肆の8

「ハ、ハゲですか?」

「ええ、しかも若ハゲなんです」

 しず江は、赤面しながら申し訳なさそうに真相を吐露する。何を謝る必要があるのか、相手の理解に苦しむところだ。確かに、側から聞けば「しょうもない」理由であったのかもしれない。

 ……しかし、それがどう駆け落ちまで発展してしまったのか。事件の当事者でもある之彦がいないのであっては、どうもやりづらかった。

「之彦さんは、あれでも独狼を率いる長老の息子でして、将来を有望視されていたらしいのです。小さい頃は神童と謳われるほどの才能の持ち主だったのですが……」

 話の途中ではあったが、思い当たる節も幾つかあり、結子は即座に鼻を利かせた。遣り取りが長引くまえに、簡潔に済ませたいのもある。

「飽き性で何事も続かなかった……とか?」

「ええっ? よくわかりましたね」

「よくある、身近な話でもありますんで……」

 と、ペンを手に取り結子はにっこりと微笑む。なぜなら、自分の息子がそんな感じだったからだ。あの軽い父親の影響もあるのか、自信だけは妙に満ち溢れている。卒なく何でも小器用にこなしてしまうせいか、自分は「特別な子供」とでも思っているのだ。

 ただ、ちょっとつまずいただけで、直ぐに諦め、途中で放り投げてしてしまう。これも世代的なものか、異様に見切りが早いのだ。感受性が強いうちに色々と試すことは悪くはないが、あれこれと目移りするだけで、何一つとして形にならなかった。幾度となく、そんな光景を目にしたことか分からない。

 それは俗に言う、「器用貧乏」というものだった。

 多少は良い側面もあるのだが、裏目に出てしまうとこれほど性質の悪いものはなかった。堪え性がなく、一度や二度の失敗で腐ってしまう。

 大事なのは、そこからの頑張り次第なのに。その癖、屁理屈だけは一丁前で生意気な抗弁ばかりを垂れてくるのだ。だが。上手くなるのは言い訳だけ。母として、無駄に逃げ癖がつくのを最も恐れていた。

「……その、端的に言いますと、口だけは威勢がいいのですよね」

 ため息混じりに、しず江は口を開くと「まったく、困ったものです」と、結子は同調するように深く頷く。男はどうして、こうも奔放に身勝手になれるのか。出来の悪い子供ほど可愛いとはいうものの、お互いに悩みの種は尽きぬといったところだろう。

「それで、之彦さんにはかなり歳の離れたお兄さんもいるのですが、所謂お妾さんの子供でして……。本妻の子供である自分の方が上だとでも思っていたのでしょうね。性格なんかも真逆でしたし」

「では、お兄さんは地道に努力するタイプなんでしょうか」

「きっと、継続する重要性にも気づいていたのでしょう。でも、之彦さんは懸命に頑張る人間を何処かで見下すような節もありましたから、多少は合わない部分はあったかと思います」

 なるほど、之彦は典型的な若輩者でもあったようだ。

 周囲からおだてられ、つい調子に乗ってしまったのだろうか。自分が優秀だと思い込んでいる若者ほど、日々の努力や積み重ねを軽視しがちな傾向がある。だがそれも、要領も良く人並み以上に到達してしまうのであれば勘違いもしてしまうことだろう。

「……と、云いますと、ご兄弟で確執でもあったのですか?」

「いえ、別にいがみ合ってたわけではないです。お兄さんも歳の離れた之彦さんを可愛がっていましたし、本人もよく懐いていました。でも、いずれは自分が独狼を背負って立つものだと信じていたようで」

「実際は、違っていたと?」

「はい。もともと、独狼は世襲制ではありませんので、之彦さんは産まれた時点で、継承者候補から外されていたのですよ」

 物憂げな表情のしず江だったが、なんとも言えない愛らしい顔をする。まるで、之彦が落ちぶれるのを望んでいたかのような印象も受けた。確かに、堕落した男が好きな女は一定数存在する。

 ……しかしながら、しず江はまたそれとは少し違う感情な気がした。

 多分、そう云った人間の醜さや愚かな側面をこよなく愛しているのではなかろうか。この掴みようないような柔和な物腰もそこから派生してる気がしてならなかった。だが、その二律背反した感情こそが、男たちを激しく狂わせてしまうのかもしれない。之彦もまた、犠牲者の一人だったのだろう。

「それは、さぞかしプライドが傷つけられたのでしょうね」

「仕方がありません。独狼の組織は一枚岩ではありませんし、お兄さんを含めて次世代を担う面子はとっくに出揃っていたのですよ。最初から、之彦さんが出る幕などなかったのでしょう……」

 これは、生まれや家柄がどうこうと云う話ではなく、独狼にも表の顔と裏の顔があるということなのだろうか。其れ等は、厳格なまでに仕分けられ、実質的な権力は裏の人間が握っていることにもなる。

 つまり、平たく云っても独狼は「粗暴な人間たち」の集まりなのだ。

 しかし、最近はどこもかしかも企業体系が一層強くなり、グローバル化が推し進められている。数十年前のような「切った張ったの世界」とは異なり、稼ぎたいのはぶん殴った奴等の頭数ではない。大事なのは、利益と損失。その経営基盤なのだ。

 大きな変革の流れは独狼とて例外ではなく、旧態依然な組織のままでは、おそらく乗り切れなかっただろう。既に、その兆しを伝えるような噂話は結子の耳にもちらほら入ってきている。魔女たちの真の狙いは、それにまつわる利権と既得権益に他ならなかった。

「それでも、之彦さんは器用な人ですから色々と仕事を任せられていたようなのです。でも、二十歳を過ぎたあたりから急に髪がですね、ストレスでしょうか? その、髪が薄くなってきたといいますか……」

「……徐々に荒れてきてしまったわけですね?」

 事務的に淡々とした様子でメモ帳に情報を記載し、結子は男性特有の悩みに一応の理解を示した素振りをする。ハゲは男性にとって、事実上の死刑宣告だとも聞く。剛毛な髪質の結子にとっては、彼岸の話にようにも聞こえた。

 多分、之彦はそれだけ繊細で気難しい性格のだったのだ……。そして、先程から必死に笑いを堪えているユキの足首を、結子は、しず江の見えない角度から蹴飛ばした。

「そ、そうだ。き、気になってたんスけど、それが何だってこんな大騒動に発展したんですか?」

「あらやだっ、わたしったら肝心なこと話してませんでしたね」

 と、しず江は、肩を窄めて照れながら頭を掻く。ユキは「もう、しず江さんはお茶目さんスね」と、わざとらしく愛嬌を振り撒いてみせる。なんだかよく分からない受け応えだったが、不思議と場の雰囲気だけは明るくなった。

 咳をコホンと小さくしてから、しず江は仕切り直すように背筋を正す。

 そして、前傾姿勢をとりながら「実のところ、村の子供たちに揶揄からわれて、キレただけなんです」と、左右を気にしつつも、いとも簡単に打ち明けたのだった。

揶揄からわれたって……?」

 ユキは、まるで老中にお伺いをたてるように、無言で自分の頭髪をそっと指し示す。しず江は、ゆっくりと頷きながら「ほぼ、突発的な行動に近かったようなんです」と、付け加えたのだった。

「はじめは、脅かすだけのつもりで神社に安置されていた熊を連れてきたのですが、上手く命令をきかなかったみたいで……、本当は、私といち華が、現場に居合わせてしまっただけなんです」

「じゃあ、駆け落ちというのは?」

「……すみません。逃げ口上では、それが最もしっくりくるだろうと。でも、大事な熊を逃してしまい、憔悴しきってしまった之彦さんを放ってはおけなかったんです」

 ……憐憫の情といったところなのか。どうやら、経緯を聴く限り、二人は恋人同士という訳でもなさそうだった。そこまで義理立てする必要があったかどうかはさておき、しず江にも募る想いもあるのだろう。幼馴染いう間柄上、兄妹のような関係だったのかもしれない。

「独狼は、よくご存知かもしれませんが、そんな甘い組織ではありませんし、いくら長老の息子と言っても、捕まればきっと只では済まされないでしょう」

「ですが、娘のいち華さんも一緒に連れて逃げるのが筋だとおもいますが……」

 すると、しず江はなんとも物悲しい顔をした。「いち華は、よくできた子ですから、わたしの気持ちを察しての結果だったと思います」

「では、自分から村に残ると?」

 小刻みに首を縦に振り「ママに頼れる人間がいるなら、あたしに考えがあるなんて言うものですから、つい……」と、反省してる様子で俯くのだった。

 内情を聴く限り、突発的だったのはしず江もいち華も一緒だったようだ。そして、後々の展開を想像する限り、いち華の計画とやらは上手く事が運ばなかった可能性もある。

 だが、それも致し方ないだろう。いくら、いち華が魔女の娘とは云え、まだ年端のいかぬ子供だ。先を予測して見据えるには、まだまだ知識も経験も足りないはず。それでも、熊の追跡を遮二無二にしてたというのであれば、頑張った方ではなかろうか。

「ああっ……と、そうでした。すっかり、忘れてました」

 なんの前触れもなく、しず江は思い立ったように手を叩く。娘の話題をあまり出したくなかったのか、しず江はそそくさと席を離れる。「先に渡したいものがあったのですよ」と、妙に陽気だ。

「……そう言えば、さっき車でなんか言ってたっスね」

 不意にユキが話を振ると、結子は顔を引きつらせ視線を逸らした。

 これは、よく覚えてはいなかったという反応だ。働き盛りの年齢とはいえ、連日の疲れがたまってきているのだろう。もう、歳なのかもしれない。

 ふう、と吐息を漏らして、結子は肩をほぐしながら目頭を抑える。

 一応、目当ての書類は無事手に入れたことだし、あとはユキに任せて先に上がってもいいものだが、根が生真面目なせいか、どうも自分自身に融通が効かない。分かっていながらも、思い通りにはならない強情な性格でもあった。

 しず江が淹れてくれた紅茶を口に運び、結子はまだしっかりと観察していない部屋の間取りをまじまじと見渡す。とてもいい部屋だ。小物も綺麗に整頓され、モデルルームのような落ち着きもある。

 そして、鼻につんと香る変わった匂いがした。お香でも炊いているのだろうか。かつて、どこかで嗅いだことがあるような匂いだった。


 ──なんだろうか? とても懐かしい気がする。

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