捌の4

 旧役場の正門を潜ると、煉瓦レンガで出来た歩道の周りが竹の柵で囲われている。

 左手は日本庭園には入れないよう刺々しい柵と即席の堀が延々と続く。

 そして右手にある中央広場へと道は誘導されていた。また、駐車場側にも行けないようにLIP隊の装甲車やトラックで壁が設けられている……。

 手筈通り、ユキは長老と白い犬が待っているところまで急いで駆けつけた。

 芝生で滑ってバイクが転びそうなりつつも、持ち前の運動神経で簡単に持ち直す。その体幹と動体視力の良さには、長老のカゲカツも呆れるほどだ。

「ちょっ、長老さん、仔熊は籠に入ってマスっ! あとはよろしくっス!」

 と、ユキはヘルメットを投げ捨て、脱兎の如く避難所へと退散する。

 身体は小さいながらも見事な身のこなし。サカキとはまた違ったタイプの熟練者でもあった。後天的ではなく、先天的な才能の持ち主なのだろう。

 長老はそんなユキの背中を見送りつつ、バイクの籠をあけて仔熊を愛でながら云う。「あのジョニーから逃げ切って帰ってくるとはな。カラスたちの抱える人材は面白い。これなら、合併もうまくいかもしれんな……」

「ほんで、これからどうすんだ? ジョニーのやつブチ切れとるぞ?」

 と、歯に噛みながら義足の老人が盲目の老人に話を振る。

「ハッちゃんは、どう見るんだ?」

「そりゃ、頭に血が昇ってたほうが無難だろう。本調子になったら、それこそ手が付けられん。とりあえず、ハクを交渉に使わせてもらうおう。昔からの馴染みだ。通じ合うところもあるだろ……」

 そう、ため息混じりに盲目のハチが『ハク』と呼ばれる白い老犬に向けて小さく会釈をする。ハクは鼻を鳴らして気怠そうに返した感じだった。

 この白い老犬も今回に関しては責任の一端は感じているのかもしれない。

 一匹と一頭は共に育った幼馴染のようなもの……。そして一護と共に戦った間柄でもある。特に、主人がいなくなった以降の二匹の関係は微妙とも云えた。


 やがて、気配を感じたのかハクが耳がぴんと立つ……。

 

 そうして、達観したよう目つきを入り口付近に送ったのだった。

 暫くすると、地響きを轟かせながら怒涛のジョニーが正門に姿を現す。

 目を血走らせ、周囲を見渡し、誘拐された仔熊の行方を探している。かなりの興奮状態で、目頭から血を流していた。神社の前で飛び込んだ時に、何処かにぶつけたのだろう。フギの象徴とは思えない、なんとも無様な格好でもあった。

 ジョニーは直ぐに仔熊を抱いた長老とハクを見つけ、怒気を孕みながら低く唸る。ユキのバイクを逃してしまったことにも腹を立てているのか、広場の植木に八つ当たりを加えながら、のしのしと近寄ってくるのだった。

 ──背後には幹部の二人も待ち構えている。

 ジョニーにとっては、よく知る顔馴染みたち。それこそ、一年ほど前まではのんびりと意思疎通を交わしていたほどの仲だった。勿論、彼等を傷つけるつもりは毛頭ない……。

 そして、唯一の主人だった〝一護〟が村から消えて以降、最も相手をしてくれたのが長老のカゲカツでもある。折角だからと、囲碁や将棋などを手解きしてくれたのもそこにいる三人の老人たちだ。結局、彼等に勝てた試しは一回もなかったが、人間という生き物の奥深さを知るにも至った。

 よく、分かっている。人間たちには決して勝てない──。

 どのみち利用されるだけされて、状況によっては始末される運命だということも。それならば、一度ぐらいは力の限り暴れてもみたかった。だからといって、人間が全て憎いというわけでもない……。

 現に、この半年間は人目に触れぬよう行動していたぐらいだ。

 むしろ、人里に降りてきそうな害獣を遠回しに追い払ったりもしていた。それが、育ててくれた者へ対しての最低限の礼儀だとも。……だが、ここまで無礼をされとなっては黙っている訳にはいかないだろう。

 何よりも気に食わないのが、人間たちの中に一匹だけ潜んでいる──。

 この白い犬みたいな奴だった。こいつはフギではある以前に「犬ではない」。実のところ、生粋の「オオカミ」なのだ。

 不思議とコイツだけは、何故か人間社会に溶けこんでいる……。

 一護の使役以外は決して従わぬが、こうして都合よく人間側に懐いていた。

 自分とは違って、誰に飼われることもなく、自由気ままにに村を動き回っていれば面白くもなくなる。その間、自分は狭い檻の中に閉じ込められ、監視されていたと云うのに……。

 ──正直「嫉妬」なのだろう。だが、憂さ晴らしにはちょうどよかった。

 それに、ハクとは昔から反りが合わず。当然、互いの仲も良くない。飽く迄も仕事上での繋がりでしかなかった。首をぽきりと鳴らし、ジョニーは芝生の具合を確かめながら、白い狼との間合いを詰める。

 おそらく、長老のカゲカツはコイツを使って説得を試みようとする腹なのかもしれない。基本、奴は無口でもあるし、未だに何を考えてるかよく分からない。生憎だがハクとは意思疎通ができているとは思えなかった。

 それこそ事務的な付き合いだった。精々、老人に連れられてたまに現れるぐらいだろう。図々しく語りかけるような素振りはみせていたものの、具体的に自分の意思を伝えてきたことすらない。

 ……実際、ハクは自分から目を逸らして詰まらなそうにしている。

 緊張感のないやつだ。それとも舐められているのか。最初から興味がないのかもしれない。誰に擦り寄れば自由を謳歌できるかも熟知してている。コイツは犬のふりをして、そうして何十年も放し飼いにされてきたのだ……。


 すると、ハクは唐突に小さく吠えて此方に目を合わせた。


 それは、ほんの一瞬の出来事だった──。矢のようなものが視界に入る。

 ジョニーが「しまった!」と、不穏な動きを感じ取った刹那、右腕の籠手に向けて何かが飛んでくる。避けようと反応した時には既に遅く、強く巻き付けられる鋼鉄製のワイヤー。引き続き、籠手にも同じようなワイヤーが仕掛けられたのだった。見た目によらず、凄まじいばかりの牽引力だ……。

 いったい何処から飛んできたのか、両手を引っ張られて身動きができない。

 更にもう一本──。間髪を入れず左足の甲懸にも似たような太いワイヤーで括られてしまう。後方から投げてきたのか、ワイヤーは大木に繋がれている。

 迂闊だった。三方向から同時に引っ張られ、抵抗をすることもできず、ジョニーは断末魔に近い雄叫びをあげる。頭に血が上りすぎていたせいか、些か冷静さに欠いた行動だったかもしれない。

 次いで、ワイヤーのギアをあげるように両腕を牽引され、そのまま突っ伏すような姿勢で顔面から地面に沈み込む。更に畳み掛けるかの如く、老人たちが走ってきて格子状の網を上から被せられたのだった。

 ──その間、たった十数秒ほどの出来事である。

 終ぞ忘れかけていたが、ハクはこの手の策略に嵌めるのが得意でもあった。

 隠密のように動き回り、情報を集めて敵の弱点を模索する。実質、フギたちを纏めているのもハクであり、裏で誰と繋がっているか分かったものでない。

 その結果、ジョニーはあっさりと捕らえられてしまったのだ……。

 敵ながら天晴れな連携でもある。しかしながら、どう足掻いたところで多勢に無勢。数の論理には勝てず、煽りに乗った時点で負けなのだろう……。いずれ、こうなるだろうとは予測していたものの、あまりにも呆気なさ過ぎる幕引き。流石のジョニーも観念したのか、力無く項垂れるだけだった。


 ──〈よおおしっ! おまえら、よくやったっ!〉

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