伍の2
*
東京湾に面した孤立した埋立地の一角がある。
見渡す限りの平地が広がり、朽ちかけた倉庫が二つ。土敷きで整地されたせいか、逞しい雑草が至る所で顔をだしている。
遠くには陸地を結ぶ大きな連絡橋が望め、その形を成すように青白くライトが点灯していた。群をなすコンテナと貨物船。この世から隔絶され、忘れ去られたような土地だ。なぜ、ここを魔女たちの拠点として選んだのか検討もつかない。……まるで、世界の果てに相応しいような場所だった。
彼女らが欧州から日本に亡命してきて、はや八十余年にもなる。戦後の目覚ましいばかりの経済発展の裏では魔女たちが常に暗躍していたとも噂されていた。しかしながら、日本にとっては所詮はただの客人でしかない。
元から国を持たない彼女たちにとってはそれが何を意味してるのかも重々理解しているだろう。それとも、他に負い目があるのか、人目を偲び、目立たず、息を潜めて生活しているのも気になっていた。
「……それにしても、ちょっと、稼ぎすぎっスよね」
と、ユキは東証のスマホ画面を見ながら、ポツリと呟く。
今日も、魔女の息が掛かっている上場企業が軒並み株価を上げていた。にも関わらず、この国は長いこと不景気で喘いでおり、貧富の格差はますます開くばかり……。
きっと、どこかの誰かがズルしているのだろう。それは、たった一握りの強欲なものたちの手によって、富が吸い上げられているようなものだった。
平凡な中流家庭に生まれつくことができたユキにとっては、いまいち現実味を帯びた話ではなかったが、仕事で苦労する両親の姿は肌身に感じている。吉備法律事務所で働き始めた経緯も、大学の単位習得や学費の半額免除があったからだった。当然、事務所から給料もでるので、両親を助ける実益も兼ねている。
なんせ「日本一の国立馬鹿大学」と、揶揄される学部の考えることだ。
それらは偏差値的な話しではなく、あくまでも「呼び名」のようなものではある。それだけ、特殊な運営方針を取っている大学でもあった。
下手な大学生活に染まるよりも、法律事務所でみっちり働かせた方が有意義だと考えたのかもしれない。定期的に提出するレポートの課題はあったものの、通学が苦痛なユキにとっては、願ってもない好都合だ。おまけに、事務所の高級車を乗り回せるとなっては、渡りに船でもある。たとえ、馬車馬のように働かされたとしても、十分にお釣りがくる計算だった。
車のボンネット息を吹きかけ、ユキは袖の部分でゴシゴシと拭く。
やはり高級車は一味も二味も違っていた。加速による乗り心地も然る事ながら、ハンドル捌きも軽く、優秀なサスペンション、制動性からくる信頼も段違いだ。自分の稼ぎでは一生手にできないだろうと、虚しさもあるが、どうもこの車に愛着が沸いてしまっていた。
もう、辺りは真っ暗だったが、海辺を背に眺める事務所の愛車も悪くない。
折角の機会なので、ユキはスマホのカメラを起動する。車が絶好に映える構図を決めながら、あれこれ位置に悩んでいると、徐々に迫ってく煌々とした灯りに気づいたのだった。
エンジン音からして、バイクだろうか。暗がりからスマホのファインダー越しで確認してみると、その形状からして古いカブのようだ。魔女の遣いだろうか。遠目で見る限り、乗っているのは小柄の女性のように思える。多分、連絡を受けて直接迎えにきたのだろう。
ユキは埃を叩いて服装をさっと正す。粗相があれば、事務所の信頼にも傷がつくので、細心の注意を払わねばならない。流石に一年近く勤めていれば、結子のやり方も骨身に沁みてくる。そして、カブがやって来るタイミングに合わせて、後部座席から巻物が入った桐箱を急いで取り出したのだった。
「……あなたが、ユキちゃんかしら?」
「ういっス! はじめまして、吉備法律事務所の遣いで参上いたしましたっ!」
無表情のまま彼女が半ヘルを脱ぐと、そこには十代半ばの美少女が姿を現す。
透き通るような白い肌、水色の瞳とハーフぽい顔立ち。ウェーブの掛かった髪を肩まで下ろして、少し変わった黒いドレスの上から作業着を羽織っていた。
「よろしく。クラリスよ」
「ひょっ、ひょっとして……。魔女さんですかっ!?」
クラリスは少し困ったように目線を逸らすと、カブのエンジンを切ってから、不機嫌そうにセンタースタンドを立てた。その反応から察するに、おそらく彼女は魔女なのだろう。しかし、あの人遣いの荒い魔女が、自ら迎えに来るとは珍しいこともあるものだ。
「その、桐箱をみせて」と、クラリスの細い手がすっと伸びてくる。
夢にまで見た新手の魔女の登場だ。テンションが上がり、高まってしまうのも無理はない。ユキは慌てふためきながら「ど、どうぞ」と、桐箱を丁重に渡した。自然と緊張で手が汗ばむ。その際、軽く手が触れてしまったせいか、「わっわわっ!」と、思わず歓喜の声を上げてしまった。その刹那、魔女は眉根を小さく上げ「なによ?」と、気まずい空気が流れてしまう。昭和のアイドルでもあるまいしと、クラリスは迷惑そうな顔を向けるのだった。
……まあ、クラリスにとってはよくあることではある。
大抵の人間は、自分の容姿を見た途端、急に臆したり、持ち上げたり、囃し立ててきたりするものだ。人間の女は、本当にいちいち面倒くさい。そのくせ、あっという間に醜く年を経る。他人の嫉妬も羨望の眼差しもうんざりだった。というより、興味のある事柄から遠くかけ離れていたのが最もな原因なのだろう。
世の中には、もっと楽しいことがあるのに……と思いつつ、彼女は仕方なさそうに嘆息してから「明かり」と、指で要求して乱雑に桐箱を開ける。そして、ユキに向かって空き箱を投げて寄越し、車のボンネットに巻物を大きく広げたのだった。
ユキはスマホにある付属のライトを点けて、直ぐ様その手元を照らす。
クラリスは小さな声で「ありがと……」と、軽く礼だけを云って、食い入るように巻物に没入した。二つある巻物は全て達筆な崩し字で記されており、傍目で読む分にはさっぱり意味不明だ。しかし、魔女にとっては、貴重な情報源なのか文字を見つめる眼差しが真剣そのもの……。
やがて、二本目の巻物に入ると、今度は打って変わって嬉しそうな顔をする。
あの高飛車の態度はどこへ行ったのか、まるでクラリスは書物と会話している子供のようにも思えた。ユキは、読み終えた巻物を丸めながら、魔女の人となりを横目で伺う。どうやら、彼女にとっては二本目の巻物の記述のほうが興味深かったのだろう。時折、小さく声を出して不気味に微笑んでいたのだった。
「……なるほど、なかなか面白いね。正直、好奇心をくすぐられたわ」
「えっ? もう読み終わったんスか?」
時間にして、正味三十分ほどだろうか。そしてクラリスは「もう、独狼に返してもいいわよ」と云うと、遊び飽きた玩具をぞんざいに扱うように地面に投げ捨てる。
声にならない叫びをあげ、血相を変えながら、ユキは落ちる寸前のところで巻物をキャッチした。激怒する結子の顔が咄嗟に浮かぶ。もし破けたり、汚したりしたら大変だ。次いでに、恐る恐る振り返って見れば、クラリスはどことなく苦笑いを浮かべているではないか。
「……でも、念のために、コピーとか取らなくていいんスか?」
「コピーですって?」
すると、クラリスは自らの額を指差し「全て記憶したわ」と、どや顔で口角を上げてみせる。なんだか、ちょっと表情が怖い。クラリスの粗雑な無神経さが読み取れなかった。……しかし、魔女にとってはなんら不思議なことではない。
彼女らの賢さは知っているし、似たような場面にも遭遇したことがある。唯一面識のある魔女、「エリス」との付き合いがあれば、その程度の芸当で驚きはしないだろう。そして、ユキは「あ、そうスか……。それは失礼しました」と、クラリスの発言を軽く流したのだった。
「じょ、冗談よ……。いまのは」
「はい!? えっ!?」
「そんな、は、早く覚えられるわけないでしょ……」
どうやら、今までのやり取りはコミュニケーションの一環だったのか、今度はクラリスが顔を赤らめ、此方を睨みつけながらの自分の表情を伺っている。
……なんて、不器用な娘のだろう。まったく相手の空気が読めてない。
呆気に囚われるユキをよそに、クラリスは恥ずかしいさを紛らわしながらカブに近寄り、バックシートに備え付けられている半ヘルをおもむろに外した。
「こっちも人手が足りないから、後ろに乗りなさい」
「こ、これからスか? お手伝いでしょか?」
「そうよ。結子からも、何か聴いてるでしょ?」
ちなみに、ユキの退勤時間はとっくに過ぎていた。今日も残業かと愚痴を漏らしたいところだが、事務所にとってはお得意様の雇用主でもある。更に、金持ち相手には労基も法律もクソもないのだ。加えて、結子からも、彼女らの機嫌を取っておくようにと厳しく指示されているのもあった。
それに、又と無い機会でもある。この隙に魔女たちとお見知りおきになっておくのも悪くはない。ユキは差し出されたメットを受け取り「なんでも、お申し付けてください」と、満面の笑みで体裁を取り繕った。
そして、いそいそとカブに跨って、無言でエンジンをかける魔女に目を遣った。一見、クラリスは強気に見えて、人付き合いが苦手そうな感じがする。おそらく、友達も少ないタイプなのだろう。
人と視線を合わせようとしない点や、会話の合間に流れる微かな緊張がそれを十分に裏付けていた。魔女たちの私生活を知らないのもあったが、普段は仕事以外の関わりを極力避けているとも聴く。ユキはメットを被りつつ、平身低頭でカブにタンデムしようとしたが、それでもまだクラリスは何か云いたそうな雰囲気があった。
自分の着ているメイド服が珍妙に映ったのか、じろじろと此方を見つめてくる。しかし、自分からはなかなか云い出しにくのだろう。ただ、その感情を丁寧に汲み取るのも仕事のうちだ。ユキは言葉の行間を察するがの如く、クラリスを気遣うように口を開くのだった。
──「あの、他にもなにか?」
──「つかぬ事を伺うけど、料理とか得意だったりする?」
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