肆の6
「ええと……、賢い仔犬たちは『フギ』って呼ばれて村では重宝されててね……、あの日本刀はフギを使役するための『仕掛け刀』ってとこかな」
「使役させるって、命令を仕掛け刀で? なにそれ、ちょっとかっこいいわね……」
と、エリスは羨ましそうに鼻をフンッと鳴らしてみせる。
「刀には特別な細工が施されててね、振ると色んな音がでるのよ。高周波?っていうのかな、フギにはそれを細かく聴き分ける能力があるみたいなの」
ステーキナイフを刀に見立てて、陽気に振って見せては、それぽい型を巫山戯て披露してみせる。素人目でみても、見事なまでの太刀筋だ。余程、修練を積んだのろう。
……なるほど、それであれだけ見事な構えができてたわけか。
しかし、いち華はあの「姐さま」の娘だ。さぞかし、道場の師範代も仕込み甲斐があったことだろう。
「じゃあ、会った時に抜刀しよとしてたのは、犬たちを呼ぼうとしてたってこと?」
「あそこなら、他のフギにもギリギリ音が届く距離だからね。村の連中にも直ぐに伝達するから、エリスはその場で捕まってたと思うよ?」
いち華は小悪魔のような細い瞳をちらつかせて此方の顔を悪戯に覗き込んでくる。貴方は〝ただ運が良かっただけ〟とも云いたげな雰囲気。だが、そこは素直に認めるしかなった。いくら魔女であっても、そんな得体の知れない犬たちから逃げきれる自信はない。
「でも、少し大袈裟じゃない? わたしは、いち華を尋ねてきただけの女だし。手荒い歓迎だと思うけど」
「うーん。でも、そういう訳にはいかないかな……」
「あら、どうして?」
エリスはスマホを片手にどこかに連絡や指示を飛ばしている。余裕ぶってみせているが、内心はかなり焦っていることだろう。
「だってほら、あたしも『独狼』の構成員の一人だからね」
「はい? ななっ、なんですって!?」
「ええっ? エリスは知ってたんじゃないの?」
まるで、時が止まってしまったように、二人は引き攣った顔を見合わせる。どうやら、お互いの認識に相当なズレがあったようだ。というより、魔女側の見通しの甘さが露呈した形と云ったほうが正しい。
何故なら、いち華の住む山村は精々、独狼を支える末端組織のひとつだと推測していたからだった。三十年前に起こった惨殺事件も、無断で縄張りを荒らされたものに対する報復措置であり、独狼が本拠地とするS岡県の熱美市と伊刀市から遠く離れているのもある。
しかしながら、
どうせならば、独狼と共生共栄の道を模索し、昔からこの山村で囁かれている噂の是非も確かめてみたい。現に、この地区には巨大な利権が渦巻いており、魔女たちも便乗してみたいと画策してる最中でもあったからだった。
「うーん。正直、そこは想定外だったわね」
「それって、あたしも超マズい立場じゃないの?」
「……だ、大丈夫よ。わたしに任せて。とりあえず、洗いざらい話してみてちょうだいな」
「洗いざらいって……」
と、いち華は不安そうな顔をする。それもそうだろう。魔女たちも所詮は人間の上位互換でしかなく、意外と杜撰な面があると判明してしまったからだ。多分、こいつらが持っているのは『金だけ』だ。
「……まあ、それで話の続きなんだけど、他の動物でも試してみようってことになったらしいの。でも、わかるじゃない?」
「熊しか上手くいかなったってこと?」
「結果的にはそうなっちゃうかな。でも、また問題が色々あってさ。なんせ、野生の熊だし。扱い方も飼い方も分からず、みんな途方に暮れちゃったわけ」
と、軽く相槌を打ちながら水を飲み、いち華はエリスの使っていたペンとメモ用紙を拝借し、おもむろに何やら描きはじめる。
独狼の歴史を綴った相関図のような感じだろうか。可愛いイラスト付きの簡単なものだった。エリスが上から覗き込もうとすると、照れて手で隠したりもする。余計な説明の手間も省けるので、絵に興したほうが手っ取り早いと思ったのだろう。
「やっぱり、熊は犬と違って完全に懐かないから?」
「うん。仔熊のときはともかく、大きくなると命令を聴かなくなっちゃうのよ。おまけに、無駄に賢いから人の手にも負えなくなると……」
「それで、もう一つの秘薬が必要になったわけね」
「そうなんだけど……、ええと、仮にこれを秘薬Bとするわね」
と、即席で描いた図と絵を差し出すと、いち華はいっそう不快そうな顔をする。秘薬Bに関しては口にするのも嫌だといった感じだ。
そして、エリスはメモ用紙に書かれた文字を目にした途端、著しく顔を顰めた。その図に記された化学式から推測する限り、秘薬Bを構成する主成分から麻薬のような強い薬剤を使用してる痕跡がある。
「控え目に言っても、人間なら、すぐ死んじゃう容量だわね」
「……あたしは専門家じゃないからよく分からないけど、これが良くない薬だっていうぐらいはわかるわ」
紙にペンを走らせつつ、いち華はくどくどと不満を漏らす。おそらく、独狼との間に何かしらの軋轢があったのだろう。
「つまり、薬物の中毒状態にして熊を無理やり従わせてたのね?」
「依存性に関しては、研究と改良を重ねて随分マシになったみたいたけど、あたしはこういうやり方は好きじゃない。いくらなでも非道よ」
ふむふむ、と唸りながらエリスは食べ物を口に運び、次々に書き上がる覚え書きの用紙を並べて秘薬Bの効果と検証を行う。
いち華は苛立った様子だが、熊の凶暴性を維持しながら調教するには、なかなか合理的な手法にも思えたのだった。何よりも、底上げされた熊の知能や習性を逆手にとって上手く制御している……。
そして、最も興味深かったのは、熊に「装甲服のような鎧」を身に纏わせて、武装させてる点だった。呆れたことに、熊用に改良された武器の存在まである。正直、これを考案した人間はの気が知れない。嗜虐的な趣向も相まって、残虐性ばかりが増している。
しかしながら、青海組が関西各地から武闘派の組員を揃えたとは云え、こんなもので襲われてはひとたまりもなかったことだろうに……。
犠牲者の数からしても無残な有様である。
まるで、厄災でも鎮める儀式の生贄のようだ。それとも、天に捧げる供物となったのか。この惨殺事件に関しては、そんな側面もひしひしと感じられる。そして、彼らの冥福に祈るように、エリスは心のなかで小さく合掌したのだった。
──更にもう一点……、エリスはどうしても見逃せない箇所をメモ用紙の中から発見してしまったのだった。ある意味、いち華が「魔女」をであることを足らしめる渾然たる事実。それは、儚くも悲しい存在の証明でもあった。
あの姐さまでさえも、決して逃れらぬ宿命だったのだ。勿論、自分もだ。他の魔女たちですら、どれだけこの不憫な境遇を呪ったことか分からない……。
何故? どうして? と、問えば問うほどに自身を恨んだことだろう。絵なら普通に描けるはずなのにと。ペンや鉛筆を握る度に、思い知らされる。この隠しようのない現実を残酷に突きつけられるのだった。
魔女が誰にも知られたくない秘密でもある「悪筆癖」は、彼女らにとってはコンプレックスでしかない。対処法はあるが、いくら努力しても直らないのだ。その一方で、字の上手い人間を目にする度に無駄な尊敬を抱くのであった。
……やがて、抑えても抑えても次々と込み上げてくる涙腺をぐっと堪え、エリスはできるだけ明るく振る舞いながら、いち華に優しく声を掛ける。
──「いち華、あなたって、字がとんでもなく『下手』だわ……」
──「う、うるさいっ! エリスだって、めっちゃ下手糞じゃないのっ!」
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