参の8
「お取り込み中、申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」
「ああっ? あんた、いったい誰ですか?」
「失礼致しました。わたくし、森見様の代理人を務めさせて頂きます、弁護士の吉備 結子という者です」
胸元に煌めく弁護士記章を強調しつつ、今日二枚目の名刺を入れ物から引き抜く。憮然とした態度で名刺を受け取った店長は、些か困惑しながら名刺と結子の顔を交互に二度見した。大概の人間は、弁護士と聞くだけで素直に引き下がるか、思考停止に陥るかの二択……。だが、この男はそんな単純なタマではないだろう。
……ならば、若干でも油断してる隙に畳み掛けるしかない。
「今後、森見様の面会に関しましては、わたくしが一任することになっておます。何か不都合な点がございましたら、別の者が相談を承りますので、名刺に記載されている番号に遠慮なくおかけください」
「弁護士か、なるほど……」と、店長はほくそ笑み口角をあげる。
「だが、あんたなんの権利があって恋路の邪魔してんだ?」
見立て通り、この男は多少の場数は踏んでいるようだ。往年の血が騒ぐのか、喧嘩上等な態度で結子に接してくる。だが、いくら横柄になろうとも、昔とった杵柄ようには行かないだろう。仮にも本店を任されるほどの男だ。世間の一般常識ぐらいは弁えているはず。
「ええ、ですが。御社は社内恋愛が厳禁と伺っております。……従業員の手本になる店長ともあろう方が本当によろしいのですか?」
「承知の上での行動だ。それに条件つきだが、浮気や不倫でもない限り、厳密には禁止されてるわけでない。無論、理由はどうあれ減給や降格などの一時的な左遷は免れぬがな……」
「そうですか。それは、とても残念です。しかしながら、これは従業員たちに対しての失念や裏切りに繋がらないでしょうか。店長さまの姿勢を信頼して、これまで取り引きを重ねて来たも方々も多いかと」
「な、なんだと?」
苦し紛れの当てずっぽうな臆測であったが、店長の眉根が大きく動く。
やはり、此方の読み通り。この男は義理や人情にめっぽう弱い性格なのかもしれない。聞くところによると、「小池組」というのは筋者としては珍しく、馬鹿がつくほどの「お人好し」集団と耳にしていたからだった。
混沌とする戦後の闇市を焼け野原の更地から取り仕切り、当時における「必要悪」だったと位置付けても過言ではない。同時に地域の秩序を守り、治安の維持に努めてきた義賊でもあった。
初代組長、小池大二郎は世を儚み「御託なら、せめて腹が減って泣いてる子供がいなくなってから並べてくれ」と、農地改革や畜産、漁業などの食糧増産を裏から支援して、高度経済成長の礎を懸命に築きあげてきたとも聞いている。
仮にもし、マーケット小池がその「意思」を脈々と引き継いでいるのであれば、「義理と人情」を経営理念に組み込んでくるのは自明の理となる。そのような熱い人材を抜擢し、役職に据えるのは当然の布石と云えよう。そして、この店長の振る舞いからしても、元組員だったのは何となく察せる流れだった。
「実はわたくし、この市内に住んでいたことがありまして……」と、結子は手にしていた買い物袋を軽く持ち上げて、そっと手元に目線を落とす。
マーケット小池のマークがわざとみえる位置まで掲げると、店長の顔がすこしだけ緩んだ。見え透いたまでの幼稚な策ではあったが、自らの過去を引き合いに出してでも懐柔させるしかない。そこにある種の活路を見出したのだった。
「……その頃は、貧しい大学生でいつもお腹を空かしていました。わたしは、司法試験の勉強に明け暮れてばかりで、アルバイトをする暇もなかったんです」
「おいおい、なんだ。今度は泣き落としのつもりか?」
自慢の筋肉を誇張させ、店長は腕を組んで見せたが、虚勢を入って威嚇しているようにも思える。だが、僅かならがら垣間見える感情の揺らめき。狡猾までに、結子はその隙を見逃さなかった。
「まさか、ただの昔話ですよ。でも、そんな時、マーケット小池の安くて美味しい食材にお世話になり、幾度もなく助けられたことか……今でも、心から感謝しております」と、照れ臭そうに微笑み、買い物袋に再び視線を移す。
多くを語らずとも、伝わってくる彼女の機微を目にして、店長は少し済まなそうな表情をした。事実、それは本当の話である。もし、これが作り話なら、容易く見破られてしまった事だろう。
「……そうか。大変、ありがたい話しだが、こちらも営利目的の商売でやっているのでね。他店の競争に打ち勝って、一人でも多く顧客を勝ち取りたいだけ。その為の……」
「果たして、本当にそうでしょうか?」
「なに?」
そう云うと、結子は先ほど購入したアナゴを手に取理、店長の面前へと差し出す。嬉しそうに悦に浸った笑みは嘘偽りない言葉を代弁してるかのようだった。
「この天然もののアナゴ……。街のスーパーなどでは、まず滅多にお目にかかれません。なぜなら、アナゴは単価が安く儲けが凄く少ないからです」
「いやっ、そっ、それはだな……」
「本来であれば、養殖ものの鰻を仕入れたほうが、利益も売り上げも良いはずなのでは?」
痛い所を突かれ他のか、店長は微妙に目を伏せた。
それもその筈、結子はマーケット小池の元常連客でもある。庶民のためにと、採算度外視なまでの経営姿勢は手を取るようにわかっていた。それは以前と何一つ変わってはいなかったからだ。
「しかし、貴方はそうしなかった。ただ、店長ならば、よくご存知だったはずです……〝天然ものアナゴ〟の驚異的なまでの美味さをっ!」
「……!」
流石、本職の弁護士といったところか、理路整然と相手の急所を責め立ててゆく。ただ、これは結子なりの親切心からであった。はたまた、易々と天職を失って欲しくないと云う本心の現れだったのかもしれない。
「最も、味ばかりではありません。アナゴは安価なだけではなく、ビタミンAを豊富に含み、コレステロールの低下、さらにはアレルギー症状の緩和にも期待が持たれている食材……。子供だけではなく、お年寄りの健康にまで配慮された当然の結果なのでしょう」
「ううっ……! 」
まるで、雷が落ちたような反応で仰け反っているが、それだけ店長の心に深く突き刺さったのだろう。喜怒哀楽が複雑に絡みあい、図星な感情を惜しみなく露にしている。デカい図体の割には、意外と呆気ないものだ。それとも、油断した演技なのかもしれない。
……どの道、足掻いたところで結果はさして変わらないだろう。
さて、そろそろ仕上げに取り掛かるとするか。と、結子は後退りする店長を正面から見据え、追い詰めるように一歩、一歩と、距離を狭めてゆく。その瞳は獲物を虎視眈々と狙う豹の如く、美しいまでに妖艶に揺らめいていた。
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