知り尽くしている。元々は北からの出身者でもあり、ジョニーの左足に特製のワイヤーを括り付けたのもこの老人の仕業だった。
急ぎの手配や調達から捕獲銃が二丁しか用意できなかったこともあるだろう。
上を覆う網を使う提案をしたのもサブロウだった。対象が普通の熊ではないだけに、念には念を入れた対策だったのかもしれない。そして、功労者でもあるハクは義理を返したとばかりに、興味がなさそうに人知れず立ち去ってゆく。
まだまだ居てほしいところだが、この狼を人間の都合で縛ることは難しかった。唯一にして無二の存在であるハクは常に気紛れだ。村もオオカミにとってはただの縄張りに過ぎない。青海の神社で厄介になりながらも、家々を好き勝手に渡り歩いていたのだった……。
──〈オラァっ! 早く檻の設置に取り掛からんかいっ!〉
エリスは厳しい剣幕で鬼束隊に命令を飛ばす。
鬼束は直立不動で「只今、設置致しますっ!」と隊に伝える笛を鳴らしながら全速力で駐車場へと駆け出してゆく。そして、壁のように並べられたトラックとトラックの間が開き、檻の部品を持った隊員たちがぞろぞろと出動する。
ここまで展開してしまえば、もうあとはマンパワーの勝負だ。人海戦術を駆使し、互いに協力して順々に檻を組み立てるだけだった。
当然、持参してきた檻は、あくまで簡易的なもの──。
埋立地の倉庫の奥に眠っていたものを無許可で拝借してきたのだった。
先ずは柵のような物でジョニーの周りをぐるりと囲い、天井を被せて蓋をする。次にパーツを順々に増強し、最終的には堅牢な檻が完成する仕組みだ。
だがしかし、いざジョニーの近くで柵の設置を試みようとすると、鬼束を含む屈強な隊員たちが一斉にどよめき始めているではないか……。
その異変を即座に感じとったエリスが直接割り込んでゆく。「あんたら、なにモタモタしてんのよっ! また熊が暴れ出すかもしれないのよっ!?」
「あっ! それが、そのですね……」
と、一人の隊員が気不味そうに申し出たあと、鬼束が若干青ざめながら事情を話す。「申し訳ありませんっ! 寸尺を間違えていたらしく、檻のサイズが全然足りてませんっ!」
その話を耳にして、エリスは目を丸くする。
「はあっ!? 今更なに言ってんの!? あんたら冗談でしょっ!?」
しかし、隊員たちの顔色を見回すと、そうではないことを如実に物語っている。こんなことになるぐらいなら、鬼束の馬鹿などに任せず、現場に赴いて自ら指揮を取ればよかったのだ……。だが、部下の責任を追求したところで何も始まらない。部下のミスは上司のミスでもあるからだった。
「こ、これは、曲げたり伸ばしたり、どうにかならないの?」
「ぶっちゃけ、無理でありますっ!」
エリスは更に声を荒げる。「じゃあ、いったいどうするのよっ!」
「現状は、お手上げでありますっ! 不可能でありますっ!」
鬼束はどこまで馬鹿正直なのか、直立不動できっぱりと否定だけはする。
ただ、このままでは埒が明かないだろう。手を子招いていても悪戯に時間が経つだけ……。他に別の手を考えねばと、鬼束から視線をズラすと何か云いたそうにしているヒゲヅラの中年隊員がいたのだった──。
確か、頭の悪い鬼束に代わって隊を統括する副隊長だった気もする。
「おいっ、そこのヒゲっ! 意見があるなら申してみなさいっ!」
「はっ! それでは、僭越ながら申し上げますっ! 柵のサイズはアタッチメント方式でカスタムが可能なでありますっ! 二十分もあれば再調整できるかとっ!」
再び「しん」と静まり返る隊員たち。時の流れが止まったようだ。
鬼束は無理、不可能だと進言しまった手前、天地がひっくり返ったような顔をしている。きっと、他人任せで説明書すらロクに読んでいなかったのだろう……。エリスはにこやかに微笑んでから大きく息を吸う。そして、拡声器のスイッチを入れて、やや恥じらうようにそっと口に充てた。
──〈アホかぁっ! それが分かってんなら、さっさとやらんかいっ!〉
エリスの怒号が飛ぶや否や、蜘蛛の子を散らすようにバタバタと走りだす隊員たち。滅多に姿を現さないボスの激怒に戦々恐々としているのだ。
なんせ彼女は莫大な資金を元手に、有り余る技術力で稼ぎまくっている。
目をつけられたら堪ったものではない。非の打ち所がない雇い主でもあるだけに、常に尊敬や敬意を払わなければならなかった。
更に、古株の隊員にとっては、十数年前からまったく歳を取っていない魔女こと〝エリス〟を見て、その存在を甚く実感していたことだろう……。
(なんだか、やたらと騒がしいな──)
ジョニーは平伏しながら上目遣いで海のような青い空をじっと眺めていた。
一羽の鳶が空を回遊し、自由を謳歌している。誰に縛られることなく、己の力だけで自然界を生きているのだ。生きるも死ぬも己次第、老いてきた自分もそういう風に自由気ままに暮らしてみたいだけだった。
しかし、その生活もこれまでだ。再び幽閉生活に戻されてしまうことだろう。
どうすればもっと上手く、器用に人とのシガラミから抜け出すことができるのか……。今一度、もう少しだけ冷静に考えてみることにした。
それに黒い女から電撃を受けたせいか、思い切り走ってきたせいかは分からない。ふと、ジョニーは動悸も落ち着き、元の状態に戻ってきていることに気づく──。どういう訳か、薬物の中毒症状も嘘のように消え去っていた。余計な雑念は綺麗に取り除かれ、より思考が洗練され聡明さを増してゆく……。
とりあえず、軽く纏めてみよう。人間たちは自分を傷付けず、五体満足で手に入れたいのは分かっている。しかしながら、あまり抵抗するならば殺処分もやむ得ないと考えているのだろう。
ただ、その境界線となるのは、人に対する危害を加えるか否かな筈。
無論、犬たちも同様だ。だとするのであれば、此方も危害を加えない形で彼等をあしらってやれば良い。現状、彼等では手がつけられない存在というのを証明してやればいいのだ。仔熊を取り戻し、堂々とこの広場を後にしよう。
……簡単な方法ではないが、試してみる価値はある。
ジョニーは疲れ果てた様子を装い、ワイヤーで括られた籠手の締め具合を入念に確かめる。角度を変えて引っ張り動かしてみると、右腕の籠手に大きな遊びがあることがわかった。
扱いに慣れていないのか、完全には締まりきっていない。更に、左腕にも僅かな隙間や緩みがある。右手さえ自由になれば左籠手のワイヤーも外せるだろう。
問題は左足の甲懸に巻かれたワイヤーだ。此方は完璧なまでの締め具合……。
あのマタギの老人がやっただけに一切の抜かりはない。ただ、固定先の松など隙を見計らって木ごと薙ぎ倒してしまえば良い。上から被せらている網もナイロン製だ。力任せに引きちぎるのは容易かった。
そうなると、残るはワイヤーを外す機会を慎重に伺うだけだ……。
下手に動いて勘付かれれば一巻終わり、マタギの老人が嬉々と出てくる。おそらく、時間的にチャンスは一度きり……。早くしなければ、人間たちの造る「柵」とやらの調整が終わってしまうだろう。そうともなれば、余計に監視の目が厳しくなってしまう。
そしてジョニーはなるべく周囲に悟られないよう、身体を小さく丸めて狸寝入りをするのだった。
──やがて、五分ほど聴き耳を立てていると、車の騒音と犬の鳴き声が広場入り口方面から複数木霊する。トラックだろうか。荷台から人が降りてくるような物音もする。遅れて聴こえてくる女の声……。
おそらく、チサキやいち華たちが雁首揃えて戻ってきたのだろう。
長老と幹部たちが出迎え次いでに歩いてゆく。ジョニーは物音を立てず、横を一瞥しながら、柵の準備に追われている人間たちを観察した。相変わらず、ドレスの女が大声で喚き続けている。様子からみて作業は難航してそうだった。
もし、出し抜くならこのタイミングだろう。千載一遇のチャンスというやつだ。ジョニーは寝返るふりをしつつ、右腕にゆっくりと力を込めたのだった……。
しかし、その気配を薄く感じとったのか、サブロウが立ち止まり急に振り返る。恐ろしい男だ。人間でありながら、獣並みの洞察力があった。
「おおっ? どうかしたのか?」
と、長老のカゲカツが尋ねる。サブロウは「ジョニーのやつ、妙に大人しすぎねえか?」と、語尾を濁す。マタギとしての勘が働いたのだろう。
杞憂ならいいのだが、何か嫌な予感もする。一応、確認だけでもと足を向けようとすると、我先にと駆けつけてきたサカキが声を掛けたのだった。
「ジイジたち凄いねっ。ジョニーを捕まえたんだ?」
「ああ、まだまだ安心できねえけどな。魔女の部下たちが檻の作成に手間取ってるみたいなンだわ」
そう長老が指を差した先には、隊員たちを叱咤激励するエリスがいる。
側から見ればただのパワハラにしか見えないが、完全無欠の魔女と云えどミスは当然出てくるのだろう。途中までがうまく行き過ぎていたのもある。よくある物事の帰結でもあった。
「ええっ……、なにそれ結構なマヌケじゃんっ!」
「……ってことでよ、チサキにはいつでも出れるように伝えといてくれや」
サカキは半ば了解したように手をあげ「あとで、仔熊もみせてね」と、そそくさとチサキの元へ戻ってゆく。少々話を遮られたが、致し方あるまい。顔疵の老人サブロウは気を取り直し、再びジョニーの方へと用心深く歩いてゆく。
案の定、ジョニーは手元でゴソゴソと何かをやっている。
確か、こやつは縄抜けなどの訓練も積んでいたはず……。
無作為に近寄れば、バッサリとやられてしまう。そう二の足を踏んでしまった直後、ジョニーは青空を見つめながら、ゆらゆらと不気味に立ち上がったのだった。
──「皆のものっ! ジョニーのワイヤーが外れてるぞっ!」
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