肆の4

 ──見果たす限りの豪勢な食事がずらりとテーブルに並んでいる。


 和食、中華、イタリアンと、右も左も至れり尽せりだ。魔女の旺盛な食欲に唖然としつつ、いち華はハンバーガーに齧りついていた。どれだけ食べるつもりでいるのか、警護の男たちの手によって、次々と料理が運ばれてくる。

 食べたい物を聴かれた矢先、何の気無しに「ハンバーガー」と答えてしまった手前、それが本当に出てくると思ってはいなかった。魔女に嫌味に思われてしまっただろうか……と、しどろもどろになりつつ、口に運んでみると目の飛び出るような美味さ。

 幾分、餌付けされてるような気分にもなったが、またと訪れない折角の機会でもある。いち華はただ食べるのではなく、どんなバンズを使用し、どんな食感なのか。調味料の具合やパテの焼き加減、トマトとレタスの歯応えに至るまで細かく吟味する。また、旨さに舌鼓を打っては、洗練されたシェフの腕前に密かに感動していた。

 一方、暴飲暴食に近いエリスはパソコンやスマホを同時に操作し、ちょいちょい会話まで挟んでくる器用さ。忙しいのやら、遊んでいるのやら、そのマルチタスクぶりには呆れるばかり。そして、他愛のない雑談をしてる内に、しず江が逃亡した件について話題が移ったのだった……。

「ええっ、じゃあなに? 結局、失踪事件を装った駆け落ちをだったの?」

「そう。ママたちの計画が杜撰だったから、長老にすぐバレだけどね。以来、あたしは囚われの身って感じだったのかな? 」

「それなら、救いに来るのは白馬の王子様のほうがよかったかしら。そのお姫さまには、悪いことしちゃったわね」

「そうよ。魔女がいきなり現れたら誰だって警戒するわ」

 と、いち華が如何にも残念そうに云うと、エリスが下品な声でケタケタと高笑いをする。

 酒に酔ってるせいもあるのか、彼女とは大分打ち解けてきたような気がした。しかし、事の経緯の異常さに気づいたのか、魔女の眉根が微かに動いて柔かな笑顔が消える。常識が外れた話に違和感を覚えたのだろう。

「……あれっ? でも、変な話じゃない? しず江さんの駆け落ちを装うにしても、そもそも『熊』なんで何処から持ってくるのよ」

「村営の動物園から? 村では熊を神様として崇めているし、ママはそこでちょいちょい働いてたし……。きっと、首輪でも括りつけて連れてきたのね」

「首輪にリードをつけて……って、んなわけないでしょ。犬の散歩じゃあるまいし。大体、その動物園から村まで何キロ離れてるのよ……」

 と、一寸考えた後、エリスは目を瞑って顳顬こめかみを抑え、頭痛がしてきたかのような仕草をする。ただ、これは内容の馬鹿馬鹿しさから由来されるものではなかった。その不気味なニュアンスから、いち華が冗談ばかり吐いてるわけでもなさそうなのが、返って引っかかる箇所でもある。


 ……どうせ、姐さまの考えることだ。


 可愛い我が子を預けるにしても魔女たちの嫌がらない場所を選ばないはずがない。村には「独狼」が絡んでいるというところまでは把握はしているものの、その細かい内情まではエリスですらよく掴んでいなかったのだ。

 独狼は、地域を守る武装した自警団であり、その始まりは数百年前まで遡るという。古い言い伝えよると、野生のというおかしな伝承が僅かに残っている程度だった。同時に諸藩の力もなかなか及ばないような盗賊や浪人の集まりでもあったらしい。

 おまけに「天狗」との協定や取り決めにより、下手な詮索ができなかったのもある。これらは魔女が日本に亡命してきた時に交わされた約束でもあり、決して侵してはならない密約でもあった。

 加えて、独狼は現代機器をあまり使わないという噂もあり、情報が殆どと云って良いほど漏れてこなかったのだ。極端なまでの隠密主義も手伝ってか、アナログな手段を用いて連絡を取り合っているとなっては、魔女とてやりようが無い。

 要は、携帯やネットなど全く信用してないのだ。昔ながらの古い伝達方法と、それらに頼らない仕組みを構築し、我々魔女が取るに足らない敵であることも気づいている。

 そして、この「獣を操る伝奇」が事実であった場合が厄介だった。

 今までは眉唾物の与太話だと思っていただけに、エリスにとってはこの上ない悩みの種になってしまうだろう……。


 ──それは、三十年以上前に起こった「青海組惨殺事件」に起因していた。

 

 八十年代後半、バブル経済における地価狂乱の波が街にも押し寄せており、地元住民たちとのトラブルが絶えなかったとも記録されている。民間企業の過剰なまでの投資や銀行の融資などにより街が活気付く一方、裏では地方の暴力団勢力と独狼の抗争が激化していたようだったのだ。

 そして、地上げ屋として関西地方から乗り込んできた「青海組」が新事務所を構えたひと月半後、武闘派の組員およそ数十名が一夜にして惨殺。それは、台風の暴風雨と嵐の闇夜に紛れての犯行だった。事件現場となった駅前の事務所では、まるで猛獣か何かに襲われたような痕跡があったらしい。

 事件はテレビやマスコミなどにも頻繁に取り上げられ、昭和最後の怪奇事件として連日連夜に渡って報道され続けたものだった。しかし、地元住民は勿論のこと、警察ですら一斉に口を噤んでしまう有様。事件当日、犯行現場となった地元住民が公民館へ避難していた為、目撃者がほぼいないのもある。

 逆に、容疑者の名前を挙げればきりがないだろう。なんせ、地元住民全員が怪しいのだ。しかも、街の人間が一斉に「あれは、熊神様の祟りだ。土地を無断で荒らした天罰だ」と、口裏を合わせたとなってしまっては捜査のしようがない。当然、その中には地元出身の警察官や捜査官なども含まれていた。

 その後の賢明な捜査にも関わらず、証拠らしき物証も一切上がらず、いたずらに時間だけが過ぎ去り、細々と捜査を続けていたものの事件は迷宮入り。やがて、ひっそりと時効を迎えたのだった。

 一応、目ぼしい人物に任意の事情聴取を試みてみたものの、まだ未成年の少年少女だったり、ただの老人であったり、スナックのシングルマザーであったりと、とても組員を惨殺したとは思えない大人しい庶民ばかり……。

 その中には事件の真相を探るべく中央本部から派遣され、果敢に立ち向かった優秀な刑事もいたそうだが、燃えたぎる情熱を胸に挑んだ割には、あっさりと自主退職する羽目となる。

 ……詳しいことは定かではないが、その刑事は事件を追うごとに徐々に気が触れ始めたらしい。毎朝、警察署の外周を二十キロ走っては「いずれは、南極の観測隊に入りたいですっ!」と、敬礼しながらを口走り、部屋で仔犬を飼い始めては、ペンギンの置物を仰山集めだしたのだった。


 そして、警察署を去る前日、彼が最後に残していった言葉は「熊ってね、俺が思っていたより可愛らしくて、なんだかとても最高じゃん……」だったらしい。


 以上のことから推察しても、いち華と「独狼」の繋がりはほぼ明白だろう。

 ただし、熊の件については遥か斜め上をいく想定外な案件だった。

 いくらなんでも、熊を操って暴力団を襲わせるなど、魔女も予測だにしていなかっただろう。現実離れたした巫山戯た内容から、まず「あり得ない」と線だと考えられていたからだ。精々、独狼が猛獣が襲ったように見せかけ、殺害現場を偽装しただけだろうと高を括っていたのもある。なんせ、この事件は地域を巻き込んだ戦争のようなもの……。誰もが加害者であり、被害者でもある。

 そもそもがだ、熊を犬のように飼い慣らすなど不可能に近いはず。というか絶対に無理だ。よしんば、それができたとしても、猛獣が人間の指示通りに動けるはずがく、仮に銃を持つような人間を襲わせるにせよ、それなりの訓練や知能も必要になってきてしまう。それとも、熊に戦闘訓練でも施したというのか。阿呆らしい。まるで話にならん。常識を照らし合わせてみたところで、現実的ではなく、まったく辻褄が合わなかった。

「ところがね、できちゃうのよね」

「へっ?」

「熊なんかもさ、手足のように操って命令できちゃうの」

 なんともまあ素直に、さらっと云ってくれるものだ。いち華は指をペロペロと舐めながら純朴そうな顔を呑気に向けているが、エリスにとっては頭上で爆弾が炸裂したような衝撃を受けていた。

 ……現実は小説より奇なり、などという言葉があるが、そうじゃない。

 これでは「現実は小説よりもファンタジー」なんてものになってしまう。お花畑もいいところだ。だがしかし、想定外として考えていた線が再浮上してくれば、軌道修正もやむを得ない。既に魔女たち主催の「魔女の姐さまたち、すきすき大好きよ計画」が頓挫しかねない勢いだった。

 ……もはや、風前の灯火でもある。

 裏では、多くの人材を投与してるだけあって、今更、後には退けない状態だった。大体、「お前ら、人殺しの訓練をされた熊を生け捕りするから、みんなよろしくね」なんて、信頼する部下たちに恥ずかしくて言えるはずがない。第一、これでは情報が多すぎて笑われてしまうではないか。

 そして、魔女たちが短期決戦を目論んでいたのも、時間がもつれればもつれるだけ自分たちが益々不利な立場に置かれるからだった。できることなら、〝なるべく安くあげたい〟と、いう魔女のケチな性分が裏目に出でしまった結果と云えよう。

 もし、明日までに事態を収拾させられなければ、他の魔女から小言を並べられた挙句、独狼から多額の賠償金を請求されてしまうだろう。このままでは、自らの沽券にも関わってしまう。なによりも、いち華だけにはカッコいい姿を見せつけて「尊敬できる姐さま像」を強調したかったのであった。

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