肆の5

 まずは、事実をしっかりと受け止め、計画を練り直すしかなかろう。最悪、いち華だけでも村から強奪してケツをまくってしまえばいいのだ。知らぬ存ぜぬを決め込み、既成事実をつく上げてしまえばいい。

 そして、エリスは咳払いをひとつしてから、いち華に粛々と聴いてみることにした。

「ねえ、その話って本当なの? 申し訳ないけど、とても信じられる話には聞こえないけど……」

「エリスだって、その成りで二十歳は疾うに越えてんでしょ? 自分は魔女とか名乗っちゃったり、そっちの話のほうが信じられなくない?」

 ……確かに、云われてみればそうかもしれない。

 急を要されたとはいえ、人間にとって魔女の存在自体が異質すぎるのだ。

 畏怖されている訳でもなければ、魔女自身も長寿の仕組みが解明できているわけではない。果たして、自分たちは何者なのだと首を傾げている現状でもある。

 ただ、使えるものであれば猫でも杓子でも何でも使う。

 魔女であれ、人間であれ、そこに大した差異はないのだ。たとえ仕組みが分からずとも、狡猾に利用していくだけだった。

「それで、具体的にはどうするのよ。熊みたいな猛獣はた調教だけでは人には、なかなか懐かないでしょ」

「だから、ある薬を使うのよ。村では『秘薬』って呼ばれてたかな」

「ひっ……、秘薬ですってっ!?」

 突然、エリスが素っ頓狂な声をあげて立ち上がり、凄まじい形相で詰め寄ってくる。反射的に「なによっ」と、いち華も咄嗟に身を引く。

 余程に意外な返答だったのか、魔女らしくない狼狽ぷりでもある。目を大きく見開き、何故か手元にある酒や煙草を頻りに気にしていた。

「お、教えなさいっ。その秘薬って、いつ作ったものなの!?」

「……よくは知らないわよ。ただ、秘薬は二つあるのだけど、もう片方の秘薬は村人が後に作ったものだと思う……」

 と、いち華は視線を逸らして眉を顰めてみせた。

「ふたつ……? ってことは、最初の秘薬は他所から持ち込まれたのかしら」

「もう何百年前の話だったと思うよ。流れ者だった薬師さんから譲り受けたたものらしいけど……、でも、これって元々は犬用の秘薬だったみたいなのよね」

「犬用の? なんか、話が上手く繋がらないわね」

 手持ち無沙汰なのか、エリスは煙草を手に取りマッチで再び火をつける。

 一見、吸いすぎのようにも思えたが、時間の間隔や容量を守って吸っている印象も受けた。洋酒も同様にして、様々な種類なものを少しづつ混ぜて飲み分けている。無闇矢鱈に暴飲してるわけでもなさそうだった。

「長くなるから経緯いきさつは割愛するけど、その秘薬を使用するのは、妊娠中の母犬だけなのよね。本来は健康な仔犬を産んでもらうための処置だったのだけど……、そこに思わぬ副産物があったのよ」

「副産物? 産まれた仔犬の中に?」

「五匹に一匹ぐらいの割合になるかな……。とっても『賢い』仔犬が産まれてくるのよね。もう、それがびっくりするぐらい頭がいいの」

 両頬に手を充てて、いち華はなんとも朗らかな顔をする。あばたもえくぼに、産まれてきた仔犬を溺愛する姿が目に浮かぶようだった。

「興味深いわね……。で、どの程度のことが出来るのかな」

「日常会話程度なら、完全に理解してるよ。人間のトイレも普通に覚えるし、部屋の片付け、家電の操作に、簡単な計算……、お使い全般はなんでもやるね。それに、赤ちゃんのお守りだってできちゃうんだから」

 指折り数えながら順に例を挙げていくが、この調子だと仔犬はかなり高い知能を有してそうだ。実物を目にしなければ何とも言えないところだが、事実であれば犬を使っての隠密行動もできてしまう。動く駒としてはこれほど優秀な生き物はないだろう。

「……でも、もし世間に存在がバレたら世の中がひっくり返るわね」

「いまのところ、その心配ならして殆どしてないかな……。他人の手に渡ったところで、その賢さも遺伝性とかではないのよ。つまり、繁殖させたところで産まれてくるのは普通の仔犬ね?」

「じゃあ、あくまでもその秘薬が重要ってことなの?」

「なら、いいんだけどね……。でも、仔犬の判別も難しいし、重要なのは産まれからの約一年の躾と訓練なの」

「ノウハウがあって初めて獲得できる能力でもあると……?」

「うん。その間に知覚できればいいけど、できない子は普通の犬と遜色なくなってしまうからね。愛情を持って接して、手間暇かけないとなかなか応えてくれないのよ」

 辟易としつつも惚気のろけている様子から、いち華ですら手を焼かせる個性を持っているのだろう。やんちゃな我が子ほど可愛いというが、丁度そんな感じなのかもしれない。世話役でも任されているのだろう。

 なんせ、競馬で生活費を荒稼ぎしてたぐらいだ。もともと動物に興味があった

に違いない。そう云えば、ホテルのフロントに預けてある、いち華の日本刀にも犬のアクセサリーらしきものが括り付けられており、何か文字も彫られていたような……。

「いち華って、意外と動物が好きなのね」

「犬も猫も鳥も好きよ。うちでもね、フギ……じゃなかった。犬を二匹飼ってるからね」

「いま、『フギ』って言ったかしら!?」

「あれ? そんなこと言ったかな?」

「ちょっと、とぼけないでよ。それって、いち華の持ってた日本刀にも彫られてた文字よね。ずっと気にはなってたけど、産まれてきた仔犬と関係あるってこと?」

 しまった、と云う具合にいち華が苦笑いを浮かべる。

 今更なにを隠す必要があるというのか。いち華は村の情報を小出しにして此方の手札を伺っている節がある。とは云え、村にとってみれば極秘情報もいいところ。複雑に絡み合う事情を鑑みると、彼女なりに危ない橋を渡っているのかもしれない。

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