その肆
肆の1
村の集落から、程よく離れた町の中心地の一画に、臨時の村役場が設置されている。閑静な住宅街に囲まれ、和洋折衷の趣が感じられる古い洋館だった。
若い秘書の話によると、此方の建物に引っ越してきて、もう五年にもなるらしい。駐車場の広さ、駅前である利便性の高さから、村民や職員も大満足とのこと。旧役場の老朽化と財政難が伴ったせいか、未だ再建の目処も立たないという話でもあった。
それにつけても、村社会の構図というか職員たちの刺すような視線を感じる。余所者に対しての警戒心も相変わらずといったところだろうか。
突然の訪問にも関わらず、親切に対応してくれたりと、妙な段取りの良さもある。不気味な余韻だが、意外にも早く面会の手筈が整ったのも、優秀なツテとコネのお陰なのだろう。更に、魔女が裏で動いているのであれば当然の帰結とも云えた。
ただ、来客用の応接間に通されると「すぐに村長が来ますから」と、伝えられて、はや二十分以上が経つ。監視カメラで覗かれているような気配もあるが、ここで可笑しな真似をするつもりなどは毛頭なく、村長もそれだけ用心深く、用意周到な性格なのだろう。
そしておそらくだが、此方の正体にも薄々勘付いている。
……だとすれば、とんだ狸だ。
男は、澄ました顔でほくそ笑むと、手にしていたスマホを横に置き、周囲に配置されてる家具をゆっくりと見渡した。
部屋の内容は質素な造りの割に、家具や備品にはしっかりと贅が施されている。上質のマホガニーで仕立てられたテーブルの脚には紫檀まで使用されており、ソファもイタリア製の高級ブランドで揃えられているではないか。
──とんだお笑い草だ。
おもてなしとばかりに出された珈琲カップひとつとっても、それなりの自己主張と強い拘りを感じる。客人に舐められない為の牽制か、それとも品格を損なわない為の見栄の表れなのか。そこまでして自分を大きく見せたい欲の面の厚さもある。無言で頷きながらも、男は部屋の隅々まで丹念に目を配り、これからやってくる村長の心理や性格、その傾向を細かく分析したのだった。
交渉という名の「裏工作」に担ぎ出されるのは一向に構わないが、お陰で大事な商談まで御破算になってしまったのはかなり痛い。正直、腹わたが煮えくり返る思いでもあったが、金主でもある魔女の命令に逆らうわけにもいくまい。下手に楯突けば、後々の仕事も妨害されるのは目に見えた話でもある。
これも、二十年来の腐れ縁というやつなのか……、男は銀縁の眼鏡を外し、胸元にいれてあったクロスで分厚いレンズをそっと拭った。
──「いやぁ、ほんと申し訳ない。お待たせ致しました」
開口一番、勢いよく開かれた扉から、騒々しく村長が姿を現す。薄くなりかけた頭髪を振り乱し「只今、急いで帰ってきました」という具合にわざとらしく体裁を取り繕っている。
──なんて、安い芝居だ。白々しいにも程がある。
銀縁の眼鏡をかけ直しつつ、男は立ち上がり「こちらこそ、忙しいなか申し訳ありません」と、表情ひとつ変えずに会釈をする。
丸々と太っていて、低身長、年齢は四十代前半から半ばだろうか。背広はオーソドックスなダブルを着用。体格に若干合ってないことから、オーダーメイド品というわけではなさそうだった。腕時計は質感からして安物、Yシャツも襟口の形状から察するによくある既製品だろう。
……だが、問題はその足元の「靴」にあった。
靴に関してだけは、目を見張るような上物を履いている。
そこれそ一足、数十万円はくだらない代物だろう。とてもじゃないが、庶民派を訴える議員の身に着ける靴とは思えなかった。
特に、「靴」は本人の生活様式や人間性が最も反映されていると度々云われており、謂わば情報の宝庫でもある。靴の形、色合い、使用頻度、手入れ具合などからも、あらゆる角度で推察できるのだ。
その靴の状態を見ても、よく手入れが行き届いており、村長の几帳面で神経質な側面が伺える。裏を返せば、それだけ慎重な性格だとも云えた。
「どうぞ、お座りください」と、男はソファの方へと促され「それにしても、今日は蒸しますな」と、座りながら扇子を取り出す。如何にもという、面白みがない定番のやり取り。
そして、開いた扇子からは赤く書かれた「墨守」の文字。自己の習慣や主張を頑なに守ることを意味する格言のようなもの。村長の意気込みがよく現れた中国の古い思想家「墨子」の言葉でもあった。しかし奇妙なことに、男はその所作に脆弱なまでの虚勢を嗅ぎとり不穏な顔をする。
──ひょっとして、焦っているのだろうか?
暑い、暑い。と、扇子を仰ぎながら間を保ちつつ、村長はこちらの様子を黙って伺っている。時折向ける視線の散らせ方から察するに、お互い腹の探り合いといったところだろう。
「ええと、
「はい、
縁士はそう名乗ると、藍色の名刺入れをジャケットの内ポケットから取り出し、おもむろにケースの蓋を開く……。だが、名刺を触る寸前のところで、ふと手を止めて、悩むように小さく唸った。村長はその突飛な素振りを見て不可解そうな顔をする。
「どうかなされましたか?」
「うーん。……いや、村長さん。ここはひとつ、単刀直入にでいきませんか」
手にしていた名刺入れの蓋を勢いよく閉じ、村長を一瞥してから、縁士はあらかじめ置いておいたスマホにゆっくりと手を伸ばす。そして、意味深な目線や仕草を交えつつ、相手を軽く挑発するように手元で弄んでみせた。
「あのね、申木さん……。私は、用地買収の件だと伺ってきたのですがね」
「まあ、落ち着いてくださいよ。それで、村長さん。この際ですから腹を割って話しませんか?」
「……はてさて、困りましたな。まったく見当がつきませんがね」
村長は顔を逸らして
……だとすれば、金の話に目が眩んで見事におびき寄せられた形となる。悲しくも儚い、生まれながらの習性なのだ。
「……たくっ、釣れないな。でも、時間は有効に使いましょうや。加えて、あんたのお仲間や友達からも、
「……もう、迷惑なんで帰ってくれませんかね。警備員を呼びますよ?」
飽くまでもシラを切り通すつもりなのか、村長はやれやれと頭を掻き、少し困り果てた顔をする。しかし、その細い目元はまったく笑ってはいない。
大黒天のように人当たり良さそうなツラをしているが、こいつの正体は控え目に云わせてもらっても善人ではなかった。
直接的な面識はなくとも、悪行の数々だけは噂としてよく聴いている。姿もチラリとだが、実際に目にしたことも何度かあった。尤も、その時はこんなに太ってはいなかったが。
これらも全て、宿怨の悪い巡り合わせなのだろう……。実際、上に昇れば昇るほど、世の中は悪人ばかりが蔓延っている。魔女や自分も含め、この村長もまた同じ穴のムジナなのだ。
「なるほどな。……さすが、狸だけあって尻尾は出さないってわけか。おまけに、化けるのもお手のもの。だよな? もと『
「ちょっ、ちょっと、いい加減にしてもらえませんかね……」
「村田さんこそ、もう惚けるのはやめましょうや」
「だから、知らないって言ってるじゃないですかっ!」
だがしかし、『古狸』という言葉を耳にしたせいか、徐々に真顔になり、村田の目つきもみるみると変わる。憤怒の色を孕みつつ、今にも掴みかかってきそうな勢いだ。
少々、強引に踏み込み過ぎてしまったかもしれない。が、こちらとて時間に余裕があるわけではない。村の事情が特殊なだけに、うかうかしてれば調停役でもある『天狗』に嗅ぎつかれ兼ねない
──そして、魔女から出されたオーダーはたったひとつ。
──今夜中に「あいつらと話をつけてこい」との命令だった。
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