その伍
伍の1
五國寺のインターから首都高に入り、中央道を経由して、目的地である青海市まで約一時間弱の道のり。縁士の構えている灰島の不動産事務所にはよく顔を出すため、勝手しったる道ではある。ただ、それも道が順調に空いていればの場合だった。
最近は、何処も彼処も禁煙の流れが強くなり、気兼ねなく吸えるのは車の中ぐらいだった。ホルダーのスイッチを入れて吸える数十秒間が煩わしくて仕方ない。加えて、渋滞に捕まり、延々と連なるライトの群れにも腹を立てていた。
設置されている電光掲示板が赤く点灯し、事故渋滞であることが伝えられている。なんの為の高速なのだと、毎度ように苛つかせた。昂った感情を腹に据えて、怨念の如く白い煙を吐き出す。一向に動く気配のない前方の車両に目を遣り、
今日は、何かと騒がしい一日だった。……全く、癪に触る。
昼過ぎあたりから急に動きが慌しくなり、
なんでも、あの「リッチ・マリア」の娘が見つかったとなれば、士師が呼び出されるのは自明の理ではある。しかも、詳しく話を聴いてみれば、現場は「独狼」の中心区域だと云うではないか。
更に、士師にとっては、よりによっての難所でもあった。
魔女と知り合う以前の話だが、独狼との土地売買をめぐり、関係者が何人も行方不明になっている。邪魔者がいれば、容赦なく消す。死体がみつからないのであれば、事件のなりようがない。彼等はそういう価値観を合わせ持つの連中なのだ。
天狗や古狸の残党と結託して、殺し屋まがいの人材を内務省の天下り企業に送り込んでいる時点で、始末が悪すぎる。表向きは平和な一般市民を装っていても、中身は警察ですら手に負えない狼藉者集団でもあった……。
ようやく、車が少し動き出してきた。交通管理隊の黄色い車両が遠くに見え、赤色灯をもった隊員が交通整理を行なっている。幸い、近場での事故だったらしく、この調子なら直ぐに渋滞を抜けられるかもしれない。
煙草の吸い殻を灰皿に入れ、スティックをチャージホルダーに納める。
そして、ふと夜空を見上げれてみれば、下弦の月がぼんやり浮かんでいた。
新月に向かい、これから月は少しづつ光を失ってゆく。士師は、それに纏わる迷信を信じているわけではなかったが、縁起の悪そうな事柄は避けたい方でもあった。
特に、こんな日は縁起を担ぎたいものだ。いくら有利な交渉材料があろうと、運の要素だけはどうにかなるものではない。独狼側も、どんな隠し立てをしているか分かったものではなく、それこそ「神のみぞ知る」展開だった。
その結果、出向むかざるを得ない状況になってしまったが、酔狂で火事場に赴くようなもの。自分にとっては好き好んで殺されに行くようなものだった。
もし、交渉が決裂すれば、更に面倒な事態を招く。平たく云っても、魔女と独狼は一発触発の状態だと云っても大袈裟ではなかった。どちらも腹の中が見えないとなっては、やりようがない。あとは、魔女からの情報待ちといったところだろうか……。
ハンドルを握る手がヤケにベタつく。年甲斐もなく、怖じけついているのか。
それとも、武者震いなのだろうか。吉とでるか、凶とでるか、次第に期待と不安で胸が一杯になる。この身を焦がすような熱さも久しぶりかもしれない。危険な賭けや勝負に飢えてるわけではなかったが、楽しもうとしてる自分が心底嫌にもなる。
加えて、頼みの綱である魔女の裏工作が間に合うかが肝だが、それまで話し合いを引き伸ばせねばならない。失敗となれば、お互いに血を見る羽目にもなるだろう。昔とは違い、自分も中年のいい歳したおっさんだ。血気盛んな十代でもあるまいし、勘弁してもらいたいところ。
士師はバックミラー越しに、後部座席に置いてある猟銃に目をやった。
一応、平和な日本で所持できる唯一の「銃」でもある。魔女も何を考えて準備させたのか、出来ることなら、こんな物騒なものは使いたくはない。散弾銃は破壊力が抜群なだけに、撃てばタダでは済まないだろう。
二本目の加熱式煙草をスティックにセットし、士師後続車の気配を気にしながら慎重にアクセルを踏む。渋滞は既に解消しつつある。車の流れも順調だ。だが、ここで調子に乗って速度を上げれば、警察に捕まったりする。これも、よくあるパターンなのだ。
……わかっている。現実など、所詮はそんなものだ。
此方を嘲笑うがの如く、状況が深刻になればなるほどに、不思議と皮肉感を増してゆくものなのでもある。これがもし、映画のワンシーンならば、爽快に車を飛ばしたりもするものなのだろう。
定番な演出ではあるが、士師にとっては柄でもなかった。大事なのは、指定された時間までに無事到着することである。嫌味の一つも口にしたいところだが、事故でもおこしてしまえば、それこそ格好がつかない。
──すると、追い越し車線から、赤色灯を回した車両が駆け抜けて行った。
どこに潜んでいたのか、覆面パトカーが真横を通り過ぎる。
ほらきた、と云わんばかりに口角をあげる。それも、一瞬の隙をつき、悪魔にでも魅入られた気分にもなった。不吉な凶兆の現れだ。悪いことは連続して重なるもの。まるで、確率論など無視かのするように……。不敵な笑みを浮かべながら「窮すれば鈍する……か」と、土師は紫煙を吐きながら、小さく独り言を呟いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます